P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

我はアシモフ:イントロダクション

えー、だれかこれを読んでくれる人がいるのかどうかもよく分かりませんが、こんにちはです。なんか仕事が忙しくなると、ブログを書いている時間も精神的余裕も無くなってしまいますね。正直、このまま止めちゃおうかと思ってたんですが、ようやく仕事がひと段落ついた時に行ってみた丸善にてアイザク・アシモフの自伝、あるいは自伝的エッセイのI.Asimov(アマゾンリンク)が売られていまして、買って読んでみたら気が変わりました。これは、訳さなあかんと!とか思っていたら、さらにSFマガジン6月号に石和義之さんによるアシモフ論が載ってるし。これは天が俺に訳せと命じているのだあぁ!とかなんとか。
この本、ずっと以前にも買っていて、部分的に読んでアシモフの事が好きになったんですが、今回改めて読み直してみて、これは非モテ・非コミュにとってのロールモデルの本ではないか!と感じてしまいました。この本は全166の各トピックごとのセクションに分かれてまして、それぞれのセクションは基本的に独立して読む事ができます。なので以前に読んでいたときは、SF関係のセクションを中心に読んでました(でも全部は読んでいなかった)。で、それを今回、頭から順番に読んでいってます。勿論、いまさら驚くような新事実があるわけも無いので(だって原書発行は1994年だし)、基本的には知っているというか、だろうなぁという事ばかりなんですが、この自伝は以前のアシモフ自伝1・2*1とは違って、アシモフが人生の中で色々な事柄についてどう考えて、どう感じてきたか、についての書いたものなので、読んでてアシモフに共感するわけですよ。特にちょっと頭いいつもりの本好きの非モテ・非コミュはそうだろうと。なのに、翻訳がないって、早川と東京創元、(弾幕うすいよ、)何やってんの! とくに早川はアシモフ自伝の1と2を出しているというのに*2。なので、このブログで訳していきます。ただし、全セクションを訳すつもりはありません(そこまでするとやばそうだし、そもそも時間的に無理でもあるし)。アシモフのプライベートについてのセクションの一部だけのつもりです。SFファン的にはアシモフによるSF関係者(ハインライン、キャンベル等々についての人物評が一番おいしいところですが*3、その辺りは訳さないつもりです。興味がある人は早川にでも、とっとと訳せ!とお願いしてみてください。
というわけで一回目の今日は、イントロダクション、およびセクション1の「神童だった?」を訳してみました。できれば一日1セクションずつ訳していきたいですけど、まあたぶん無理だろうなぁ。(誤字脱字・誤訳等がありましたら、コメント欄によろしくお願いします。)



我はアシモフ:イントロダクション
1977年、私は自伝を書いた。なにしろ自分の大好きな主題についてであったから、随分長く書いてしまって、64万語にもなってしまった。ダブルデイはいつでも私にも非常に親切な出版社であったから、彼らはそのすべてを出版してくれた--ただし2部にして。最初のものは In Memory Yet Green (1979) (邦題アシモフ自伝1「思い出はなおも若く」(1983))、その次はIn Joy Still Felt (1980)(邦題 アシモフ自伝2「喜びは今も胸に」)である。二つあわせて、私の人生の最初の57年を詳細に語っている。
私の人生は地味なものであって、とくに大きく興奮するような事もなかった。なので、その分をチャーミングな文学スタイルと私が考えるもの(つまらない謙遜など、私にはありませんのでね。読んでいけばすぐにわかります)で埋め合わせてはみたものの、その出版は世界を揺るがすようなイベントではなかった。しかし、何千人かの読者は喜んで読んでくれたようで、続編は書かないのかと定期的に尋ねられるようになった。
私の答えはいつでも、「その為にはまず、生きなければなりませんから」、であった。
私は、(サイエンスフィクション作家と未来学者にとって常に非常に重要な)2000年という象徴的な年まで待ってから書くべきだと考えていたのだ。しかし、2000年には私は80歳になるはずで、そこまでたどり着けないという事もありうることだ。
70歳の誕生日の直前、私がかなり深刻な病気にみまわれた時、我が愛しの妻のジャネットが、私に真剣に言ってきた。「3巻目を書きなさい。いますぐ!」
私はなんとか反論して、書いてからの12年間は以前よりもさらに地味なものであったと言った。一体なにを書けというんだ?すると彼女は、私の自伝の前の2巻は厳密に時系列に沿ったものだったことを指摘した。私は物事をカレンダーに沿ってきちんと順番どおりに語っていったが(18になって以来つけてきている日記のおかげである。我が卓越せる記憶力はいうまでもなく!)、内心どう感じていたのかについてはほとんど語っていなかった。彼女は第3巻には、以前とは違うものがほしいといった。起こった事の記述よりも、私がどう考えたか、どう反応したか、私の人生の哲学について、そしてその他のことがメインの回顧録がほしいというのだった。
私はさらに自信無げに、「そんなもの誰が興味を持つんだ?」といった。
すると、何しろ彼女は私の事に関しては私自身よりもさらに、つまらない謙遜はしないので、彼女は自信たっぷりに、「みんなよ!」と言ってくれた。
彼女が正しいとは思えないが、でも、もしかしたら正しいのかもしれない。という訳で、私は試してみる事にした。この本を、第2巻が終わったところからはじめるつもりはない。実際のところ、そんな事をするのは危険でもある。前の2巻はすでに絶版になっているから、この本を買って興味を持った人達(もっとおかしな事だって起こっているのだよ)がハードカバーでもソフトカバーでも最初の2巻を見つけることができずに、私に対して怒りを抱くようになるかもしれないのだ。
よって、私は自身が考えてきた事を述べながら私の全人生を書いて、これだけで完結した独立の自伝とするつもりだ。最初の2巻で行ったような詳細な描写は行わない。本を多くのセクションに分割して、それぞれのセクションで私の人生の様々な時期や、私に影響を与えた様々な人達について述べていく。そしてそれを必要なだけ続けていく−−もし必要なら、今現在まで。
こうすることで、あなたが私という人間の事を知って、そしてさらに、そう、なんだってあり得るのだから、私の事を好きになってくれるかもと思い、期待している。そうなってくれれば、うれしい。

*1:一部は(笑)、なんとか読みました。分厚い自伝が2巻もあって、しかも詳細な事実の羅列ばかりなので、あんまり面白くないという。とくにSF関係以外のところには、当時は興味持てなかったなぁ。

*2:売れなかったと言う事か?でもこの本が出た1994年の後に、早川はアシモフの初期作品集(アマゾンリンク [http://www.amazon.co.jp/dp/4150111367/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1240906925&sr=1-2:title=1]、[http://www.amazon.co.jp/dp/4150111421/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1240906925&sr=1-1:title=2]、[http://www.amazon.co.jp/dp/4150111553/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1240906925&sr=1-3:title=3])という、SFファンの義務感に訴えるほかに売り方があるのか?という本を出してるのに。え、アシモフが好きだと言っときながら、ひどい事言うって?アシモフはフィクションよりノンフィクションの方が楽しいし、さらにこの初期作品集はまだ10代とかの頃の若書きの作品なんですよ。アシモフによると彼の作品からようやくパルプくさくがなくなるのは1946年、彼が26歳の時から。俺も一応、3冊とも買ったけど、それは主にアシモフが作品の間に書いてたエッセイ的作品解説の為だったもの。

*3:一応、セクションタイトルとなっているSF関係者をセクションの番号順に全部上げておくと、フレドリック・ポール、シリル・コーンブルース、ドナルド・ウォルヘイム、ジョン・W・キャンベルJr、ハインライン、スプレイグ・ディ・キャンプ、シマック、ジャック・ウィリアムスン、レスター・デル・レイスタージョン、クラーク、ホーレス・ゴールド、アンソニー・バウチャー、ランドール・ギャレット、エリスン、クレメント、ベン・ボーヴァ、ジュディー・リン・デル・レイ、マーティン・ハリー・ゴールドバーグ、シルヴァーバーグです。名前書いてるだけで、楽しいなぁ。とか思うんだけど、SFマガジン6月号をみると、解説の中で全然知らない名前ばかり語られていて、愕然!ケリー・リンクぐらいしか知らない。アメリカにいる間、SFマガジンは買ってなかったし、F&SFやASIMOV'SやAnalogは購読してたけど読んでなかったから。時代は変わってるのね、という事なので、上記の作家(と編集者)の名前がどれだけ興味を引くのか、わからないが。