読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

32.失恋

1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第32セクション「失恋」の翻訳です。
短いセクションなんですけど、お待たせしてしまいました。本来ならとっくにアップできてるはずだったんですが、半年振りの論文のプレゼンやら、せっかく東京にいるのだから有名人を観にいこうと渋谷ユーロスペースでの「ダークナイト」上映を解説(?)の柳下毅一郎目当てに観にいったり*1してましたので。このセクション、前半は、共感いたします、アシモフ先生!、なんですが、終わりのところでアシモフが書いている、適度なコントロールが大切という事、正直、難しいなぁと感じます。適度なコントロール、ではなくて、私は抑制しすぎてなにも出来なくなる方なので。まあだからこそ、それができるアシモフロールモデルと持ち上げてるのですけどね。


32.失恋
19歳にして大学院に入る事で、ようやく私は若い女性のいるクラスに入る事ができた。運のいい事に、有機合成化学*2のクラスの隣の席の女性はブロンドの魅力的な人で、私よりたった1歳年上、そして私よりずっと優れた化学者だった。
(私が物理化学のクラスでAを取った3人のうちの一人となった時、彼女もまたそのうちの一人で、私よりもずっと容易にそれを取ったのだった。)
そういった状況下では私が恋に落ちたのも不思議ではないと、私は考える*3。あまりにあっさりとそうなったのは愚かではあるが、しかし思うに、とても自然な事であった*4
彼女がずっと優れた化学者だという事は、私にはまったく気にならなかった。今から振り返ってみると、この事はその時点までに私が自分の優先順位を変更していたのだろうという事を示す最大の証拠だと思われる。もっと若い頃、成績が私にとって一番重要だった頃には、私よりも成績のいい学生、あるいは良さそうに思える学生すら、私はまったく気にいらなかったのだ(とはいえ、酷く嫌ったりうらやんだりなどして時間を無駄にした事はなかったが)。もし私がその時点でも「頭のよさ」基準を持っていたら、化学で私よりも優れている彼女の事を好きにはならなかっただろう。
その若い女性は素敵な優しい人で、私が傷つかないように気を使ってくれた。私に対してまったく気はなかったのだが。私たちは何度か一緒に外出したが(それが私の最初のデートだった)、彼女は私の信じがたい不器用さに耐えてくれた。たとえば、外食はセルフサービスのカフェテリア以外でもできるということを教えてくれた上に、小さなレストランへ連れて行ってくれた。チップを渡さなければならない事を、非常に優しく教えてくれた後で。
そして、その時点までの私の人生のもっとも幸せな日は、1940年5月26日に訪れた。私は彼女をニューヨーク万博へ連れて行き、一日を彼女と過ごして、そして小さな口づけを何度か行いすらしたのだ。私はそれを「キス」だと考えていた。
しかし、そこまでだった。その頃までに彼女は修士号を取得していて、それで十分だと考えたていたのだった。彼女はデラウェア州ウィルミントンの企業に職を得て、そして5月30日、彼女は別れを告げ、悲しみに沈む私を後に残していった。
その後、私は彼女と2度会っている。一度目は、私がウィルミントンまで彼女に会いに行き、一緒に映画を観たのだった。そして四分の一世紀後、私はアトランティック・シティーへアメリカ化学協会(America Chemical Society)での講演をした。終了後、一人の女性が私に話かけてきた。「私を覚えている、アイザック?」
それは彼女で、私は覚えていたがもう恋愛感情はなかった。わたしはボードウォーク*5で、彼女と彼女の夫と一緒に夕食をとった。その頃までには、彼女には5人の子供がいた。
彼女が去った後の事は、今となると(今となると、とは半世紀経ったあとのことだ)、その時の経験のもっとも興味深い部分であったように思われる。私は失恋に苦しんだ。人生で初めて、そしてただ一度だけの、だ。
失恋とは、私の限られた経験からすると、愛する対象の喪失において、つまり愛の対象がその愛を返してくれず、関係を終わらせ(優しくか、それとも残酷にか)、そして去っていった時に、感じる痛みのことだ。あなたの愛した人は去ってしまった。しかしまだこの世には存在している。ただ手が届かないだけなのだ。これは愛する人の死による取り返しのつかない喪失と比べればまだましだろうが、しかしなんであれ、苦痛に満ちたものである。
長い間、私は笑いと幸せをなくしたまま、彷徨っていた。私には雲が空を覆い、太陽の光は力をなくしていた。あの若い女性以外の事はどうにも考えられないのに、彼女の事を考えると、胸が締め付けられ、息が出来なくなるのだ。人生は意味がなく、これを乗り越える事など、絶対に、絶対に、<絶対に>出来ないと思っていた。実際、そのまま倒れこんで、失恋により死んでしまわないのがなぜなのか、分からなかった。
不思議な事に、私はそれを乗り越えたのだがどうやってだったのかははっきりと覚えていないのだ。段階を踏んでいったのだろうか?心の重荷が一日一日、少しずつ軽くなっていったのだろうか?それとも、ある朝、急に口笛を吹きながら目覚めたのだろうか?立ち直るまでにどれくらいの時間が必要だったのかすら、覚えていないのだ。
そしてそれらが終わったあと、その後には傷は残っていなかった。それが私がましと言った理由だ。若い時に失恋を経験したほうが、その痛みも軽く、そして立ち直りもうまく行くのだろうと想像する。(誰かこういった事について調査をしていないかな?)この私の推測が正しいとして、私は20歳までにそれを経験できたのは良かったと思っている。
また私は、よっぽど感情的な人でもない限り、失恋した人にはかなりの程度の免疫がつくのじゃないかとも思う。少なくとも、私はその失恋の経験の後、自分の感情に支配される事が無いように非常に慎重になった。若い女性達に対する感情を抑制し、いい反応を受け取ったと思われる時にだけ感情を開放してやった。その結果、私は二度と失恋の苦しみを味わう事は無かった。
私は2度結婚した。愛ゆえに、であったが、しかし私はそれを非常に理性的に行ったと思う。そして一度目よりも二度目の方が、より理性的であった。

*1:でも正直かなり抑えた事しか言ってくれなくて、残念だった。

*2:"Synthetic organic chemistry."

*3:同意いたします、アシモフ先生!

*4:それが非モテのつらいところですな。

*5:原文は"the boardwalk"。Bが大文字ではなく小文字なので、地名とかじゃないですね。研究社リーダースによると、海岸などの板張り遊歩道とか。