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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

我はアシモフ:24.ロバート・アンスン・ハインライン

こんばんわ。水をかけたらマザーボードが壊れたThinkpad X40のLCDと、安く売られていたX41のマザーを組み合わせて、指紋読み取りセンサーがついているのにLCD下にはX40と刻まれているMy Thinkpad X40.5を最近作ったOkemosです。CPUはどっちもPenMの1.5なんですが、やはりなんとなく元のX40 よりX40.5の方が挙動が早い気がするなぁ。
さて、クラークについてのセクションの翻訳以来4ヶ月もたってますが、久しぶりの「我はアシモフ」の翻訳です。正直な話、経済関係のクルーグマンの翻訳などと比べると、「我はアシモフ」の翻訳はぜんぜん反応がありませんが*1、あれで翻訳がストップするとまるで俺がクラーク好きのように一部の人に捉えられかねない事が気になって夜も寝れませんので、誰も求めてないかもしれませんがハインラインについてのセクションを訳しておきます。実はSF界のビック3(というのもえらい古臭い表現だけど)のなかで、人間的に好きなのはアシモフですが、SF作家として一番好きなのはハインラインだからです。というか有名なSF作家の中で(無名なのは知らない人がいっぱいいるので含めません)、もっとも社会科学的なセンスがあったのがハインラインなんじゃないかと思ってます。まあこう書いて、その社会科学的なセンスってのはなんだ?と問われると困りますが*2

とにかくハインラインのセクションの翻訳です。なお、あらかじめ書いておきますが、俺はアシモフハインライン評にほぼ賛同しますし、そしてその尻馬に載ったかようなハインライン批判ぽい文章を少し脚注に書いてたりしてますが、それでも俺はハーラン・エリスンハインラインを恩人と考えているハインライン好きですので、お間違いなきようによろしくお願いします(って誰にことわってるんでしょうね?)


24. ロバート・A・ハインライン
ジョン・キャンベルとの最初の数年間に、私は後にサイエンス・フィクションの世界におけるスターとなる多くの人達と出会うことになった。そうして生まれた友情は、サイエンス・フィクションのコミュニティにおいてはいつでもそうであるように、終生のものとなった。
その理由は、我々は我々を理解しようとしない大多数からの悪意にさらされ、見下されている小さな集団の一員だとみんなが感じていたからだろうと私は思う。だから我々は暖かさと安心を求めて身を寄せ合い、終わる事なき親愛の情をはぐくんだのだ。作品掲載についての競争も仲たがいなどを引き起こす事はなかった。当時のサイエンス・フィクションの世界には大したお金は関わっていなかったので、そのせいで争うようなこともなかったのだ。本当に、サイエンス・フィクションへの愛の為に書いていたのだった。
(近年においては事情は違っているのだろう。1939年の10倍ほどの数のサイエンス・フィクション作家が存在しており、アドバンスや、映画化や、その他に関係するお金は、時折非常に高額なものになる。かつてのような親愛の情は、そういった条件の下では存在できないように思われる。)
いくつかの点において、私のもっとも重要な友情はロバート・A・ハインラインとのものだった*3。彼は非常にハンサムで、きれいに揃えた口ひげをはやし、やさしい笑みをたたえ、いつでも彼のそばに行くとどうにも私が無様で仕方ないような気にさせてくれる洗練された振る舞いを身につけた男性だった。貴族である彼の前で私は粗野な田舎者を演じるだけだった。
彼はアメリカ海軍に所属していたが、結核にかかり1934年に除隊になっていた。1939年、32歳の時に(サイエンス・フィクション作家にしては遅くに)彼はサイエンスフィクションの執筆に取り組み、彼の最初の作品である「生命線」 (ASF、1939年8月号)は私の「時の流れ」の一月後に掲載された。彼の第一作が現れた途端、感銘を受けたサイエンス・フィクションの世界は彼を現存する最高のサイエンス・フィクション作家とみなすようになり、そして彼はそのポジションを終生維持した。もちろん私も感銘を受けた。彼を称える手紙を雑誌に最初に送った者たちのなかには私もいたのだ。
彼はすぐさまASFの中心となり、そして彼とキャンベルは密接な友情を結んだ。もっともハインラインは、キャンベルが彼の作品を不採用にしないことを明らかにその友情の条件としていたが。
ハインラインは海軍からの除隊の事をずっと忘れることができなかった。真珠湾のニュースを聞いて、彼は軍に入隊しようとしたが認められなかった。そこで彼は民間人の立場で軍務につく方法をなんとか見つけようと東海岸に来たのだった。
海軍航空実験部隊(NAES)でのポジションをなんとか見つけた彼は、彼と共に働いてくれる聡明な科学者・技術者タイプを求めた。スプレイグ・ディ・キャンプ(彼についてはすぐにさらに述べる)からの協力を取り付けた彼は、私にも職をオファーしてきた。そして後に述べるように非常に悩んだ後、私は最終的にそれを受けた。
ところで、私とハインラインとの友情は私のその他すべてのサイエンス・フィクション関連の友情を特徴付けるスムースで平坦なコースを辿らなかった。辿らないだろうという事は、我々がNAESで一緒に働き始めるとほとんど同時にはっきりした。私は彼とはっきりと口論したことはないし(私は誰ともはっきりと口論したことなどない)、彼に背を向けるようなことをしたこともない。ハインラインが亡くなるまで、我々は会えば互いを暖かく歓迎したものだ。
しかし、その友情はある種の慎重さを含んだものだったのだ。ハインラインは私が知りそして愛してきた他のサイエンス・フィクションの関係者がそうであったような、気を使わずに気安くやれるようなタイプではなかった。彼は、人は人、自分は自分、といった事を信じてはいなかった。彼は自分が他人よりも物事を理解しているのだと感じており、そして他人が彼に同意するように教導しようとした。キャンベルもそうではあったのだが、しかし彼は他人が結局、彼に同意しなくともいつでも平静でいたのに対し、ハインラインはそういった際には怒り出すのだった。
私は、私よりも物事を知っているのだと確信していて私をしつこく悩ませるような人達とはうまく接する事ができないので、私は彼を避け始めるようになった。
さらに、戦時中は猛烈なリベラルであったのにも関わらず、ハインラインはその直後には頑固で極端な右の保守派になったのだ。これは彼がその妻をリベラルな女性のレズリンから、頑固で極端な右の保守的な女性のバージニアに変えた丁度、その時におこった。
ロナルド・レーガンもまた、彼が妻をリベラルなジェーン・ワイマンから超保守的なナンシーに変えた時にかわった。しかしロナルド・レーガンとは、そのそばにいる者の意見なら誰のものでもオウム返しにするような愚か者と私がずっとみなしていたような人物だった。
私はハインラインについてそんな風に説明することはまったくできない。私は彼がその妻の意見に盲目的に従うなど到底信じられないのだ。不思議に思ってその謎について考えてみたりもして(勿論、私はハインラインに尋ねてみるなど考えたこともなかった−−彼が答えようとはしなかっただろうこと、そして激怒しただろうことは確信している)、私はひとつの結論にたどりついた。私は、自分の政治的、社会的、そして人生についての哲学的見解を全体として共有しない人とは結婚しようとは思わない。
そういった根本的なところでまったく異なった誰かと結婚するということは、終生に渡る議論と口論を求めるようなものである。あるいは(そしてある点においてはよりひどい事に)、そういった事柄については絶対に話し合わないというはっきりとした了解を持つにいたる、という事になる。合意に至る可能性などありはしないのだ。家庭の中の平安の為だけに私は自分の意見を変更したりなどすることはないし、また変更してしまうような弱い女性なども欲しくはない。私は、そもそもの最初から私の見解と同じような見解を持つものと付き合いたい。そしてこれは私の二人の妻についてはまさにそうであったことを述べておきたい。
ハインラインについてのもうひとつの点は、彼は、あるスタイルを確立した後には流行のはやり廃りに関わらず一生それにしがみついていくような作家の一人ではなかった、ということだ。E.E.スミスがそんなしがみつき屋であった事はすでに述べたし、そして私もまたそうである事は認めなければならない。私が近年書いてきた小説は、1950年代に私が書いていたものと同じようなものなのだ。(この事について私は一部の批評家からの批判を受けた。しかし私が批評家の言うことに注意を払う日には、この空が落ちてくることだろう。)
それとは違って、ハインラインは時代についていこうと努めていた。だから彼の後年の小説は1960年代以降の文学の流行に関して、「それっぽくあった」*4。私が「努めていた」と書いたのは、私は彼が失敗したと思うからだ。私は他の人の文章を判断するものではないし(私自身のものについてすらそうだ)、そしてこのことについて主観的な意見の表明などしたくはないが、しかし私はずっと、彼がペンネームのアンスン・マクドナルド名義で書いた"Solution Unsatisfactory" (ASF 1941年10月号*5)や、1956年に出版された「太陽系帝国の危機」といった長編において彼がみせたスタイルを続けていてほしいと願っていたのだ。ちなみに、「太陽系帝国の危機」は彼が書いたもののうちのベストだと思う。
彼はサイエンス・フィクションの雑誌の狭い世界の外へも活動を広げた。彼こそが我々のメンバーのうちで最初に「スリック」*6への進出をはたし、「地球の緑の丘」サタデー・イブニング・ポスト*7に載せたのだ。彼がサイエンス・フィクション全体の為に前へと進んでいるのだと、後に続く我々の為に道を均してくれているのだとして自分を納得させるまで、私はこのことを非常にうらやましがっていた。ハインラインは、知的かつサイエンス・フィクション的であろうとする最初の映画、「月世界征服」の製作にも関わっていた*8。アメリカSF作家協会*9が1975年にグランド・マスター・アワードを授け始めたとき、ハインラインが皆からの喝采とともにその最初の受賞者となった。
ハインラインは1988年5月8日に80歳で亡くなり、サイエンス・フィクションの世界の外からも哀悼の意が多く表明された。彼は最後まで、最高のサイエンス・フィクション作家としてのポジションを維持したのだった。
1989年、彼の本、Grumbles from the Graveが死後に出版された。それは彼が編集者と、そして主に彼のエージェントに書いた手紙からなるものだった。それを読んで私は首をふりつつ、それが出版されなければよかったのにと思ってしまった。それらの手紙の中でハインラインは(私が思うに)、NAESの時代においてすら彼の中に見出せたが、世界に向けては明かされるべきではないと私が感じた心の偏狭さを明らかにしていたのだった。

*1:というか、これのひとつ前のエントリー「クルーグマン:私がなぜファースト・ベストの政策を諦めてサード・ベストに辿り着いたのか、あるいはすべて池田先生(みたいな人達)が悪いんじゃボケ!の巻」とかは反応ありすぎで驚きました。みんなリフレが好きなんですねぇ。あるいは池田先生(みたいな人達)がXXいなんですかね?

*2:一例をネタばれしつつあげると、「大当たりの年」は経済学におけるクズネッツの波やコンドラチェフの波のような社会統計における社会的な活動の波・循環から宇宙規模(少なくとも太陽系規模の)自然科学的な波・循環にまでつなげて、人間によるミクロと宇宙のマクロをつなげた非常に美しい作品でした。たとえばこれをあくまで宇宙における自然科学上でのこと、いうなれば天変地異による人間社会の崩壊を扱ったフィリップ・レイサムの「グザイ効果」(SFマガジン1985年7月号)と比べて欲しいわけです。以前SFマガジンに「大当たりの年」の紹介としてあるサイエンスライターの方による、循環は太陽系の天変地異によって引き起こされた変異であったという文章があり、「違〜〜う!」と(心のなかで)叫んでしまいました。確かに太陽の循環が作品の最後にあるわけですが、それは作品としての構成を考えれば当然でしょう。ですが、あれは太陽によって引き起こされた変異なのではなく、あくまでも統計の波・循環の要素のひとつに太陽のそれがあったと考えるべきでしょう。ハインラインは社会科学の教養と自然科学の教養を結びつけて作品を作ったのに対して、サイエンスライターの方の理解は自然科学偏重に思えるわけです。そして「グザイ効果」もそうです。自然は人間に影響し、その影響の下での人間ドラマが展開される、という。ビッグ3の他の作家の中で、これほどうまく社会科学と自然科学を数学を通して結びつけた作品を書いた人はいるでしょうか?クラークの[http://www.amazon.co.jp/dp/4150117195:title=「90億の神の御名」]は美しいが社会科学的とは思えないし、「星」は歴史の偶然性についての作品としても読めるが...。あと、社会科学的センスとか言ってしまうとル=グインはどうなんだとか言われかねませんが、俺の考える社会科学的センスは明らかに主流派経済学に大きく寄ったものである為、「所有せざる人々」とか好きなんですが、なんか違うと感じたりするわけです。あと、ル=グインの場合は逆に自然科学・技術的なセンスはどうなんだ?とも思いますので...要は好き嫌いだろうといわれれば、勿論そうです、はい。

*3:「いくつかの点において」ですからね。正直な話、この後を読んでもらえればわかるように、アシモフハインラインのことをあんまり好きではありません。嫌いということはないだろうが。アシモフがその友人のマーティン・H・グリーンバーグと編んだSF短編の年間ベスト集、[http://www.amazon.com/s/qid=1258898488/ref=a9_sc_1?ie=UTF8&search-alias=stripbooks&field-keywords=isaac%20asimov%20presents%20the%20great%20sf%20stories:title=Issac Asimov Presents The Great SF Stories]は1939年以降の各年に一巻を割り当ててその年のベストSF短編をグリーンバークが選び、アシモフがいつものごとくに巻頭の文章と各短編の紹介の文章を書くというアンソロジー集なのだけど、その初期の巻、つまり1940年前後の短編についての巻には当然ながらハインラインの短編が選ばれていて、アシモフは選ばれた短編の紹介の文書を書いているのですが、その選ばれたハインラインの短編は掲載されていません。代わりに掲載の許可が下りなかったとかいう文章が載ってました。今手元にその短編集がないので掲載できなかった理由がどの程度書かれていたか確認できませんが、とにかくなんであれこれをはじめて見たときはショックでした。ハインライン側には何かの契約上の理由とかあったのでしょうが、しかしアシモフのアンソロジーに選ばれたのにハインラインが掲載を拒否ってありですか。内部で仲良しのSFゲットーはいろいろ批判されてきたけれど、それでもSFゲットー的にありえないでしょう。

*4:原文"with it"。直訳的には原文の意味は、ハインラインの後年の小説は1960年代以降の文学に分類されるスタイルの枠内にあったという意味だと思われますが、短い文で揶揄している感じなので、揶揄の方を強めた訳にしました。

*5:未訳、と思われます。ハインラインでも未訳の小説ってあるのだなぁ。英語版Wikiの[http://en.wikipedia.org/wiki/Solution_Unsatisfactory:title=記述]によると核兵器を超えた兵器が登場する第2次世界大戦とその戦後についての架空戦記といったもののよう。ちなみにアシモフは1941年10月号掲載と書いてますが、Wikiには1940年に掲載となってます。アスタウンディングの作品リストが掲載されている[http://www.andrew-may.com/asf/list.htm:title=サイト]によると1941年5月号に掲載となってます。よってアシモフは間違ってるわけですが、5月号は5月以前に出版されるにしてもさすがに1940年中ということはないと思われるので、wikiの記述の方も間違っているのではないかと思います。それにしてもこの1941年5月号には、このSolution Unsatisfactory(アンスン・マクドナルド名義)以外に、[http://www.amazon.co.jp/dp/4150102813/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1258893977&sr=8-1:title=宇宙の孤児]のもとになったUniverseが掲載されているし、他の号でもこのころはアンスン・マクドナルドのペンネームを使ってハインライン2作掲載がいっぱいある。すごいね。

*6:SFやミステリといったジャンル小説が掲載されるパルプ雑誌ではない、より上質とされる小説などが掲載される高級誌。

*7:アメリカのかつてのスリック誌。日本人の一般的な生活にはまったく何の関係もない雑誌なのにも関わらず、ハインラインの「地球の緑の丘」が載った雑誌として日本のSFファンの間では有名。シャーロック・ホームズが掲載されていた事で[http://images.google.co.jp/images?rlz=1C1GGLS_jaJP354&sourceid=chrome&q=The%20Strand%20Magazine&um=1&ie=UTF-8&sa=N&hl=ja&tab=wi:title=ストランドマガジン]が日本のミステリーファンに有名、みたいな感じ。

*8:ハインラインはこの映画の[http://www.amazon.co.jp/dp/4488618111/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1258895860&sr=1-1:title=原作]を書いているだけでなく、映画の製作のノンフィクションと映画のノヴェライズも書いてます。それらは[http://www.amazon.co.jp/dp/4488715028/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1258895956&sr=1-2:title=こちら]で読めます。

*9:Science Fiction Writers of America。その名のとおり、SF作家の協会。ファンタジーが作品数、作家ともに増えたことを受けて、後にScience Finction and Fantasy Writers of Americaに改称。