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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

我はアシモフ:10.学校

1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第10セクション「学校」の翻訳です。
アシモフがまだ神童だった頃の、いかにもアシモフ的エピソードです笑。


我はアシモフ:10.学校
学校は好きだった。教えてもらったことで難しい事は何もなかった。少なくとも小学校と中学校ではそうだった。全部が簡単で、私は優秀だった--そして私は優秀である事をひけらかすのが大好きだったのだ。
勿論、問題もあった。いつだって問題はある。クラスメートには全然人気がなかったことは置いておいても、ほとんどの教師からも気に入られてはいなかったのだ。クラスの中で私こそがもっとも頭のよい子供であるという避けがたい事実(そしてまたもっとも若くもあった)にもかかわらず、私はまたもっとも行いの悪い生徒でもあったのだ。注意しておくが、「行いの悪い」の基準が60年前と今*1ではまったく違っていたのだということは理解しておいてもらいたい。
今日の社会では、生徒がドラッグに手を出したり、学校に武器を持ち込んだり、教師を殴ったり暴行を働いたりすらする。
そういった行動は私が生徒だった時には想像だに出来ないことだったのだ。私がもっとも行いの悪い生徒であったのは、教室でこそこそと喋っていたからだ。私はいつでも回りの状況について論評したがっていて、何があってもそれをたまたま私の隣に座っていた子に話しかけずにはおれなかったのだ。
私の犠牲者はくすくす笑い出すし、そうなると教師の注意を引いてしまう。笑い出すのはいつでも私の隣に座っていた生徒だから、推理は簡単で私がにらまれる事になる。なんとも避けようがなかった。
なぜそんな事をしたのか?なぜもっとうまくやることを学べなかったのだろうか?分からない。たぶん、考える前に反応してしまうのだろう。私はこれを人生の中でずっと繰り返してきている。まあだんだんとやらなくなってはきているのだが、いまですらなにか面白いが非常にまずい事が起こった時には、口を閉ざす前についつい言葉が出てしまう。
そのため、この間もこんな事があった。ギルバート&サリバンの戯曲(私が情熱を傾けているものだ)の幕間の際、上演している劇場のロビーにて、ご婦人が私のところへやって来てサインを求めた。私が承諾すると(サインを断った事など一度もない)、彼女はこう言ってきた。「あなたは私がサインをお願いした2番目の方なんですよ。」
フムフムと私は尋ねてみた。「もう一人はどなたですか?」
ローレンス・オリヴィエです」*2、とご婦人は答えた。
すると、なんとも恐ろしい事に、私は言ってしまっていたのだ、「この事を知れば、オリヴィエも名誉に思うでしょうな」。
ジョークのつもりであった、当然ながら--humor by reversal*3--しかしご婦人は後ずさり、去っていった。彼女が知人全員に私がうぬぼれと傲慢のモンスターだと言いふらしていることは確信している。
さらに、単純に喋るだけでもないのだ。何かをしたりもする。上と同じ時、一人の老婦人が私に話しかけてきた(この頃には、お分かりだろうが、私もまた老人だったのだ)。「あなたと同じ小学校にいってたんですよ。」
「そうなんですか?」と、私は尋ねた。当然ながら全然覚えていなかった。
「PS202です」*4
興味が出てきた。私も実際、1928年から1930年までPS202に通っていたのだ。
彼女は言った、「あなたの事を覚えているのはですね、先生が何かを言った時に、何を言ったのかは忘れてしまいましたけど、あなたが先生に、間違っている、と言ったからです。先生は正しいと言い張ってましたけど、お昼休みにあなたは家に戻って、大きな本を取ってきました。そして先生が間違っているというのを証明したんです。覚えてますか?」
「いいえ」、と私は言った、「しかし、それはまさにアイザック・アシモフです。つまらない些細な事で自分が正しいと証明する為だけに、わざわざそんな事までして教師に恥をかかせて嫌われるようにする生徒は、これまで他には作り出されたことはないでしょうから」
そう、私は学校にいる間、博士課程にいたるまで、ずっと教師とは問題を抱えていたのだ。さらに言うと、私はどんなヒエラルキーの中でも私の上にいた人達とは問題を抱えていた。完全に自営業になるまで、私はまったくの心の平安を得た事はなかったのだ。雇われるようには出来ていないようだ。
それに関して言うと、雇うようにも出来ていないのではないかという強い疑いがある。少なくとも、私はこれまで秘書やその他のなんらかの助けとなる者をもとうと真剣に思ったことはまったくない。本能が、そういった関係は確実に私を悩ませることになると告げているのだ。一人で仕事をしていたほうがいい。結局はそうなって、そのままであり続けている。
時々、私に刺激となった教師がいたかどうと、どういう人だったかを、訊かれることがある。実のところ、覚えている教師はほとんどいないのだ。別段、彼らがどうこうという事ではなくて、私がとにかく自分の事で一杯だったからだが。しかしながら、三人の教師については心の中に残っている。
私が1年生の時に一時だけ教えられていた教師は、でっぷりしていて、暖かくて、愛くるしい人だった(そして黒人であった--私が教わった唯一の黒人教師だ)。彼女は私を飛び級させたのだが、私はクラスを出る時、私は先生がいいと泣いてしまった。彼女は私をポンポンとたたいて、私は行かなきゃならないというのだった。翌日、私が彼女のクラスに忍び込もうとすると、彼女は私を捕まえて、また外に出したのだった。
5年生の時には、マーティン先生がいた。彼女は(ほとんどの教師とは違って)、私の問題にもかかわらず私を気に入ってくれて、優しかった。どれだけ助けとなった事か。
6年生の時のグロウニー(Growney)先生は「厳しい」という評判で、生徒を恐れさせていた。彼女は生徒を叱り、怒鳴った。時折わたしにも。しかし私はそういうのには慣れていて、何てこともなくやり過ごせた。思うに、たぶん私が彼女をあきらかに恐れていなかったから、彼女も私のことを気に入ったのだろう。(早いうちに私は、「クラスで一番賢い子」は時折、殺人すら見逃してもらえるという事を発見していたのだ。)

*1:1990年ごろ。

*2:有名なイギリスの俳優。([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=25619027:title=wiki)]

*3:訳せないです。まあ通常の反応の逆をやるという冗談なんでしょうが、説明的にならずにどう訳せばいいのか。

*4:訳せません。ただ恐らくはこの「PS202」は学校、学区を意味するのだろうと思うので、そのように訳していきます。ちなみにgoogleで検索すると、ニューヨーク・ブロンクスのP.S.202 Ernest S Jenkyns School というのが出てくる。