P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

アメリカの理想は見果てぬ夢か白昼夢か? 

オバマのベルリンでの演説にはすでに色々な解説や現場にいた人達からの感想がいっぱいネット上にあるわけだが、その中の一つ、アメリカのリベラル系政治サイト Talking Point MemoのなかのTPM Election Central*1に軽く目を通したところ、最後の段落の最後の一文に眼が止まった。一応、下手ながら意訳してみる。


And really, this brings us right back to his candidacy. In a sense, the message of his very presence in Berlin is this: If slavery is the ultimate national sin, then the fact that he's running for president, and very well may win, and is promising the rest of the world a better America if he does win -- well, then all of this would achieve some sort of movement in the direction of that perfection that stubbornly continues to elude us.

そしてまた、この事によって我々は彼が大統領選の候補であるという事そのものに戻ってくるわけだ。ある意味、彼がベルリンに行ったことの意味とはこういうことだ:奴隷制が我らの国の究極の原罪であるならば、彼が今、大統領になろうとしているという事実が、そうなる可能性が高いという事が、そしてもし実現したならば世界に対してより良いアメリカを約束しているという事が、そしてこういった事のすべてが、我々の手からずっと逃れつづけてきたあの理想の完成へと向かう歩みを実現するのだと、と。


この一文に目が止まったのは、別に感動したからとか、そういうことではない。そうではなくて、アメリカのある種の政治的麻薬を改めて思い出したからだ。この手の文章は日本を対象にしては書けない。別にそれは全然悪い事ではない。こういうものとはまったく違う、日本の美しさについて書けるのだから。だがアメリカには、このよくわからない「理想」という美しさがある。勿論、その「理想」は上の文章にもあるように実現されてはいない*2。「自由」だ「平等」だと言われても、実際の社会にはどうしたって「不自由」もあれば「差別」もある。アメリカの理想を単純に信じていれば、現実の中で裏切られたと思う事になるのがオチだ。でも、そうなった時にアメリカにはこの裏技がある;あの実現されざる見果てぬ理想を目指せ!と。
理想は実現されないが、実現されていないと認識する事でアメリカの理想は保持される。それが否定される事はない。ひどい事・悪い事はすべて、アメリカの理想を裏切る行為であり、よって何があっても「アメリカの理想」は守られる。良い事があればそれはアメリカのすばらしさだし、悪い事があればそれを乗り越えて新しい真のアメリカへ向かって歩み出す、というわけだ。時代劇の「水戸黄門」を思い出す。どこかの藩でどれだけ悪い事が行われていても、それは常に悪い家老のせいであり、騙されていたお殿様は悪くないということ。社会の保持のためにはおそらくこういうものが必要なのだろう。奴隷制にしても、それを乗り越え、今、現実味のある黒人大統領候補を生み出したアメリカとその理想の実現という文脈で、アメリカを称える要素として利用可能なのだ。マルクスは宗教を麻薬と喩えたそうだが、アメリカの傷つく事はない理想もまたその美しさの故に麻薬のようなものだろう。"in the direction of that perfection"なんて事を政治家のスピーチの解説で言える国が一体いくつあるのだろう?日本にも理想はあるわけだが、でもその理想はこんな政治的なものではないはず。共産主義の魅力もこういうものだったのだろうが、かつてのソビエトならばこの手のことを本気で言えたのだろうか?しかしかの国はすでに滅んでしまったが、アメリカが滅ぶ予兆などまったくない*3
こんな事を書いているからと言って、アメリカが嫌いなわけでは全然ない。というか実は大好きなんだが、ただ上のような文章をこれまでも何度か読んだことがあったので。たしかハインラインもそんな事を書いてたと思うし、ほかにも冷戦下の小説で核戦争により滅びかけたアメリカを舞台にした小説でアメリカの実現されざる理想を実現しようという思いが語られていたものがあった。新聞のコラムとか雑誌の記事とかでも、どれだけ真剣にかはともかくとして味付けで使われる事は良くあると思う。この実現せざる理想の実現への思いって、アメリカを浸す政治的麻薬だよなと改めて思った。そういうこと。

*1:アメリカの政治系サイト、とくにリベラル系のトップのもの(Talking Point Memo、略してTPMやDailyKosなど)はその規模や運営がすでに個人のレベルを超えて、多くのブロガーとサイト内に展開された読者によるリーダーブログそして細分化した幾つもの分家サイトからなる集合体になっている。TPM Election CenralはTPMの選挙に特化したサイト。

*2:もっとも現在のような民主主義を実現しているだけでも、長い人類の歴史を考えれば奇跡ではないかと思うが

*3:いつかは必ずやって来ては去ってゆく不況ごときでアメリカの衰退をどうこう言うなど愚かだろう