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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

47. ビッグ・スリー

アシモフ SF

1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第47セクション「ビッグ・スリー」の翻訳です。

一般にビッグ・スリーというとかつてのアメリカ自動車業界の3社の事をさすかと思いますが、SF界ではハインライン、クラーク、そしてアシモフの事をさします。というか、さしてました。もう今は、3人とも亡くなってしまいましたからね。このセクションはアシモフがその「ビッグ・スリー」についてどう考えていたのかについて、です。

それからつい最近まで、翻訳のペースは週に一本というものでしたが、今週からまた一月ほど暇になりますので、恐らくは一日一本のペースに戻ります。できればこの1月の間に訳したいセクションは全てやって、I.Asimovの翻訳を終わらせたいと思ってます。

追記:じゃんさんのコメントにより、2ヶ所修正。


47. ビッグ・スリー
さて、私の職探しが惨状であった間、私の執筆の方はどうだっただろうか?
そちらの方では私は失敗などではなく、輝きを増す成功であった。研究に本当に取り組んでいた間は少しばかりペースが落ちていたものの、私はロボットものとファウンデーションものの両方を継続していた。増しゆく人気の下に、私が書いた小説は全てASFに売る事ができていた。
1949年までに私がサイエンス・フィクション作家の大物の一人であることが広く認識されるようになっていたことは、疑問の余地がない。ロバート・ハインラインやA.E.ヴァン・ヴォートと共に、サイエンス・フィクションが寄ってたつ三本柱の一人であるかのように考えているものもいたのだ*1
残念ながら、A・E・ヴァン・ヴォートは1950年に事実上、筆を折ってしまった。恐らく、ハバードのダイアネティクスへの興味がドンドン増していったからだろう*2。1946年には、しかしながら、英国の作家であるアーサー・C・クラークがASFに書き始め、そして彼はハインラインやヴァン・ヴォート同様(そして私とは違って)、すぐさま人気を獲得した。
1949年までには、ハインライン、クラーク、そしてアシモフを「ビッグ・スリー」と呼ぶ声が聞かれ始めるようになり、これはその後40年にも渡って続くことになった。全員、何十年にも渡って生きて、サイエンス・フィクションの分野に留まり続けたからだ*3。最終的には、我々三人ともに多額の前渡し金をもらい、自分達の本がベストセラーリストに載るのを見る事になった。(1940年代に誰がこんな事を予想しただろうか?)
今ではハインラインは没し、クラークと私が老体を震わせているため、次のような質問がされるようになった。「誰が次のビッグ・スリーなのか?」 私が思うに申し訳ないがその答えは、誰もならないだろう、だ。かつて、ビッグ・スリーは多くの人のコンセンサスで選ばれた。サイエンス・フィクションの作家の数は少なく、その中から傑出したものを選ぶのは容易だったのだ。
しかしながら近頃では、サイエンス・フィクション作家の数は、それも良いサイエンス・フィクション作家の数ですら、あまりに多いので、誰もが納得するような3人の作家を選ぶのは単純に不可能だろう。
しかし、これは大きな悲劇などではない。私はかねがね、ビッグ・スリーのメンバーが固定されているのは*4、自己実現の現象*5ではないかと思ってきた。我々はとても成功していたのでビッグスリーであった。しかし、その長きわたる成功には、我々が日々、ビッグスリーと呼ばれるという事実によってもたらされたものがなかっただろうか?私はそのことから利益を得てきたのだが、実はこれは人々を欺いているのではないかという疑念にずっとさいなまされてもきたのだ。
しかしながらともかく、もし私の執筆がとてもうまく行っていたのなら、なぜ私は職についてそんなにも心配していたのだろうか?問題は、お分かりだろうが、お金であった。
1949年までに、私は60の物語を売り、サイエンス・フィクションの第一人者と一般にみなされるようになっていた。しかしながら私がサイエンス・フィクションを書きそして売った11年間の間に、私が得た収入は総額で7700ドルであった--11年かけて、である。一年平均700ドルでは、結婚したカップルは生活できない。よって、私は他の何かが必要だったのだ。

*1:今から振り返ると、ヴァン・ヴォートの当時の人気ってちょっと意外だ。

*2:「ハバード」とはL・ロン・ハバード、サイエントロジー教会の創設者。もともとSF作家だったのが、ダイアネティスクを主張し、やがてサイエントロジー教会を作る。詳しくは[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=26951378:title=ウィキペディアを参照]。なにしろ元はSF作家だったので、このダイアネティクスの当初の支持者にはキャンベルやヴァン・ヴォートがいた。アメージング・ストーリーズ誌の編集長で空飛ぶ円盤騒動を生み出したレイモンド・A・パルマー同様、第二次世界大戦後すぐのアメリカSF界が外部世界に及ぼした2大汚点の一つ。

*3:1907年7月7日というスリーセブンに生まれたハインラインは1988年に没。よってビック・スリーの時代は40年ほど続いたことになる。他の2人については、1920年生まれのアシモフは1992年に没、1917年生まれのクラークは21世紀まで生き延びたが2008年に没。

*4:原文"the constant harping on the Big Three"。"harping"がうまく訳せない。まあ、意味はあってると思いますが。

*5:原文"self-fulfilling phenomenon"。これのうまい訳ってないかな。「自己実現」ってなにか今一だ。