P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

投票のパラドックス、あるいはスイスと生きた豚

Freakonomicsに投票についての質問が来たそうで、それが読者への質問として公開されていました。投票というと、政治経済学にはなぜ人は投票をそもそもするのか?という疑問があります。投票しなかった人がなぜしなかったのかと問われてよく答える様に、一人の投票で政治が変わるわけはないのですから*1、経済学の観点からするとそんな事をわざわざコストを払ってなぜ行うのかという事になります。しかし投票率は低い低いと言われつつも、シンプルな経済学的観点からは説明のつかない数の人たちが実際に投票しています。これは投票のパラドックスと呼ばれる政治経済学の重要問題で、これを説明する為の色々な論文が書かれているわけですが、そのうちの一つを解説した2005年のFreakonomicsへのリンクが上記のポストで貼られてました。これは丁度、俺の興味の対象についてなので、2005年のものですが訳しておきます。
なぜ投票するのか?  ステファン・J・ダブナー スティーヴン・レビット 2005年11月6日

一部の大学の経済学部には、世界でも指折りの経済学者が二人、投票所にて出会ってしまった時についての話があります。有名ですが、おそらくは作り話でしょう。
「こんなところで何をしているんだ?」と一人が訊いた。
「妻に連れてこられたんだ」ともう一人が答えた。
最初の経済学者は、だよなと、うなずいて、「同じだ」
しばらく両方ともに気まずい時間が流れた後、一人がアイデアを思いついた。「もし私をここで見た事を誰にも言わないなら、私も君の事は誰にも言わないよ」。彼らは握手を交わすと、投票を済ませて、すばやく消えていった。
なぜ経済学者は投票所にいるのをみられる事を恥ずかしがったのでしょう?それは、投票には、時間、努力、失われた生産性等、コストがかかりますが、「市民の義務」を果たしたというような何か曖昧なものを除いて、特に何もはっきりした利益がないからです。経済学者のパトリシア・ファンク(Patricia Funk)が最近の論文で書いたように、「合理的な人間は投票をするはずがない」のです。
あなたの投票が何かの選挙の結果を左右する可能性は、非常に、非常に、非常に小さいものです。これは経済学者のケーシー・マリガン[Casey Mulligan]とチャールズ・ハンター[Charles Hunter]によって確かめられました。彼らは1898年以来の5万6千以上の連邦・州の議会選挙について分析しました。接戦はメディアの注目を引きますが、そんなものは非常に稀です。連邦議会選挙での勝者と敗者の得票率の差[margin of victory]の中位数は22%で、州議会選挙だと25%になります。非常に接戦となった選挙ですら、1票が選挙を決める事などまずありません。マリガンとハンターが分析した4万以上の州議会選挙では総計およそ10億票が投じられましたが、たった7つの選挙が1票差で決まり、後2つが同票数でした。連邦議会選挙にはより多くの人が投票しますが、その1万6千以上の選挙のうち、過去100年間でたった1つだけ−−1910年のバッファローでの選挙です−−が、1票差でした。
しかしその事より更に重要な事があります。選挙が接戦になればなるほど、その結果は有権者の手から離れていきがちになるのです−−この最も明らかな事例は、勿論、2000年の大統領選挙です。その結果は確かに、わずかな数の有権者によって決められたわけですが、その名前はケネディー、オコナー、ランクィスト、スカーリア、そしてトーマスでした*2。そして、彼らが判事の法服を着ているときに投じた票が重要だったのです。彼らが地元の投票所で投じた票ではなく。
それでも、人々は、何百万もの人々が、まだ投票を続けています。なぜでしょうか?3つの可能性があります。
1. 多分、私達は実のところそれほど頭も良くなくて、我々の票が結果を選挙を決めると間違って信じているのでしょう。
2. 多分、宝くじを買うのと同じ考えで投票しているのでしょう。結局、宝くじが当たる確率も、あなたの票が選挙を決める確率も、どちらも同じくらいのものですから。金融的な観点から言うと、宝くじを買うのは間違った投資です。しかし、それは楽しくて比較的安いものです。クジ一枚の値段で、もし当たったら何をしようかと妄想する事ができます。あなたの票が政治を変えられるかもと妄想するのと同じように。
3. 多分、我々は「投票は市民の義務」という考えの社会的な刷り込みを受けてしまっていて、投票をする事は世の中の為になると信じてしまっているのでしょう。それは個々人にとっては別段いい事でもなんでもないわけですが、しかし棄権をすると罪の意識を感じるわけです。
しかしちょと待って、とあなたは言うかもしれません。もし誰も彼もが経済学者の様に考えるようになったら、選挙がなくなってしまうじゃないか。自分の票が選挙を決めると信じて選挙に行く有権者なんていないだろ?それに、投票した人に投票が無意味だ、なんて言うのはひどくないか?
実はここが難しいところです−−個々人の無意味に思える行動が、全体としては、非常に意味のあるものになるわけです。逆方向からの同様な例があります。あなたとあなたの8歳の娘が植物園の花壇を巡っていたら、娘が急に果樹からきれいな花を取ってしまいました。
「そんな事をしちゃいけないよ」、とあなたは言います。
「なんで?」と娘さんは訊きます。
「それはね」とあなた、「みんなが花を取っちゃったら、花が全部なくなっちゃうだろ」
「うん。でもみんなは取ってないわ」、彼女はあなたを見つめながらいいます[she says with a look]、「あたしだけ」
昔なら、投票の為のもっと実際的な誘引がありました。政党は有権者が投票するように、彼らに5ドルか10ドルを支払っていたのです。この支払いは、ウイスキーのケグだったり、小麦の樽だったり、それから1890年のニューハンプシャーの議会選挙では、生きた豚だったりしました。
当時同様今でも、多くの人達が低い投票の事を心配しています−−全投票可能人口の半数を少し超えた人達だけが前回の大統領選で投票しました−−しかしこの問題を逆にして、別の問題を考えてみた方がより意味のあることかもしれません:個々の有権者の票が重要となる事がまずないならば、なぜこんなにも多くの人達がそもそも投票しているのでしょう?
その答えはスイスにあるかもしれません。パトリシア・ファンクはそこで、投票者の行動を調べる絶好の自然実験を発見したのです。
スイス人達は投票を愛しています−−議会選挙や国民投票(plebiscities)、その他なんであれ。しかし、投票率は年々落ちてきました(多分彼らも生きた豚をあげるのは止めてしまったのでしょう)。なので新しい手段が取られる事になりました:郵便での投票です。アメリカでは投票の為には有権者登録が必要ですが、スイスでは必要ありません。法的権利を持つ全てのスイス市民は、郵便で投票用紙を受け取ります。後は、記入して郵送するだけです。
社会科学者の観点からすると、この郵便投票の仕組みの立ち上げで素晴らしい事がありました:これは異なる州(スイスには26の選挙区があります)で異なる年に導入されましたので、その効果を年を追って細かく計測していく事が可能なのです。
嵐の中を投票所へと行くスイス人がいるのかどうかなんてもう考える必要はありません。投票のコストは大きく下がりました。経済モデルは投票率が大きく上がることを予測します。で、何がおこったでしょうか?
何も起りませんでした。実のところ、投票率は下がる事さえありました。特に小さな州や、州の中の小さなコミュニティーではそうでした。この発見はインターネットを使った投票を呼びかける人達に大きな意味を持つでしょう−−そうなれば投票はより簡単になり投票率が上がると、長い間言われてきました。しかしスイスモデルはその反対が正しいかも知れない事を示しています。
でも、一体なぜなんでしょう?投票のコストが下がって、なぜ投票する人が減るのでしょうか?
投票への誘引に話は戻ります。もし個々の市民の1票が選挙を決めないなら、なぜ投票するのでしょう?スイスでは、そしてアメリカでも、「良き市民は投票所へ行くというかなり強い社会的規範が存在している」とファンクは書いています。「投票所での投票が唯一の手段なら、投票しているところを人に見られる為だけでも投票所へ行くという誘引(あるいは圧力)があった。そうする理由(the motivation)は、社会的評価を望むからであったり、協力的であると認識される事からの利益であったり、あるいはだた非公式な制裁を逃れる為でもあっただろう。小さなコミュニティーでは、人々は他の人の事を良く知っており、誰が義務を果たし、誰が果たさないかについてゴシップを交わす。規範を守る事の利益はそういうコミュニティーでは特に高かっただろう。」
言い換えると、我々は自己利益のために投票するが−−経済学者が喜びそうな結論です−−しかしそれは投票所での選択についての自己利益と必ずしも同じものではないわけです。人がどれほど「財布に応じて投票する」*3かは良く言われますが、スイスについての研究は、私達は経済的利益よりも社会的なものによって投票しているのだという事を示しています。投票の最も大きな価値は、あなたの友達や同僚に投票所で出くわす事なのかもしれないのです。
勿論、あなたが経済学者でなければ、ですが。

*1:というか一人の投票で変わってたらそれは独裁ですから。

*2:2000年選挙の結果を決めた連邦最高裁の判事の名前。

*3:経済的利益に基づいて投票する候補を決めると言う事。経済が選挙にどれほどのインパクトがあるかを知るには、[http://d.hatena.ne.jp/okemos/20081101/1225548617:title=これ]などを参照