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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

我はアシモフ:9. 本の虫

1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第9セクション「本の虫」の翻訳です。翻訳してみて改めて思いましたが、俺はこのセクションに共感できる人向けに翻訳しています。


9.本の虫
すべての状況が私を若者としては普通ではない人生へと向かわせていた--「普通ではない」というのは、勿論、近所にいた平均的な若者達の平均的な生活と比べた場合だけのことだが。私にとっては、それは「普通ではない」ということではなかった。それはまさに望みどおりのものだった。本と一緒にいた私は、他の子供達を哀れに思っていた。
注意しておくが、私は完全に孤独に隔絶していたわけではない。私は人嫌いではないし、スーパーシャイな「孤独な人間」でもない。私は実際、非常に外向的な人間なのだ(と人から言われている)。声は大きいし、騒がしいし、おしゃべりだし、よく笑う。(時制は現在形を使った。いまでも明らかにそうだからだ。) つまり、私は同級生や近所の子供達と話す事は出来たし、たまには彼らと遊んだりもした。しかし、たまにだ。これには色々な理由がある。
1.キャンディーストアーで家族の仕事をすることになると、私の暇な時間はほとんどゼロにまでなってしまった。
2.非常にまれに遊ぶ機会を持つことが出来ても、私は荒っぽい遊びにはどんなものにも参加しなかった。とてもフレンドリーなものでもだ。私は小さくて、弱く、そしてケンカになると、必ず痛い目にあうのは私だった。
3.多くのゲームは、チェッカーや、トップスや、マーブル、そしてその他のものを賭けて行われる「取り合い」だった。勝ったら、負けたほうのものを取れるわけだ。非常に早いうちから、私は取り合いにはまったく向いていない事を学んでいた。もし私が自分の大事にしていた大切なものを負けて取られたら、取り返すことはありえないのだ。私の父がそういった安物の宝物を何度も買ってくれるということはありえない事はよく理解していた。私は「楽しみの」為だけにしかゲームをプレイしなかった−−つまり、勝利の栄冠がすべてで、みんな自分の持ち物はキープしているゲームだけだ。ほとんどの人にとっては、楽しみの為だけにプレイするのはまったく楽しくないようで、私は自分のやり方で遊ぶ機会をほとんど持てなかった。
思い返してみると、自分のどんなたわいない宝物も自分の腕にかけようとはしなかったというのは、随分つまらないことのように思われるだろう。しかし、その利点もあるのだ。これは私を、私の生涯のなかで、ギャンブルから遠ざけておいてくれた。たった一度だけ、ただ一度だけ、私はこのノー・ギャンブルの禁忌を破ったことがある。20代の初め、「普通の若者」のようになる誘惑に負けた私は、掛け金が低いと保障されて、ポーカーゲームに加わってしまった。
その後、罪悪感にさいなまされて、私は父にお金の為にポーカーをしたことを告白した。
「で、どうなった?」と父が穏やかに訊いてきた。
「15セント負けた」、と私が答えた。
「それは良かった」、と父はいった。「もし15セント勝っていたらどうだったかを、考えてみろ」父は悪習の習慣性のことをよく承知していたのだ。
このギャンブルに対する傾向はこの程度でとどまるものではない。単純にポーカーをしないとか、馬に賭けないとかいうもの以上のものなのだ。私の人生のすべての局面において、私は成功の確率を推定しようとしてきた。もし、私のみるところ、成功の可能性が取らなければならないリスクを大きく下回るならば、私はそんなリスクはとらないできた。もし適切な判断が下せれば、これはよい結果をだすし、私は明らかに適切な判断を下す事ができたようだ。少なくとも、私が行ってきた事はほとんど常に、うまくいった。他人には成功の可能性が低いように思えたときですら。もし、私に、低いようには思えないときには、それに全力で取り掛かり、そしてほとんどの場合、成功してきた。
それゆえ、私は愚か者以外のだれもおそらくは売れるとは思わないことについての本を書き、そして本は売れた。また一方では、私は常にハリウッドとのかかわりはよほど些細なもの以外は、その時はどれほど儲かりそうなものに見えようとも、失敗に終わると常に推定して避けてきた。これを後悔した事はない。
こういった事すべてから分かるように、私は近所の子供達の集団の中にはいなかったし、そして大きくなるとともに、さらにそれから離れていった。外向的であろうと無かろうと、無駄話好きであろうとなかろうと、私はその本質がアウトサイダーであった。私はこの事に傷ついて、私の残りの人生をダメにしてしまっていてもおかしくはなかったのだ。(私には、子供時代にアウトサイダーであった事が、大人になってからの人生を多かれ少なかれ狂わせてしまった友人がいる。)
しかしアウトサイダーであった事など、私は気にならなかった。私は一人きりでいた事を嘆いた記憶などまったくない。私には他の子供達が思いっきり走り回っているのを眺めながら、混ざりたいなぁと思った記憶はまったくない。それよりも、そういったことには嫌悪感を感じていたのだ。
お分かりだろうが、私には本があった。読んでいたかったのだ。
私の父が母と共にかそれとも一人で客をさばくことが出来て、キャンディーストアーに私を必要としなかった客足の遅い夏の日の午後の事を覚えている。店の外(必要な時にはいつでも手伝えるように)、壁に傾けた私の椅子に座って、私は本を読んでいた。
弟のスタンレーが生まれた後には、彼の面倒をみることになったことを覚えている。弟を乗せた乳母車を押して近所を20回も30回も回りながら、私は本を乳母車の取っ手にかけて読んでいた。
3冊の本を借りて図書館からの帰ってきたことを覚えている。1冊づつを脇に挟み、もう1冊を読んでいた。(これは私の母に「おかしな事をしている」と伝えられたので、私は母にしかられた。母も父も客に悪評が立つことを恐れていたのだ。私が気にしていなかったことは、お分かりだろうが。)
私は、言い換えると、古典的な「本の虫」だったのだ。本の虫でない者には、本を読んで読んで、人生のその輝かしい時をそのままやり過ごしてしまうこと、若き日の奔放な時を無駄にしてしまうこと、体を思いっきり動かさずにすごしてしまうなど、おかしな事のように思えるだろう。そんな事をするのは、悲しい事、悲劇ですらあるように思われるのだろう。そして一体何が若者にそんな事をさせるのかと驚くのかもしれない。
しかし、人生は幸せな時にもっとも輝くのだ。幸せな時にこそ奔放であり、思考と想像を思いっきり働かせることは、体のそれよりもずっと優れている事なのだ。もしあなたが自分の経験からその事をしらないならば、このことを伝えさせてほしい。良い本を読むことは、言葉と思考の楽しさの中に我を忘れてしまうのは、ある人達にとっては(たとえば、私)、途轍もない喜びなのだ。
平和と、平安と、喜びについて考えて思い出すのは、私はあの、のろのろとした夏の午後の時の自分である。椅子の背を壁にもたれさせ、本がひざの上にあり、ページをゆっくりめくっていく。人生において何度か、より激しい恍惚や、安堵と勝利の時はあっただろう。しかし、静かで平安な幸福についてなら、あの時に比べられるものはなかったのだ。