P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

18.フューチャリアン

1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第18セクション「フューチャリアン」の翻訳です。
フューチャリン、というは1930年代に出来た有名なSFファンクラブの名前です。このセクションはそのフューチャリアンへのアシモフの入会のエピソードでり、そしてアシモフによる友情についてです。あるいは、魂の出会い!、とでもいうか。このセクションを読んでアシモフに、お前ははてなの非モテブロガーか!と感じられる方もいるかと思います(え、いない?俺はちょっと思いましたよ)。なんかアシモフの友情観のわざわざの表明も、そしてそのバックにある彼の対人関係もちょっと歪んでるなぁと、俺は感じました。そのアシモフによる歪みの表明への感謝がこの翻訳の理由の一つです。そしてこのセクションは、アシモフの対人関係についての大きな変化の始まりについてでもあります。わかります、アシモフ先生!って、感じてます。勿論、SFファンダムはどうこう、ということではなくて、自分にあった、受け入れてくれるホームとなるところを見つけ出せるか、ということですが。


18.フューチャリアン
私は1930年代半ばまでには、サイエンス・フィクション「ファン」になっていた(この言葉は「ファナティック」(狂信者)を省略したものだ--冗談ではなく)。その意味は、サイエンス・フィクションをただ読んでいるだけではなくなった、ということだ。私はそのマシーンの中に飛び込むことにしたのだ。その一番簡単な方法は、編集者に手紙を書く事だった。
サイエンス・フィクション雑誌はみんなお手紙欄を持っていて、読者に手紙を書く事を勧めていた。私をもっとも惹きつけた雑誌はアスタウンディング・ストーリーズ(Astounding Stories)だった。この雑誌は1930年、クレイトン・パブリケーション(Clayton Publications)においてその歴史を始めたが、この雑誌は、そしてクレイトンも、大恐慌により1933年3月号をもって出版を停止してしまった。しかしその雑誌タイトルはパルプ雑誌出版の最大手、ストリート・アンド・スミス・パブリケーション(Street & Smith Publications)によって拾われた。
その死から半年後、アスタウンディングは1933年10月号とともに再生を果たした。編集長、F・オーリン・トレメイン(F. Orlin Tremaine)の発想豊かな指揮の下、雑誌はすぐさま最も成功した、そして最高のサイエンス・フィクション雑誌となった。雑誌は現在も存在している。もっともその名を<アナログ・サイエンス・ファクト−サイエンス・フィクション(Analog Science Fact - Science Fiction)>に変えてしまったが*1。1990年1月、雑誌はその60周年を祝った(しかし非常に残念な事に、病気の為、私は出席できなかった)。
アスタウンディングへ私が最初に手紙を書いたのは1935年だった。そしてそれは掲載された。ファンのよくある調子で、私は自分の好きな小説と嫌いな小説を列挙して、その説明を書き、そして雑誌の端をきれいに切りそろえることを求めた。パルプ雑誌のよくある、こすれて紙くずをそこらじゅうに待ちきらすデコボコの端ではなく。(最終的に雑誌は端をきれいに切るようになった。別段、彼らも気にしていなかったわけではないのだ。端をきれいにするのにも金がかかるということだった。)
1938年まで私はアスタウンディングに毎月手紙を書き、大抵それらは掲載された。それは私が思っていたよりもずっとすごい事であった事がのちに分かった。
他にもファンになる方法はあった。それぞれのファンが連絡を取り合うのだ(多分、雑誌のお手紙欄から。名前と住所が掲載されていたのだ)。もし会いにいけるところに誰かいれば会いに行って、小説について語り合い、雑誌を交換する、等々のことをするわけだ。これから「ファンクラブ」が誕生する事になった。1934年、雑誌の中の一つがサイエンス・フィクション・リーグ・オブ・アメリカ(the Science Fiction League of America)を組織し、参加したファン達はさらに広い範囲での友達を作る事が出来た。
キャンディーストアーの中に閉じこもっていた私は、ファンクラブの事など何も知らなかったし、リーグに参加しようなど思いつく事もなかった。しかし私と一緒にボーイズ高校に行っていた若者がアスタウンディングにのった私の手紙の名前に気付いて、1938年、私をクイーンズ・サイエンス・フィクション・クラブ(the Queens Science Fiction Club)へ招待するカードを送ってきた。
この機会に私は興奮し、すぐさま両親との交渉を始めた。まず、私はその集まりの間、私がキャンディーストアーにいなくてもいいことを確実にしておかなければならなかった。その後、両親に、交通費と、さらにクラブで何か食べたり、なにか買ったりするかもしれないのでその為の何十セントかを頼まなければならなかった。
ここで言っておくが、私はどんなこずかいももらった事はない。私は食べ物と、寝場所と、服と、そして教育の為に店で働いていたのであって、両親はそれで十分だとおもっていたのだ。そして私もそう思っていた。私は映画や、コミックストリップやその他から、こずかいをもらう子供達のことは知っていたが、しかし私はずっとそういうものは現実離れしたロマンチックなお話なんだろうとずっと思っていた。
なにか適切な目的のため(学校への交通費、昼食、そして時には映画のような娯楽)にお金が必要な時は、私は断られた事はなかったが、しかしとにかく頼まなければならなかった。自分の小説からの小切手を受け取るようになって初めて、私は銀行口座をもったのだ。そのお金は学費とその他の必要な学校関係の支出の為だけに使うという理解とともにだ。
後年になって、私に一銭も持たせないでおきながら、よく父は私にレジを任せたりしていたものだなと思うようになった。勿論、レジは売り上げをすべて記録する。もし私が時折やってくる25セントをくすねたりしたら、それはばれていただろう。しかし、キャンディーやタバコの小額の物を売って、その売り上げをレジに入れるのを「忘れて」、お金を自分のものにしてしまうことは実行可能だったのだ。しかし私はちゃんと育てられたし、そんな事をするなど私は思いつきもしなかった。明らかに、私がそんな事をするかもなど、父にも思いつきもしなかっただろう。
とにかく、私はファンクラブ・ミーティングに参加する許可と、その為に必要なお金をもらい、1938年9月18日、私は初めて他のサイエンス・フィクション・ファンに出会った。しかしながら、最初の招待の手紙とミーティングの場所へどうやって行くかを説明する2枚目の手紙の間にクイーンズ・クラブで分裂が起こっていて、小さな分裂グループが新しい組織を作っていた。(後々、私はサイエンス・フィクション・ファンというのはすぐに言い争う、議論好きの連中で、クラブはいつでも敵対する集団に分裂していくのだという事を理解するようになった。)
私の高校の友達は小さな分裂グループに属していた。何も知らなかった私は、クイーンズ・クラブに行かずに、そのグループに参加した。その分裂グループは、サイエンス・フィクション・ファンは反ファシストの立場をより鮮明に取るべきだとする活動家達で、元のグループはサイエンス・フィクションは政治に関わるべきではないというスタンスだった。もしこの分裂のことをちゃんと知っていたら、私はだんぜん分裂したグループの方についたはずだから、私は正しい選択をしていたわけだった。
この新しいグループはかなり長くて大げさな名前を名乗っていたが、一般的にはフューチャリアンとして知られていて、そして彼らはこれまで組織されたクラブのなかでももっとも驚くべきファンクラブだった。そのメンバーは聡明な10代達だったが、私の知る限り全員が崩壊した家族で、悲惨な、あるいは少なくとも不安定な子供時代を送っていた。再びまた、私はアウトサイダーだった。私にはキチンとした家族があり、幸せな子供時代を過ごしていたからだ。しかしその他の点で私は彼ら全員に魅了され、そして精神的な故郷を見つけたように感じた。
私の人生がどう変わったかを述べるには、私が友情というものをどう見ているかを説明しなければならない--
ずっと続く子供時代の友情、学友との長年の親交、よく一緒に酔っ払っては、兵舎での生活を懐かしむ軍隊時代の仲間、母校のつながりが一生続く大学時代の親友、そういったものを本や映画でしばしば目にする。
そういう事もあるだろう。しかし私はずっと懐疑的だった。一緒の学校に通っていただとか、軍隊に一緒にいただとかいう人達は、自分達が選んだわけではない、強制された親密さの状態の中で過ごしていたように私には思われるのだ。慣習と距離の近さからの友情といったものは*2、そんな環境になくとも、もともとお互いを気にいっていただろう人達の間で、つまり学校や軍隊といった人工的な環境の外部でも仲良くなれた人達の間に起こるもので、そうでなければそういったものは起こりはしないのだ。
私の場合、卒業後続いた学友との友情はなかったし、退役後もつづいた戦友との絆もなかった。部分的には、これは学校や軍隊の後にまた会う機会がなかったからだし、部分的には自分自身に夢中になってしまう私のせいだ。
しかしながら、一度フューチャリアンと出会った後は全てが変わってしまった。会うことはそうあるわけではなくて、そのうちの何人かとは長い間まったく音信のないことも時々あるのだが、それでもこの現在まで半世紀にもおよぶ緊密な友情が続いてきたのだ。
なぜだろうか?
ようやく、私と同じ炎を燃やす人達と出会ったからだ。私と同じくサイエンス・フィクションを愛する人達と。私と同じくサイエンス・フィクションを書きたいとおもっていた人達と。私とおなじ問題含みの聡明さを有する人達と。私はソウルメイトを意識的に認識する必要はなかった。考えたりしなくても、すぐにそう感じたのだ。実のところいくつかの場合、フューチャリアンの内部、そしてその外で、私は自分の好きでない人とすら、ソウルメートと永遠の友情を感じたのだ。
なので、私は自分のキャリアに大きな影響を与えたり、私の人生と様々に交わった人達についての短いエッセイをこの本で書いていくつもりだ。そしてそれには、フューチャリアンの有名なメンバーから始めるのが一番だろう。

*1:さらに名前を変えて、現在では[http://www.analogsf.com/0906/issue_06.shtml:title=アナログ・サイエンス・フィクション・アンド・ファクト]となってます。

*2:原文、"A kind of friendship-by-custom-and-propinquity"。