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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

アンドリュー・ゲルマン:対外援助と軍事介入、もしくは統計モデル、因果関係の推測、そして社会科学

ゲルマン 統計

アンドリュー・ゲルマン(Andrew Gelman)はコロンビアの統計と政治学の教授だそうです。政治学がらみということで、彼のブログ、Statistical Modeling, Causal Inference, and Social Science、にはよく目を通すのですが、訳すのは今回が初めてですね。できればもっと訳していきたいのですが、なにしろ統計の用語が絡むことが多くて、エコノメ・実証は避けてきた人間が訳すには辛いものがあります。実際、以前にもやろうとして途中で諦めたことがありましたし。でも、今回はなんとかなった。まあ、面白いのかどうかは、よく分かりませんが...
[追記:"Easterly"を「イースターリー」から「イースタリー」に変更しました。人名は分からん!]
対外援助と軍事介入、もしくは統計モデル、因果関係の推測、そして社会科学  アンドリュー・ゲルマン(Andrew Gelman) 2008年12月1日

ビル・イースタリー(Bill Easterly)がこの木曜日に我々のセミナーで話をしてくれる事になっている−−タイトルは「貧者を解放せよ!ボトム・アップによる世界の貧困の終焉(Free the Poor! Ending Global Poverty from the Bottom Up)」、場所は711 IABで、時間は11−12:30(誰でも参加できる)−−ので、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスに載った彼の最近の文章をよんで準備しておく事にした。それはポール・コリアー(Paul Collier)の"The Bottom Billion: Why the Poorest Countries Are FAiing and What Can Be Done About It"についての評論だ。(私はコリアーの本は読んでいない。他のセミナー参加者も同じだろうと思う(I havn't read the Collier book so that puts me on an even footing with most of the others in the audience, I think)。
イースタリーはコリアーをかなり強く批判していくつかの引用をしているのだが、それらの引用は統計学者として私には非常に気になるものだった。たとえば、コリアーはこう書いている:

援助は破綻国家を助けるのにとても効果的なものではない。政治的な好機を待たなければならないのだ。それが起った時、改革を助けるために、できるだけ急いで技術的な補助を行うのだ。それから数年後に、その政府[の支出]を助ける為の資金を送る。

そして

紛争後の社会の安定には通常、長期に渡る外国軍事力の存在を必要とする。[軍事力を]送る側と受ける側、双方の政府はその存在を10年ほどは覚悟しなければならない。そしてそれにコミットしなければならない。10年よりずっと短ければ、その国の政治家達は平和を築くよりも、[軍隊が去った後の為の]権力ゲームを行う...10年よりずっと長ければ、その国の市民達が外国軍人の撤退を求めて手に負えなくなるだろう。

これは、私には疑わしく思えるたぐいの細かな勧告だ。いや、勿論、実際の効果というものは非線形、そして非単調性−−どんなものでも多すぎれば、過大となるのだ−−だという事は知っているが、しかし私にはこの手の「最適の点」がデータから実際に引き出せるという主張はどうも信用できない。(私には信用できない非線形の例として、これをみてくれ--"Shepherd"で検索してみてほしい。このケースは、死刑の犯罪抑止効果についてのものだ。)
イースタリーは政策決定の為の、統計の役割についてより一般的な議論を更におこなっている。これはイースタリーの言葉だ:

残念ながら、自身の分析にてコリアーと同様の手法をつかった社会科学者として、私[イースタリー]は我々の科学の限界を痛いほど実感している。統計的相関関係に基づいて行動を勧告する時、まず第一に、相関関係は因果関係を意味しないというよく知られた原則にちゃんと注意を払っておかなければならない...[コリアーは]彼の勧告する手段が望ましい結果を生む事を証明していない。コリアーの側に立って言うと、内戦や破綻国家について入手可能なデータから因果関係を導き出すのは非常に難しいことだ...勿論、社会科学者には果たして望ましい結果につながるのかどうかなんとも言えない多くの行動を政府は取るものだ。おそらく、彼らは統計分析に基づかないなにか政治的な判断を行っているのだろう。

私にはなんともわからない。かつてビル・ジェームズ(Bill James)は、こんな風な事をいった:「よい統計」に対する代わりは、「統計によらない」ではない。「悪い統計」だ。(彼の例は、On-Base率[野球の話なんですけど、訳がわかりません。たぶん出塁率?]出塁率*1を批判した誰かに関するものだ。その人物は四球をヒットと同じに扱うからとOn-Base率出塁率を批判したが、代わりに打率を薦めるた。それにはさらに深刻な問題があるというのに。)
同様に、もし私達が完全に信用できる因果関係の推測を保持していないとしても、私としてはちゃんとしたなんらかの観察事例の分析が欲しいところだ。
この例としては、平和維持活動の効果についてのPage Fortnaの研究がある。詳細について間違えているかも知れないが、覚えている限りでは、彼女は内戦のあった国の結果を比較していた。国際的な平和維持活動があった国となかった国を比較していたのだ。平和維持活動があった国の方がよい結果となっていた。潜在的な問題としては、平和維持活動はより易しい対象を選んでいたのかもしれない、というものがある−−ひどい内戦は本当に危険なので、平和活動の部隊はそんなところへ行かなかったのかも。なので彼女は、平和維持活動を行うかどうかの決定が下される前の時点でのその国の状況がどれほどひどいか示すいくつかの客観的な指標を分析の中に組み込んでみた−−そして彼女は、平和維持活動は実のところ、厳しい状況においての方がより行われやすいということを発見した。どれほどひどい状況にあるかを分析に組み込むと、平和維持活動は更に効果的だということになった。下はそのグラフだ(これは彼女が何年か前に我々のセミナーで話してくれた時のPageのデータから私が作ったものだ。)

赤点は平和維持活動が行われた国、黒点は行われなかった国。y軸は紛争が再発していない期間だ。この例では、真剣な研究の努力はデータセットをまとめることに費やされている。ではあるが、このグラフは有益なものだと思う。そしてこれは、一方に個々の事例の話、もう一方に厳格な因果関係の推測を並べた際の、中間というものをあらわしていると思う。私は、コリアーの研究がこれに上手く当てはまるのかどうか分からないが、しかしこういった感じの政策分析の場所は確保されてほしい。もし我々の持っているものが相関関係だけなのなら、観察についての統計値は完全に無視されるべきだ、などと言うつもりはまったくない(I'd hate to send the message that, if all we have is correlation, that the observational statistics must be completely ignored)。
P.S.イースタリーはこうも書いている。「社会科学者にとって、世界は巨大な実験室だ」。私としてはこれを「観察場」に変えておきたい。私にとって、実験室は試験管と科学的実験のイメージを想起させる。しかし私には(そしてほとんどの計量社会科学者もそうだと思うが)、世界とは直接的な操作を行うものではなく、我々がデータを集めてそれについて学ぶものなのだ。実験室と現場での実験が人気を集めてきているのは確かだが、しかし私はまだそれらが社会科学の一般的なあり方(prototypical social science)だとは思えない。

*1:optical_frogさん、ありがとうございます!