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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

クルーグマン:流動性の罠の中のマクロ経済政策

クルーグマン 経済学 景気対策

はーい、またクルーグマンのブログからです。最近のクルーグマンはオバマ次期政権に積極的な経済政策をとれというアジテーションを積極的におこなってまして、これもその一つです(勿論、右の人らもいろいろやってますよ。これとかここで紹介されてるリンク先とか)。最近、日本政府はデフレ不況の先輩(全然うれしくない先輩ですね)として色々アメリカに教えてあげたりしてるらしいですが、クルーグマンも90年代後半に数多く日本の事について書いてたのが今、役に立っているようです。若いうちには色々やっておけって事ですね!
しかし、今回のクルーグマンのブログエントリーを訳してて、正直微妙に思ってしまいました。文中でそんなにも強調されるほどインフレ期待を起こす事が難しいなら、リフレ政策って一体、なんだったのって...いやまあ、いいのですが...
流動性の罠の中でのマクロ経済政策(ちょと難しい事を言うのが好きな人向け)    ポール・クルーグマン 2008年11月15日
これはゴールドマン・サックスのジャン・ハッジアス(Jan Hatzius)その他の新しいレポートのタイトルだ。私同様、ゴールドマンの人達は補わなければならない需要ギャップの規模について、恐ろしい数字を出してきている−−歴史的な基準でみて、桁外れにでかい財政出動の必要を示す数字だ。彼らの計算は私のよりずっとましなはずだ;その事にも後で少しばかり触れる。しかしまずは、概念的な事について話しておきたい。
我々が明らかに流動性の罠に陥っている現在でもまだ、そんな事は不可能だと言い立てる経済学者が多くいるというのは興味深い事だ。彼らの主張はこんな感じである:インフレを作り出すのは簡単だ−−鳥も、蜂も、ジンバブエだってやっている。だから日本やアメリカのような優れた国なら、そんなのは何てこともない問題だ。
これは私や他の者が90年代の日本に対してと、そして今また再び主張している重要なポイントを無視している:インフレを作り出すのは簡単だ。無責任な国にとっては。もし無責任でないなら、そう簡単でもない。
日本の問題を理解しようとしていた10年前、通貨供給と物価水準の間の関係について何を知っているかを問う為に私は簡単で非現実的なモデル(訳注:山形さんとこに翻訳があるかと思ったけど、ないみたいです。ただこれが同じモデルのよう。でも、日付を見ると一年以上前のものだから違いがあるのかもしれませんが)をつくってみた。通常、私たちは貨幣供給の増加は、他の要因が一定として、物価水準の比例的な上昇につながると考える:通貨量を倍にすると、物価も倍になるわけだ。だが、実はこれは正しくない。iやらtやらの添字が一杯ついたモデルが実際に述べることは、もし貨幣供給量が倍になり、そして貨幣供給についての将来の予測も全て倍になるなら、物価は倍になるというものだ。
どうしたらそれができるのか?日本が今どれだけマネタリーベース(訳注:ベースマネーあるいはハイパワードマネー。これって何か漢字の訳はなかったっけ?)を増やそうが、もし人々が日本銀行は将来景気が回復した時には物価の安定に乗り出すと考えるなら、将来の通貨供給量についての予測は変わらない。そして、もし中央銀行が将来の通貨供給量についての予測を変えることが出来ないなら、経済が流動性の罠に落ち込む事は現実の可能性となる:利子率がゼロ近くになると、印刷された紙幣は退蔵され、金融政策は実体経済に何の影響力も持たなくなる。
ジンバブエにはこの問題はない:刷られたお金は使われると人々は確信している。しかし日本やアメリカのような国は、政策目的でお金を刷る。支払いの為にではない。そして、変な話だが、そのために流動性の罠に落ち込み易くなるわけだ。1998年、私は日本銀行が「責任をもって無責任になることを約束する」方法を探さなければならないと述べた。あまり上手くはいかなかったが、とにかくそれが真面目で、慎重な経済分析の述べるところだった。
それとも、リンク先の論文で述べたようにこう言ってみようか、

流動性の罠の主題それ自体が、まるで Alice-through-the-looking-glassのようだ(訳注:おそらく不思議の国のアリスもしくはその続編からのものなんでしょうが、読んだ事ないので分かりません)。貯蓄や、物価安定につよくコミットしている事が知られる中央銀行のような美徳は悪徳となる;罠から逃れる為にはベルトを緩めて将来を忘れ、民間に政府と中央銀行は実はそんなに真面目でも堅実でもないんだと考えてもらわなければならない。

OK、それではハッジアスとその仲間達に戻ろう。彼らは資本市場における騒乱が我々を流動性の罠に落とし込もうとしている事を強調している。それから彼らは、「民間部門のバランス」に起こりそうな変化の推計に話題を転じている−−(そのバランスとは)民間部門の貯蓄と投資の差の事だ。そしてそれは驚くほどのものだ:

現在の証券価格と貸し付けのスプレッド(credit spread)と組み合わせたGS house price予測によると、民間部門のバランスは2008年第2四半期におけるGDPの1%から、2009年第4四半期の10%へ上昇することになる−−9%ポイント、言い換えると年率で6ポイントの上昇である。

どうしたらいいだろうか?穴を埋めるための、大規模な財政政策、だ。より積極的なGSE(訳注:政府支援法人。ここではファニーメイやフレディ−マックのような政府系の金融機関のこと)による貸付だ。連銀による一定期間中の利子低率固定の「事前保障 pre-commitment」もいいかもしれない−−それは私の「責任をもって無責任になる」よりも、お上品な表現だし。そしてリスキーな資産の大領購入もありかもしれない。
はっきりさせておかなければならない事は、今この時、我々は別の宇宙に既に入りこんでしまったということだ。安全に行こうとする政治家こそが何よりも危険な宇宙に。