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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

13. パルプフィクション

1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第13セクション「パルプフィクション」の翻訳です。
ここと次のセクションはアシモフのフィクションについての読書傾向のお話で、第二次世界大戦前のアメリカのジャンクフィクションについての事です。海外SFファンとしては、この辺りの事はなじみのある楽しい話なんですが、正直SFに興味のない人が面白いと感じてくれるのかどうかはちょっと不安です。でも、もしよかったら読んでみてください。


13.パルプフィクション
1920年代と1930年代には、テレビはなかった。コミックブックすらほとんど存在しなかったのだ。(確かに、ラジオはあった。そしてAmos'n'Andyといったプログラムは、一時は国民的な番組であった。)しかし全体的に、頭のジャンクフードのための環境的ニッチは、「パルプ雑誌」によって占められていた。
それは、安いパルプ紙に印刷されていたのでそう呼ばれた、長くはもたない雑誌達だった。すぐに紙が黄色になり、ボロボロになっていくのだ。カットされた端は揃っておらず、表紙もザラザラしていた。これらは「スリック雑誌」と呼ばれる、表面がツルツルした上質紙に印刷された雑誌とは対極をなした雑誌であった。スリック雑誌も私の意見では、おつに澄ましたジャンクフードではあったが。
パルプ雑誌は月1回発行されるものだったが、一部の雑誌は月2回発行されていた。さらには、毎週発行されるものすらあった。初期の頃のこういった雑誌は、いろんなタイプのメロドラマじみたアクションの話をごたまぜで載せていたが(そういった雑誌の例としては、ArgosyBlue Book)、やがてジャンルの特化が読者に望まれていることが明らかとなった。
読者は、探偵小説や、恋愛小説や、西部劇や、戦争小説や、スポーツ小説や、ホラー小説や、ジャングル小説や、その他の特定のジャンルのものを読みたかったのだ。できればその他のジャンルのものは排除して。というわけで、読者はその好みのジャンルに特化した雑誌を購入するようになっていった。
おそらく、すべてのパルプ雑誌のなかでもっとも成功したのは、スーパーヒーローに特化したものだっただろう。当然ながらその中でも最強のヒーローであったザ・シャドウは、月に二回、悪人たちをその奇怪な笑い声と幽霊みたいに動けるという能力でやっつけていた。「ブロンズの男」ドク・サベッジとその5人のなかなかコミカルな仲間達がいた。また、スパイダーがいて、シークレット・エージェントXがいて、オペレーター5がいた。G-8と彼のバトル・エース達もいた。彼らは独力で、ドイツ人科学者ハー・ドクター・クルェガーの悪しき機械を叩き壊しては、ドイツ皇帝の野望を打ち砕いていった。毎月、それをやっていたのだ。
私の父が図書館の貸出券を与えることで、私を守ろうとしたのはこういったパルプフィクションからだった。そして全体として、父は正しかった。父はこれらの(いや、私はもうジャンクとは言わない。私はこれらに非常に多くを寄っているのだから。)比較的低クラスの走り書きがどう私の役に立ってくれるのか、知る由もなかったのだから。
しかしながら、一旦私がキャンディーストアーで働き出すようになると、私をパルプ雑誌から遠ざけておくのはドンドン難しくなった。そして私はそれらを読む許しを求めて、騒がしくわめくようになっていったのだ。私は父がシャドウの雑誌を定期的に読んでいることを指摘した。父は、自分は英語を学ぶ為に読んでいるだけで、私はすでに英語を知っているのだからもっとましなことをするべきだ、と答えた。それはそうだったが、それでも私は要求を続けて、ついに父は降参した。こうして私は、図書館の本に加えてパルプ雑誌も読書に加えることができたのだ。
そして私がもっともすばらしいと価値をおいたのは、キャンディーストアーが私に与えてくれたパルプ雑誌達だった。この事こそが、私と労働を、長時間の労働と、そして疲弊させられるすべてのものとの関係を調和させてくれたものだったのだ。それこそが、キャンディーストアーが無くなった後も、私をその時の生き方に結び付けさせているものなのだ。もし私がキャンディーストアーで働いていなかったなら、私は雑誌を読むことなどまず出来なかっただろう。しかし私は働いていたので、そのすべてを読むことが出来た。とてもとても慎重に。そして誰にも触られたこともないかのように売り物の棚に戻したのだ。
私が10代半ばになり、自分自身で書きだすようになる頃まで、私は図書館の「良い本」とパルプフィクションの「低クラスの読み物」をおなじ貪欲さで読みまくっていた。では、私の書く文章に影響を与えたのはどちらだろうか?
申し訳ないが、それはパルプフィクションであった。
まず第一に、私はパルプ雑誌に、というかパルプ雑誌の中の特定のジャンル(すぐに説明する)になんとか載りたいと思っていたのだ。そして私はパルプ雑誌に載っている小説の文章のように書きたいと思っていた。純真さの無知から、それこそが文章の書き方なんだとおもっていたのだろう。
勿論その結果、私の初期の文章は極度にパルプくさいものとなった。形容詞と副詞を多用していた。人物は「言った(said)」のではなく、「怒鳴った(snarled)」*1。アクションは一杯あるが、会話はぎこちない。そして登場人物の性格など存在していなかった(その頃の私が性格付けというのが何なのかを理解していたとは思えない。)
驚くべきことは、そんな私の初期の小説が、というか少なくともその一部が、とにもかくにも掲載されたということだ。これは二つの要因に寄ると思う。第一に、パルプ雑誌はとにかく一杯出ていたので、水準は低くならざるをえなかった。でなければ雑誌が出せないのだ*2。そしてその水準は、私でも入れるほど低かったのだ。
第二に、作家としての私がもっとも興味を持っていたパルプフィクションのジャンルは、ジャンルとしての規模が一番小さく、そしてもっとも作家を必要としていた。よって私がもっとも入り込みやすいものであった。しかしながら時の経過と共に、私のジャンルの文学的水準も大きく上昇し、気がつけば(私はよく言うように)、もし私が10代の時の才能だけで今から挑戦したなら、たぶん入り込めないほどになっていた。
正しい時に正しい場所にいるというは、本当に大切なことなのだ。
たしかに、私はいつまでもパルプくさかったわけではない。私の文章も時と共に向上し、パルプくささはなくなっていった。しかし完全にではない。文章をよく知る人なら今の私の文章にもパルプのなごりを見つけ出すだろう。そのことについて、私としては、申し訳ない--が、しかし、私としては出来うる限りのことをしているのだ。
今のうちに、パルプ雑誌について何点か語らせておいてほしい。パルプ雑誌は第二次世界大戦前に繁栄した。そしてその時代、人種差別と差別的なステレオタイプはアメリカの日常のなかの抜きがたい一部だった。第二次大戦によりアドルフ・ヒットラーの人種差別と戦うことになることで、アメリカでは差別的見解を明らかにすることがまずいことになったのだ。
第二次大戦後に人種差別が無くなったと言っているわけではない。ヒットラーの例によって、いつだってどうしてもいる穴居人の間を除いては、人種差別が問題のないものではなくなったと言っているだけだ。人々は色々な面でまだ差別的なことをおもっているだろうが、しかしそれを明らかにすることには慎重である。そしてもしまともな人なら(そしてほとんど人はそうだが)、そういう感情と心のなかで戦おうとしている。
第二次大戦前には、パルプフィクションはまさに人種差別的なものであって、だれもがその事実を受け入れていた。それによって差別されていた者達すら受け入れていたのだ。差別をうける少数派の中には闘いを望むものはほとんどおらず、自分達の存在を主張するものもほとんどいなかった。
それゆえ、パルプフィクションのヒーロー達はいつでもかならず、北西ヨーロッパ系統のアメリカ人であった。
その他のものについては、まあ--もし彼らが出てくることがあるならば、イタリア系*3は薄汚れた街角のオルガン引き、ロシア系は夢見る神秘家で、ギリシャ系はオリーブ色の肌の信用できない連中、アフリカ系はお笑いキャラで、プロットの必要によって臆病者になったり人殺しになったりする。中国人はずるく残酷(これはフー・マンチュー博士が完全に問題のないキャラクターだった時代なのだ)。北西ヨーロッパ系以外のすべてのものは、現実には聞かれないようなひどい訛りで話す。(この点についていっておくと、この時期の映画もすこしもましではない。ほとんどの映画は、もし今上映されれば、啓蒙された観客*4にとっては非常に恥ずべきものだろう。)
そして、私ですらそういったことを全て受け入れていた*5
しかしながら、私が書き出すようになった時、私の文章はどれほどパルプくささがあろうとも、ステレオタイプは避けていた。これは私自身の功績だ。しかし、私の全てのキャラクターは、グレゴリー・パウエルやマイク・ドノヴァンといった名前をしていた*6。私が他の地域からの名前を使うようになるのは、もっと後になってからである。パルプフィクションには他にも非常に奇妙な特徴があった。女性は悪役からの脅威にいつもいつさらされるのだが、その脅威の内容は絶対に明らかにはされなかった。非常に強い性的抑圧の時代であって、性的な行為や脅威は「家族向け雑誌」においては、非常に遠まわしにほめのかすことが出来るだけだった。勿論、暴力とサディズムが充満していることは、だれも気にしなかった--それは家族向けにも問題なしだったのだ--しかしセックスはだめ。
このことは、女性をプロットにはなんら積極的に貢献しない、ただのマネキンにしてしまった。彼女達は(名前のない)脅威に脅かされ、捕らえられ、縛られて監禁され--そして勿論、傷つけられることもなく救いだされる為に存在していたのだ。
女性は悪役をより悪役っぽく、ヒーローをよりヒーローっぽくする為だけに存在していた。そしてその救出のなかで、彼女達は完全に受動的な役割をうけもち、その主な役目は悲鳴を上げることだった。戦いに参加しヒーローを助けた女性、棒なり石なりをつかんで悪人をやっつけようとした女性のことはまったく思い出せない(とはいえ、そういうまれな例もあっただろうことは間違いないと思っているが)。そう、彼女達は雌鹿のようなものであった。牡鹿達の戦いに決着がついて、どちらのハーレムについていくのか決まるまで、のんびりと草を食べている雌鹿のようなものだったのだ。
こういった状況のもとでは、パルプフィクションを読むような元気のあるどんな男性も(たとえば私)、女性キャラクターの登場には非常にいらいらさせられるようになっていった。彼女達はただの邪魔キャラにすぎないとあらかじめ分かっているものだから、私は女性を排除したかった。女性キャラクターについて文句をいう手紙を雑誌に送ったことを覚えている--その存在自体についてだ。
これは私の初期の作品で、女性キャラがおざなりだった理由の一つだ(唯一の理由ではないが)。ほとんどの場合、私は彼女達をまったく出さなかった。これは勿論、間違いであって、そして私のパルプの出自を示すサインの一つであった。

*1:何かの動作、この場合は「言う」こと、についても、利用可能な動詞の数は非常に多いですが、そのなかでシンプルな動詞を選ばず、状況状況でつぎつぎに同じ意味の異なる動詞を使っていくのは、下手な文章や作家志望のありがちな問題としてよく指摘されます。

*2:英語版wikiの[http://en.wikipedia.org/wiki/Pulp_magazine:title=パルプ雑誌の記述]によると、ある一つの雑誌社だけで一ヶ月に42のパルプ雑誌を出していたこともあったという。一つの雑誌に何本も短中篇・あるいは連載長編がのりのだから、何人もの作家が必要。そして他にも一杯雑誌社はあるわけで、とにかく質より量であった。

*3:原文は"Italians"。一応、イタリア系アメリカ人のことして訳しますが、ヒーローものは外国の悪役と戦いもするので、「イタリア系(人)」という表現のほうがいいかもしれません。以下も同じ。

*4:今の普通の観客のこと。

*5:アシモフはユダヤ人だから差別をうける側。

*6:勿論こういった名前は北西ヨーロッパ系の名前。