P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

我はアシモフ:27.ジャック・ウィリアムスン

実はあんまり読まない事も多いまま、早川へのお布施として帰国以来毎号買っているSFマガジンですが、その2010年1月号は馴染みのある作家さん達*1が一杯載っていて楽しいです。まだ実は全部は読んでないんですが、読んだなかでスタージョンコニー・ウィリスが特に楽しい。スタージョンはいかにもスタージョンだし、コニー・ウィリスのジャック・ウィリアムスンのお話は読んでると顔の筋肉が緩みます。ジャック・ウィリアムスンの作品って、おそらく一つも読んでいないんですが、ねぇ。やっぱりSFファンだからなぁ。あんまり終わり部分には納得行かないが、まあそれは重要ではないですね。
で、その2作に影響されて、"I.Asimov"からジャック・ウィリアムスンとスタージョンについてのエントリーを訳す事にしました。まず最初はジャック・ウィリアムスン。アシモフはあまりジャック・ウィリアムスンと交流はなかったようで、このエントリーは非常に短いです。スタージョンの方もできるだけ早く訳して、できれば今日中にアップします。

27.ジャック・ウィリアムスン
ジャック・ウィリアムスンとはパルプ雑誌にぴったりのいかにもなアングロサクソンの名前だが*2、彼の場合はウソ偽りなどではなかった。彼の正式な名前は、ジョン・スチュアート・ウィリアムスン John Stewart Wiliamson、で、ジャックは自然なニックネームだった。
1908年生まれの彼は*3、今現在、間違いなくサイエンスフィクション作家の長老である。彼の最初の物語、「メタルマン」は1928年12月号のアメージングに掲載されたが、今でもまだ積極的に執筆しているのだ。私の知る限り、これは肩を並べられる有名な作家がまったくない記録である。彼もまた人に愛されている人物で*4、クリフ・シマックに次いで揉め事や批判のない人だった。1930年代の彼の作品を私は非常に愛していたものだった。
彼はキャンベル以前からキャンベル時代へ問題なく移行できた数少ない作家のうちの一人だった。そして彼は二番目(ハインラインの後)にアメリカ・サイエンスフィクション作家協会からグランドマスター・アワードを受け取った。
私がジャックの人柄の良さを知った初めての機会は、1939年、私の最初の物語、真空漂流、が掲載されたときだった。私は彼からの、「仲間にようこそ(Welcome to the ranks)」というポストカードを受け取ったのだ。それこそが、私はサイエンスフィクション作家であると感じさせてくれた最初の機会で、以来、私は彼の配慮と優しさのこもったこの行為について感謝を止めたことはない。
ウィリアムスは南西部で貧困の中で育ち、執筆を始めたときにはわずかな教育しか受けていたなった。しかし時が満ちるとともに、彼は学校に戻り、最終的には教授職についた。非常に驚異的な紳士なのだ。
クリフ・シマックの場合と同様、私が彼と会ったのは、我々両方ともが同じサイエンスフィクション・コンベンションに出た、まれな機会のときだけだった。

*1:別名、昔の作家。もっというとwriters in heaven。生きている作家もテッド・チャンとか、イーガンとか当然好きなんだが(あとスターリングはずっと好きだし)、気がついたら死んでしまっている作家さんの多いこと。恐ろしい。

*2:昔のアメリカでは差別を避けるためにアングロサクソン風の名前に改名したり、そういうペンネームを利用することが一般的だった。

*3:ハインラインと同年、しかしデビューはウィリアムソンの方が早かった。

*4:このエントリーの前は、クリフォード・シマックだった。