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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

マクロ経済学の暗黒時代、あるいはクルーグマンはハリ・セルダンになろうとたいのか?

クルーグマンのブログエントリーの翻訳です。これも財政政策に反対する保守派経済学者を批判するものなんですが、無茶苦茶言葉が厳しい。冗談ぽくしつつも、よくここまで言えるな、と思います。でもそういうものの方が読んでて面白いですね。ところで、クルーグマンアシモフのSF「ファウンデーション」シリーズのなかに出てくる心理歴史学という架空の学問に興味をもった事が経済学へのかかわりの第一歩だったようですが、そのシリーズの中では心理歴史学を作り出した数学者ハリ・セルダンは銀河帝国崩壊後の暗黒時代の短縮のためにファウンデーションと呼ばれる文明の飛び地の創設を行います。もしかしたらクルーグマンも結構そういう気分なのかな、と訳していて思ってしまいました。
追記:ssuguruさんの指摘を受けてタイポを修正しました。ssuguruさん、ありがとうございました。

マクロ経済学の暗黒時代 (ちょいむず)  ポール・クルーグマン 2009年1月27日

ブラッド・デロングが最近、シカゴから聞こえてくるものについて憤慨している − そして、それは同然当然だ。まずEugene Fama、それからJohn Cochraneが、国債によりファイナンスされた政府支出は必然的に同額の民間支出をクラウドアウトすると、たとえ経済が不況で落ち込んでいてもそうなのだという主張をおこなったのだ--さらに、彼らはこれは実証の結果ではなく、なにかのモデルからの予測でもなく、会計上の恒等式からの逃れられない結論だと主張した。
一部の経済学者はなんとかそれを援護してやりたいようで、FamaとCochraneはもうちょっとなにか洗練されたことを述べたんだといっている。実際に彼らが述べたことよりも洗練されたものを。しかし、もともとの文章を読むと、なにも紛らわしい事はない − どちらも間違いなくセイの法則であり*1、純然たる「大蔵省見解」だ*2。Fameから:

問題は単純だ:救済と景気刺激策は政府債権のさらなる発行によって賄われる。(お金はどこかからか、持ってこなければならないのだ!)増加した負債は、そうでなければ民間投資に向かっていたはずの貯蓄を吸収してしまう。最終的には、遊休資源の存在にも関わらず、救済と景気刺激策は使用される資源を現在使われているもの以上にふやすことはない。それはただ、資源をある用途から別の用途に移すだけなのだ。

そしてCochrane:

第一に、もしお金が印刷されるのでなければ、それはどこかからか持ってこなければならない。もし政府があなたから1ドルを借りるならば、その1ドルをあなたが使う事はできないし、新しい投資を行いたい企業にその1ドルを貸す事もできない。政府支出増加の各1ドルは、民間支出の1ドルの低下となるのだ。景気刺激の支出によりうまれた雇用は、民間支出の低下により失われた雇用によって相殺される。工場の代わりに道路を作る事はできるが、しかし財政刺激ではその両方をつくることはできないのだ。これは単純な会計上の問題であり、「クラウドアウト」についての複雑な議論を必要とするようなものではない。
第二に、投資は消費同様、まったく完全に「支出」である。財政刺激の賛同者はお金が貯蓄されるのではなく、支出される事を求めている。彼らは過去の景気刺激策を、人々が景気刺激の為のお金を貯蓄することなく消費に回したかどうかによって評価する。しかし経済全体でみれば、あなたが車を買うか、それともフォークリフトを買おうとする会社にお金を貸し付ける*3かには何の違いもないのだ。

どちらにおいても何の疑いもない:FamaとCochraneの両方が計画貯蓄*4は自動的に投資支出に変換され、そして政府のどんな借り入れも投資の犠牲の上で行われるのだといっている − ピリオド。
これのどうにも驚かされるところは、経済学のもっとも基本的な誤謬のうちの一つを犯していることだ − 会計上の恒等式を行動の関係と解釈している。勿論、貯蓄は投資に等しくなる。しかしそれにはなにも不可思議なことはない。計画貯蓄と計画投資の差は、その二つを等しくする何かを引き起こすということなのだ。
それは国際収支の資本収支と経常収支の合計が0になるのと同じようなものだ:確かに正しいが、だからといって資本流入が他の何かを変化させずに、まるで魔法のように貿易赤字に変化してしまう、というものではないのだ(これはJohn Williamsonがかつて無垢な移転[immaculate transfer]と呼んだもののことだ)。資本の流入は為替レートを増価させる、物価水準を上昇させる、あるいは貿易に影響を与える実物経済の何かを変化させることにより貿易赤字を作り出すのだ。
同様に、計画貯蓄あるいは投資が変化した後にも、会計の恒等式が成立するように何かが起こるのだ。もし利子率が固定化されていれば、起こる何かとはSとIが等しくなるようなGDPの変化である。
実際のところ、これは新入生への乗数効果のよくある説明のうちの一つだ。下にその図がある:

この図の中では、貯蓄プラス税は投資プラス政府支出と等しくなっている。FamaとCochraneの双方が財政政策の効果を損なわせると考えている会計上の恒等式だ − しかしそんな風にはならない。Gの増加は1対1でのIの低下を引き起こさない。それはGDPを増加させて、SとTを大きくするのだ。
さて、このモデルが世界の現実の動きを正確に表していると考える必要はない。しかし、貯蓄−投資の恒等式が財政政策の効果について何かを語っているというのは誤謬だということは受け入れる必要がある。
では、優秀な経済学者たちがなぜそんな誤謬を信じ込んでしまったりできたのだろうか?
私が思うに、その答えは、我々はマクロ経済学の暗黒時代を生きている、というものだ。思い出してほしい。暗黒時代*5を暗黒時代たらしめたのは、人々が原始的だったことではない − 青銅時代もまた原始的だったのだ*6。暗黒時代を作り出したのは、多くの知識が失われた事、ギリシャ人やローマ人達が知っていた多くの知識が、彼らに続いた野蛮人たちの王国においては忘れ去られてしまったことだ。
そしてマクロ経済学についても、多くの学者についてそれが起こっているように思える。S=Iは大蔵省見解を支持するわけではないという知識 − マクロ経済学は、供給と需要と数量の方程式を足し合わせたもの以上のものだという一般的な理解 − がどういうわけか多くの学者から失われてしまった。さらに続けて、蒙昧の輩の野蛮人たちによって踏みつぶされることについて何か言いたい気分になるが、まあ止めておこうか。あ、いや、言ってしまってるかな。

*1:19世紀のフランス人セイさんがつい言ってしまった(Say)ことで、供給は需要をつくる(供給額は賃金、利益などのかたちで同額の所得となるから)ので、不況は発生しない、みたいなもの。

*2:戦間期イギリスの大蔵省が不況対策としての政府の財政出動に反対するために作り出した見解、とされるもの。当時の大蔵省がほんとにそんな見解を信じていたかどうかについては色々と意見があるらしい。ところで「大蔵省」の原文は"Treasury"なんだけど、これは大蔵省と訳される。しかしアメリカの"Treasury"は「財務省」と訳される。なぜなんだろう?

*3:貯蓄は、タンス貯金などでない限り、直接にかそれとも銀行等を通って間接にかはともかく貸付になります。

*4:"desired savings"。個々の経済主体によって計画された貯蓄額。こういう言葉を使うという事は、計画されざる貯蓄もあるわけで、それが在庫投資の積み増しやら取り崩しとなる。

*5:ローマ帝国崩壊からルネッサンスまでの、中世ヨーロッパのいわゆる暗黒時代のこと、でしょう。ちなみにクルーグマンの恒星系間貿易の論文に出てくる惑星トランターは、もともとはアイザック・アシモフの「ファウンデーション」シリーズからのものですが、このシリーズはローマ帝国崩壊後をモデルとした銀河帝国崩壊後の銀河の暗黒時代を舞台にしたものです。

*6:ここではローマ時代を指しているのでしょう。