P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

なにが良い教師をつくるのか?

一応、教師をやってまして、日々、うーん、こんなんでいいんだろうか?と思いながら、講義をしてます。それなりに生徒の受けはいいんですが、でもどれだけ彼らが学んでくれているのだろうと考えると疑問が。というわけでThe Atlantic誌のこの教育についての記事に興味を惹かれ、訳してみました*1。文中のティーチ・フォー・アメリカの行動、なんについても必ず批判はありますから、きっとこれにも批判はあるんでしょうが、俺には実証に基づいた理想主義としてとてもよいもののように思えます。色々ありますけど、こういうことが行われているのがアメリカのとても良いところだと。
それにしても、良い教師になるには停滞せず、常に向上・変化していく意識を持たなきゃいけない、のは当然なんだけど、やはり実際にやるのは難しい...


何が良い教師をつくるのか?  アマンダ・リプリー 2010年 1/2月号
2008年8月25日*2、二人の少年がワシントンDCの南東地区の公立小学校に登校した。その前の春、二人とも算数のテストでは基準点*3を下回っていた。
一人はキンボール小学校へ登校し、ウィリアム・テイラー先生の数学のクラスへ向かう階段を上っていった。こざっぱりとしたパウダーブルーの教室で、時計もほとんどのコンセントもダメになっている。
もう一人は1マイル離れたプラマー小学校のとてもよく似た教室へ向かっていった。両方の学校で、80%以上の子供達は無料あるいは補助された給食の配給を受けている。夜になると、すべての子供達は都市部の同じ経済レベルの地域の家へと帰っていった。その郵便番号の地帯のほぼ四分の一が貧困基準以下、その警察の管轄ではほぼ毎週誰かが殺されているという地域だ。
学年の最後に、両方の少年はDCの公立校すべてで行われる同じ標準テストを受けた。その学力を測る完全なテスト、というわけではない事は確かだが、しかしそれなりに客観的なものだ(そしてこれは言っておくべきだろうが、あまり難しくもない)。
テイラー先生のクラスでの一年間の後、最初の少年の成績は上昇した。非常に、だ。その子は基準点以下から出発して、基準点を上回って学年を終えた。平均して、その子のクラスメート達の成績は13ポイントほど上がった。これは、その年のDCの低所得地域のその他の学校の5年生達が受けた同様のテスト*4での成績をおよそ10ポイントも上回っている。学校での最初の日には、テイラー先生の生徒達のたった40%が算数の基準点レベルに達していた。学年の終わりには、90%が基準点、あるいはそれ以上だった。
もう一人の子はどうだっただろうか?その子はその学年を、はじめた時と同じように終えた。基準点以下で。実のところ、プラマー小学校の5年生たちのたった4分の1しか、算数の基準点に達してその学年を終える事ができなかった。すぐ近くのテイラー先生のクラスと最初の時はほぼ同じレベルだったのにもかかわらず。
この二人の少年の、そして彼らのような何百万の少年達の物語は、教育についての研究でのこの10年の最も素晴らしい発見を体現している:教育において、その他の要因を差し置いて最も重要なのは、学校やカリキュラムではなく、教師だという事だ。具体的に言うと、もしテイラー先生の生徒達があと数年その調子で学習していけたならば、彼らの成績はずっと裕福なDC北東地区の子供達と変わらなくなる。そしてもし上記の子供達がそれぞれの教師をあと3年持ち続けたならば、彼らの人生は全く完全に異なったものになってしまうのだ。高校までには優れた教師の、そしてダメな教師の累積効果はあまりにも大きくなってしまうのだ。
親たちは子供達をどこの学校に進学させるかについて、いつでもずっと心配してきた。しかし学校は統計的にいって、子供達の前に立つのがどういう大人なのかほどには重要ではない。教師の質は学校間でよりも、学校で、良いとされる学校においてすら、違っているのだ。
しかし、これまで優れた教師を信頼の置ける客観的な方法で見つけだそうとはされてこなかった。そのかわり、優れた才能を何か謎めいた資質に帰し、それを認めて崇めてさえきたが、しかしそれを生み出そうとはしてこなかった。優れた教師はヒーローとはなっても、皮肉な話だが、学ぶ対象ではなかったのだ。
しかしついに、教師の影響についての研究が無視することができないほどまでになってきた。この一年、オバマ大統領とその教育長官アーン・ダンカンは優れた教育についてとても頻繁に語り始めている。彼らは主題を学校の責任、つまりジョージ・W・ブッシュ大統領のもう古臭くなってしまったノー・チャイルド・レフト・ビハインドのテーマから、教師の責任に移したのだ。そして、彼らは非常に効果的な手段を使ってそれを行った:数十億ドルのお金、である。
景気対策の僥倖により、ダンカンは通常、教育長官が使いうる額の2倍以上の予算を手にした。その結果、彼がレース・ツー・ザ・トップ(Race to the Top) と呼ぶ計画に43億ドルの予算を当てる事ができた。正確に言うと、それでもまだ約1000億ドルという彼の予算総額のほんの小さな部分でしかないが(その予算の大半は連邦政府によって学校の銀行口座に直接振り込まれる。それらの学校が振り込まれたお金に値するかどうかはさておいて)。しかし、州政府の160億ドルにもなる教育関係予算の赤字が見込まれている年には、43億ドルは大金だ。「これは教師の能力改革のビッグバンです」、と学校の良い教師のリクルートを助けるノンプロフィットのニュー・ティーチャー・プロジェクトのトップであるティモシー・ダレイは語っている。
元気のいい名前ではあるが、レース・ツー・ザ・トップはマラソンである。そしておそらく非常につらいものだ。勝つためには、州政府は性善説(see-no-evil)の教育界、つまり教師組合が生徒の成績に基づいて教師のパフォーマンスを計り、そのデータを教師の報酬にリンクさせる事に反対してきた教育界においてはラディカルと見なされるような一連の事を行っていかなければならない。州政府は優れた教師を見つけだし、彼らがどうやっているのかを発見して、そしてそういった優れた教師を増やしていく事に取り組まなければならない。「これは未来の波です。やらなければならない事なんです。何がうまくいき、何がうまくいかないのかを見つけていかなければならないのです」 ダンカンは私にそう語った。「当たり前のことのように聞こえるでしょうが、しかし革命的なんです」
生徒のテストの成績からすると、テイラー先生はDCの全ての算数・数学教師のトップ5パーセントに入る。彼は愉快な人物だが、べつに生まれながらの才能(born performer)のおかげではない。とてもよく準備を行うが、しかし彼は教師になってたった3年でしかない。生徒達のことを気遣うが、しかし彼よりも劣る同僚達もそれは同じ事だ。では彼は何が違うのだろうか?
アメリカの一つの組織がこのミステリーについて10年以上も系統的に取り組んできた。何十万もの子供達を追跡調査し、なぜ一部の教師達が子供達の学力を一年でずっと向上させる事ができるのか、そして他の教師達はなぜそれが出来ないのか、について。その組織は、興味深い事だが、学校ではない。
ティーチ・フォー・アメリカは低所得地域の学校で2年間、教鞭をとらせるために大学卒業者をリクルートしているノンプロフィット組織だ。正規の教育現場の外側からはじまったもので、今でも主に外側にいる。何年にも渡り、自分達の仮定を試してみては、仮説を検証し、そして採用と訓練を向上させてきた。時間をかけて、通常ありえない研究所を作り上げてきたのだ。今年だけで、50万人近いアメリカの子供達がティーチ・フォー・アメリカの教師達による授業を受けており、そしてこの組織はそれらの子供達の85%から90%について、テストの成績データを追跡し、それぞれの教師とリンクさせている。それらの生徒達のほとんど全部は貧しいアフリカ系アメリカ人か、ラティーノだ。そしてティーチ・フォー・アメリカはその7300人の教師についての普通はないような規模のデータを保持している。これはDCの教師全体のほぼ2倍のサイズだ。
最近まで、ティーチ・フォー・アメリカはその調査を外部にはあまり公開してこなかった。しかしこの記事の為に、この組織は20年に渡る挑戦と失敗に彩られた実験へのアクセスを許可してくれた。その結果はとても詳細で驚くようなものだ。貧しい学区で新人教師が成功を収める役に立つのではないかと思われるようなこと、たとえば低所得地域での活動に従事した経験などは、関係がないようなのだ。そして他の関係がないように思われること、たとえば教師の大学時代での学外での成果などが、優れた成果をよく予測できるようなのだ。
スティーブン・ファーは、深く落ち着いた声をもつ長身の人物だ。彼はティーチ・フォー・アメリカの、言うならばインハウス・プロフェッサーである。彼の仕事は素晴らしい教師を探し出し、研究して、そして他の者達を同様の成果が出せるように鍛える事だ。彼は自分の仕事を非常に真剣に取り組んでいる。それは主に、現状がどういうものなのかを間近で見てきたからである。
ファーはテキサス中央部の教師の家庭で育った。1993年、テキサス大学を卒業した時、彼は哲学の学位とイェールのロースクールからの入学許可を手にしていたが、そのどちらも彼にはあまり意味あるものに思えなかった。それで彼は、ロースクール入学を延期して、新しく出来たばかりの組織、ティーチ・フォー・アメリカに加わった。
幾分むらのある訓練を一月と少し受けたあと、ファーはテキサスのリオ・グランデ・ヴァレーにあるドナ高校へと向かった。彼がそれまで一度も訪れたことのない場所であった。彼のクラスの35、6人の生徒の多くは移民労働者の子供達で、その家族が農作物の収穫を追っていくと*5、時には何週間もクラスに姿を現さなくなった。
その2年間についてファーと話すのは、戦争から帰ってきた復員軍人と話すのと少し似ている。あなたも相手も、それがどんなものだったのかあなたが理解する事は永久にないと分かっていているのだ。だから決まり文句が出てくることになる。「最も厳しく、最も誇りに思える、その全てが」、彼はゆっくりとした話した。そして、「私は、我々の教師達にそうあって欲しいと思えるような教師ではなかった」。
ファーは他に三人のティーチ・フォー・アメリカの教師達と、連邦保安官による麻薬取引捜査の中で没収された家に住んでいた。彼は英語と、第二言語としての英語*6のクラスを教えた。テキサス州は生徒達が卒業する前に共通テストに合格する事を必須としており、そのテストの日が近づくと、ファーは不安と怒りが混ぜ合わさったものを感じ取るようになった。
一ヶ月後、彼は知らせを受けた。彼の生徒達の76%は合格したが、24%は卒業の為に必要な言語スキルがないと告げられた、と。その多くはまだ2年生であったが、彼らの一部は知らせを受けてドロップアウトした。この76%という成果について校長は彼を称えたが、しかしファーはその夜、枕を涙でぬらすこととなった。「あの子たちの何人かは、私が十分に効果的でなかったから合格しなかったんだ」。
2年が過ぎた後、ファーは計画通り、ロースクールに入学した。そして2001年、彼はティーチ・フォー・アメリカに戻ってきた。今回は、訓練とサポートの責任者として。その頃までに、この組織の設立者であるウェンディ・コップは、クラス訪問から不可解な事があるのに気がつくようになっていた:ティーチ・フォー・アメリカの教師達は良い仕事をしている。しかし少数の教師達は、驚異的なほどの成果を上げていたのだ。そして何故なのかは判っていなかった。
ファーはそれを見つけ出す任に当てられた。2002年から、ティーチ・フォー・アメリカは生徒達のテストスコア向上のデータを使って、教師達を三つのカテゴリーに別けることをはじめた:一年の間に、生徒たちの学力を一年半、あるいはそれ以上*7伸ばす教師、一年の間に1年から1年半分伸ばす教師、そして一年分以下しか伸ばせない教師。最初は、信頼できるデータの入手が困難であったし、多くの教師達はどのカテゴリーにも分類する事ができなかった。さらに、ファーも認めるように、データは教師が持つ生徒へのインパクトを完全に表すものでもないのだ。しかし、ほとんどの子供達が基本的なスキルを欠くような悲惨なほど失敗している学校において、闇の中からどうにか進む道を見つけ出すには、優れた、確実な計測のステッキを使うほかはなかったのだ。
ティーチ・フォー・アメリカがそのデータを用いて特に優れた教師を選定しはじめるとともに、ファーは彼らの観察をはじめるようになった。彼らのクラスを観察し、そのレッスンプランを読み、方法、信念について彼らと話をしてみた。彼とその同僚は1年に少なくとも4回、ティーチ・フォー・アメリカの教師達をサーベイし、彼らがどうやっているか、そしてどういった訓練が特に役に立つのかを知ろうとした。
すぐに、あるパターンが浮かび上がってきた。まず第一に、優れた教師は、生徒に対して高いゴールを設定する。また彼らは常に、その能力を向上する方法を探し続けていた。たとえば、ファーが大きな成績向上を成し遂げた教師に電話して、彼らの教室への訪問を頼んでみると、彼らは皆、同じ反応を返す事にファーは気がついた:「彼らは、『ええ、良いですよ。でも、あらかじめ言っておきますが、いまクラスの改革をやっている真っ最中で、読書のやり方を変えているところなんですよ。思っていたほどうまくいかなかったので』。これを何度も何度も聞くのに、他の教師達からは聞く事がなければ、仮説を思いつくようにはなりますね」。優れた教師は、と彼は結論づけた、いつでもそのやり方を再評価しつづけるのだ。
スーパースターの教師達には、他に4つの共通点があった:彼らは生徒とその親達をクラスの活動の中へ熱心に取り込んでいく。焦点がぼける事がなく、全ての事が確実に生徒の学習につながるようにする。翌日の事であれ一年先であれ、望ましい結果から逆算して、目的をもって徹底的に計画する。そして、休みなく働き続けて、貧困、官僚主義、そして予算不足が混ざり合った脅威に屈する事を拒む。
しかしファーが彼の見出した事を教師達に伝えた時、彼らはさらに多くを求めた。「彼らは、『なるほど。で、もっと具体的な事を教えてくれますか。このレッスン・プランを立てるのに、これはどう役に立つんです?』」。よってファーと彼の同僚達は、彼らが見出したハイレベルの原則に当てはまる具体的な教師の行動のリストを作り出した。たとえば、優れた教師達の、生徒達が確実に学ぶようにするための方法の一つが、理解しているかどうか頻繁にチェックすることだ:子供達が、すべての子供達が、あなたの言っている事をちゃんと聞いているだろうか?「だれか質問ある?」と聞くのは新人の古典的な間違いで、それだけではダメなのだ。生徒達は必ずしも自分達の学習のもっとも良い判断者ではない。シェークスピア劇から読み上げられたなにかのセリフを理解しているかもしれないが、その劇で何が起こっているのかを何も理解していないかもしれない。
優れた教師は効果的な教育は、神秘的でも不思議なものでもないといいます。それは熱血の性格や、劇的なパフォーマンスの結果ではないんです」、と2月に出る、ファーと同僚による本、リーダーシップとしての教育の中でファーは書いている。その本の中で説明される教育のモデルは、ファーが慎重に述べるように、成功の為の唯一のものではない。しかしそれが授業を改善する事を彼は確信している。そしてすでに、そうなっているのだ。ティーチ・フォー・アメリカの内部資料によると、2007年、その教師の24%が生徒達を一年半分かそれ以上、向上させた。2009年、その数字は44%にまで上がった。このデータは学校テストに大きく依存しているが、そのテストの質は州ごとに異なっている。テストが利用可能でないか、あるいはあまりに易しすぎる場合、ティーチ・フォー・アメリカは教師達が他の信頼できる判断手段を見つけるかデザインする助けをしている。
これまでのところ、ティーチ・フォー・アメリカの実効性についての、独立の機関による選択バイアスのない(random-assignment)研究は、ひとつしか行われていない。Mathematical Policy Researchによる2004年のそのレポートは、ティーチ・フォー・アメリカの教師達について調査して、算数・数学において、かれらの生徒達は、より教師歴の長いその他の教師達の生徒達を有意に上回っていることを発見した。(しかし、英語の読解力においては違いがなかった。) 別の研究が2012年か2013年に報告される事になっている。
ワシントンDCの5年生の算数教師、テイラー先生は、ティーチ・フォー・アメリカのメンバーではない。彼はDCの公立校で学びながら育ち、そして伝統的な経路を辿ってその職業についた:大学では教育を専攻し、そして教育の免許をもらった*8。しかしテイラー先生はファーがもっとも有能だと判断した教師達との共通点が多くある。
通常の月曜日、テイラー先生の子供達はクラスに来ると、黒板に書かれた「今日の問題」に黙って取り組み始める。彼らは四つで一塊となった机に座っている。それぞれのグループには、テイラー先生に各月ごとに選ばれたリーダーがいる。
テイラー先生が入ってきて、おはようと告げる。「おはよう!」と子供達が声を合わせて答える。先生はマフラーをし、黒と白のピンストライプのカーディガン、そして小さな丸いDolce&Gabbanaのめがねをかけている。疲れているように見える。先生は週末に、教育管理の修士を得るためのクラスを取っているのだ。先生はブルートゥースのヘッドセットを片耳に、そしてもう一方にイアリングをつけている。
数分後、テイラー先生は暗算の時間だと告げる。子供達は鉛筆を下ろして、オレンジのカードとマーカーをその机に並べる。テイラー先生がクラスを歩き回り始めて、問題を読み上げる。「45にはいくつ5がありますか?」*9 子供達は暗算をしなくてはならない。そして全ての子供達がその答えをカードに書き、それを頭の上にさしかざす。一瞥して、全ての子供達が正しい答えを出した事を確認する。そして、「答えは?」と彼は問う。するとすべての子供達が声を上げて、「9!」、と答える。答えが正しいと、小さな声で”イエス!”と喜び、そして手をたたくのだ*10。誰かが間違えていても、その子が一人だけ手をあげて間違いを答えるわけではないので恥ずかしい思いをする事はない。しかし、テイラー先生は彼らをもっと注意して見ていかなければならない事、というか、より正確には、チームリーダーが子供達の面倒をみるようにしていかなければならない事を知っている。先生が学んだように、子供達はお互いと、大人には良くわからない自分達の言葉で話すのだ。
「それでは、クイズを出していきますよ」、テイラー先生が言う。「3かける120は?」オレンジのカードが下に下がり、そしてまた上がる。「オー、オー、オー!」小さな女の子が一人、堪えられずに叫んでしまう。「オー?それが答え?」テイラー先生はそういって、この子を黙らせる。
次に、テイラー先生は黒板に向かうと、大きな桁の割り算の新しいやり方を説明する。それはすこし時間がかかるが、他の大半のやり方よりもずっと優しい頭のよい方法で、私がそれまでみた事がないものだった。「長く、厳しく取り組むのではなく、うまく取り組みたいでしょ?」、彼は後に私に説明した。「伝統的な方法だけを説明していたら、全員が理解できるというわけではないですから」。実のところ、彼はその方法を去年、学んだのだ。生徒の一人から。
テイラー先生は、教育者達からしばしば「私がして、みんなでして、君がする (I do, we do, you do)」と呼ばれるとても基本的なレッスンプランに従っている。黒板でまず問題を解く。そしてクラス全部で別の問題を同じやり方で解く。それから、全部の子供達がまた別の問題を自分で解くわけだ。このレッスンの「みんなで」部分の間、テイラー先生は何人かの生徒達に問題を解く助けをしてくれるように求める。しかし彼はこれを"equity sticks"を使って行うのだ。洗濯バサミが入ったカンで、それぞれに生徒の名前がついている。このやり方で、生徒がランダムに選ばれるようにしているのだ。シャイな目立たない子が埋没してしまったりする事はない。
子供達がグループワークに取り掛かると、クラスの中は小さなつぶやきで満ちるようになる。算数について話していない子はいないか探してみたが、見つけられなかった。小さな男の子は自分の机から身を乗り出して、他の子の問題を手伝っている。「8に何たしたら16になる?」その子は尋ねてから、待った。「8」、ともう一人の子が言う。「だったら、」最初の子が言う、「それを引いたら何になる?」
クラスの活動は、子供達が心得ているルーチンに従って、ポンポンと進んで行くので、合間に時間が無駄にされることはない。「リーダーシップとしての教育」の中で、ファーはほかのハイ・パフォーマンスのクラスでのそんなスムースな進行を目にした時の事を描写している。「ルーチンがとてもよく受け入れられていたので、実質的に教師からの関与なしでクラスが進むのであった。実のところ、多くのとても有能な教師達に関して、ルーチン化がうまく行っているかどうかの基準は、教師がいなくてもそれが進むかどうか、である」。
正面の壁では、テイラー先生が色々な手のサインを送っていた。もし生徒がトイレに行きたいなら、握った手を上にあげる。質問をしたい、あるいは答えたいなら、開いた手をあげる。「こうすると、問いかけるまでもなく情報が入ってきますから」と、テイラー先生は説明した。サインの中には、今日はひどい日なので何にもしたくない時の為のものもある:机の上に頭を乗せておけばよい。私はテイラー先生に、子供達がこれをどれくらい使うのかについて聞いてみた。「頭を乗せていた子はいませんでしたよ」と、彼は当たり前の事のようにいった。「三年間で?」と私は尋ねた。「なしです」。
次に、テイラー先生は掛け算ビンゴの時間だと告げた。テイラー先生が問題を読み上げる(「20を5で割ったもの」)、子供達はビンゴのボードを探し回り、手で意見を交わし*11、4を探す。一人の女の子などは興奮して本当に震えてしまっている。他の子は祈りるかのように手を握り締めている。私も混ざりたくなってきた。手をあげようとする自分自身を止めなければならない、それはつまり私は素晴らしいクラスの中にいるという事だ。
12問の問題が終わった後、最後に、小さな小さな男の子からの小さな声が、「ビンゴ!」を告げた。その小さな子がテイラー先生から賞品(鉛筆一本)を受け取りに前へ行くと、子供達は嘆きの声をあげた。「もう!」一人の女の子がそう言う。「まあまあ、落ち着いて」、とテイラー先生が微笑みながら言う。「ただのゲームだよ」。子供達が退室する前に、すべての子供達は"exit slip"に書き込んでいく。これには大抵、問題が一つある。テイラー先生が、子供達が、そして自分自身がうまくやっているかどうかを知るための、また一つの機会というわけだ。
クラスの後、テイラー先生と話した時、私は彼が質問を、彼がうまくやっているかどうかの質問に修正することに気がついた。私が彼にこの仕事での最初の年は大変だったかと訊いた時、彼は、「子供達は難しくないことがわかりました。彼らに情報を説明する事が難しいんです。頭の中にどう教えるかの図を描くわけなんですが、実際に教えてみると、誰も理解してくれないんです」。
ワシントンで話をした全ての教師同様、テイラー先生も親の関与のなさを嘆いた。「休み明けの夜、もしクラスに28か30人の子供がいるなら、6人か7人の親御さんと会えたら幸運といったところです」、と彼は言った。しかし私が彼にそれがどうクラスでの教育に影響するかを尋ねてみると、彼は「実のところ、関係ないです。親御さんに電話するのも仕事の一部としています。別に悪い事が起こったときだけでなくね」。クラスの最初の週、テイラー先生はその生徒全部の親に電話を書け、彼の携帯の番号を伝えるのだ。
私がインタビューしたほかの教師達はその時間の大半を愚痴に費やした。「テストだとか、色々な責任、行動報告をつけるとか、年とともにどんどん厳しくなってくるわ」、とキンボールでの4年生の教師は言っていた。テイラー先生が教えるのと同じ学校である。「適正以上の仕事がある。創造的になる時間なんてないのよ。」
一年に8万ドル以上を稼ぐこの23年のベテラン教師の物腰は柔らかく、彼女のクラスは明るくて整理が行き届いている。彼女は子供達のホワイトボードや、時計、そしてDVDプレイヤーも自分のお金で買い与えた。しかし、彼女はテイラー先生とは違い、子供達の将来を諦めているようだった。「[DCの]北東地区*12の子供達はフランスに旅行に行く。船でね。色々なところへ行くし、親は子供達と会話をして、図書館に連れて行ったりもする」、と彼女は、クラスの合間の秋の午後に語った。「こっち側の私達の方の親は子供をどうやって育てるのかも知らない。自分の子供達が成功するには何が必要なのかなんて、全くわかってないのよ」
去年、彼女の4年生の生徒達がクラスにやってきた時、66%は英語について基準か基準以上だった。彼女のクラスで一年過ぎた後、たった44%が基準に達し、誰も上回るものはいなかった。彼女の生徒達はDCの低所得地区の学校の同じレベルの所得水準の4年生達よりも、学力が下回った。何十年にも渡って、教育研究者達は学習の失敗について、子供とその家庭を批判してきた。テイラー先生のようなクラスからもたらされるデータがある今では、そういった主張はしにくくなっている。貧困は非常に大きな影響を及ぼす。しかし全国各地で教師達はどうにか貧しい子供達の学力を向上させていっているのだ。たとえ隣のクラスは停滞していたとしても。「結局最後には」、とニュー・ティーチャー・プロジェクトのティモシー・デリィは語る、「教師が必要なのはマインド・セットなんですよ。問題に弛まず取り組み続けるといったタイプの」
教師が一年か二年、クラスで教えると、誰が非常に優秀で、そしてだれが全くダメなのかは非常に明らかになる。しかし教師達はまず解雇される事はない。校長達は教師達の悪い評価を出す事はほとんどない。全くダメだと知っている時ですら。
理想的には、学校は最初から良い教師を雇っておくべきだ。しかしそれは非常に難しい。では弛まぬマインド・セットはどうやって見つければいいのか?
ティーチ・フォー・アメリカが始まった時、希望者達は12の判断基準で評価された(たとえば、忍耐強さやコミュニケーションスキルなど)。これらは教育者との会話を基に選ばれたものだった。希望者達は、「風とはなにか?」といった答えのない質問に答えなければならなかった。2000年から、この組織はかつてのその選択について再考し始めた。最良の教師が職に応募してきた時に共通して持っていたのはなんだっただろうか?
成果を重視する採用の為のモデルが出来ると、なかなかに厳しい結果も出始めた。「私はいくつもの考えを持ってこの仕事にやってきた」、とモニーク・アヨッテ-ホエルツェルは語った。彼は採用部門の長である。「少なくとも正しかったのと同じくらい、私は間違っていた」
何年にも渡って、ティーチ・フォー・アメリカはまた、「コンスタント・ラーニング」と呼ばれるものに基づいて採用を行っていた。ファーやその他の者が気づいたように、優れた教師は自分のパフォーマンスについて見直して、それに応じて柔軟に対処していく。よって、自分の事が良く見えている人物は、見込みがあることになる。「それは完全にまっとうな仮説でした」、とアヨッテ-ホエルツェルは語る。
しかし2003年、採用担当者はデータを調べて、内省的であるであることは重要でない事を発見した。より正確に述べると、採用の際にその人物が内省的であるかどうか判断しようとしてみることは、効果を持たなかったのだ。
成功を予測出来た要因は、興味深い事に、忍耐強さの歴史だった。ただのそういう態度ではなく、実績の記録だ。採用の為のインタビューで、ティーチ・フォー・アメリカは今では希望者にその人生で困難に打ち克ったことについて話をするように求めている。そしてその答えに基づいて、希望者の忍耐づよさをランク付けするのだ。ペンシルバニア大学の心理学のアシスタント・プロフェッサーであるアンジェラ・リー・ダックワースとその同僚は忍耐強さの価値の数値化を実際に行ってきた。The Journal of Positive Psychologyの2009年11月号に掲載された研究において、彼らは390人のティーチ・フォー・アメリカの教員達を一年間の授業の前と後で評価した。忍耐強さや長期的な目標への熱意として定義され、そして短い多数回答選択方式のテストで測られた「根気」について最初の段階で高く評価されたものは、根気について低く評価されたものよりも、生徒の学業の成長を促進する可能性が31%も高かった。根気のある人々は、よりがんばって働き、そしてその目標により長くコミットするからではないか、と考えられている。(ダックワースが発見したところでは、根気はまたウェスト・ポイント*13での士官候補生の成功についても予測するようだ。)
しかしさらに重要な別の特性も存在するようだった。「人生への満足感」について高い点をとった、つまりその人生にとても満足していると報告した教師達は、それほど満足していない同僚達と比べて教室でよい成果を収める可能性が43%も高かったのだ。それらの教師達は「おそらく生徒達をやる気にさせる事により巧みで、また彼らの人生への喜びと熱意が生徒達にも伝わるのだろう」、と研究は述べている。
しかし、一般的に言って、ティーチ・フォー・アメリカのスタッフは過去の成果、とくに計量する事ができるタイプのものが、将来の成果をもっとも良く予測することを発見した。なにか大きな、そして計量可能な目標を大学で成し遂げた応募者は、教師としてもそうなる傾向があるのだ。そして、過去の成功をはかる最良のものの二つは、成績の平均と「リーダーシップアチーブメント」、つまり何かを実行してはっきりとした結果を残した記録である。もしあなたがチュータープログラムを率いただけでなく、そのサイズを倍にしたのなら、それは期待できそうに思われる。
知識は重要だが、しかし全てのケースで、というわけではない。高校の数学教師についての研究では、どの分野を選考したかが教室でよい成果を収めるかどうかをよく予測するようなのだ。そしてより一般的に、selective college*14に進学した人は優れた教師となる可能性がより高かったりする(しかし、アイビー・リーグを出ているかどうかは、ティーチ・フォー・アメリカの教師として有意な違いを予測しない)。しかしながら、教育についての修士号*15は教室での能力に違いを生まないようだ。
教育についてのもっとも価値ある要素は、忍耐力といったベタな特性ということになるようだ。去年の夏、ティーチ・フォー・アメリカ内部での分析から、希望者の大学時代のGPA*16単体よりも、大学の後半2年間のGPAの方がより良い予測を行う事が発見された。言い換えると、もし希望者が大学を凡庸な成績で初めて、それから向上していったなら、その成績の描く曲線は、最初からずっとAのものよりもより有望だ、という事だ。
昨年、ティーチ・フォー・アメリカは4100名の新しい教師を選ぶために、3万5千人の応募者を選考した。スタッフメンバーは採用をほぼ完全にモデルに基づいて行った:応募者についての30以上のデータ(10年前に行われていたもののおよそ倍)のそれぞれについてのポイントを入力すると、モデルが採用についての評価を出してくるのだ。毎年、このモデルは新しい生徒達のデータに基づいて修正される。
今年、ティーチ・フォー・アメリカはその面接のうちの、「サンプル・ティーチ」と呼ばれるプロセスへの私の同席を許可した。そのプロセスにおいて、応募者たちは他の応募者達にきっちり5分間、模擬の授業を行うのだ。応募者たちの半分ほどしか、この段階まで進む事はできない。私が同席した日には、3人の男性と2人の女性がそれを受ける事になっており、全員、大学の4年目あるいはつい最近卒業したばかりだった*17
一人の若い女性(アビゲイルと呼ぶことにする)が彼女の授業を始めるために立ち上がった。彼女はカールしたブロンドで、ネーヴィー・ブルーのスーツを着ていた。彼女は5年生のスペイン語の授業を行うと告げ、事前に用意してきたポスターをテープで貼り付けた。(女性の応募者は何かの教材を持ってくる事が男性と比べて多いが、これは悪い事ではない。それどころか、ティーチ・フォー・アメリカでは女性の方がより有能であることをダックワースが発見している。)それから、彼女は教室のホワイトボードに彼女の目的を書き出した:一週間の各曜日を教える。ティーチ・フォー・アメリカのプログラム・ディレクターであるKrzysztof Kosmicki*18が時間を計り始めた。
私には、アビゲイルの目的はちょっとつまらないものに思われた(とくに、「HIVを感染させる五つの体液」について授業した他の応募者と比べると)。彼女はクラスのものに一週間の各曜日を繰り返し読み上げさせて、「ちょっと難しいわよね」と言ったりした。そして彼女は、生徒達を助けるための歌を教えて、それをクラスの応募者達に歌わせた。2回も。「全員がちゃんと歌うまで、何回でもやるわよ」。彼女が今日は何曜日か尋ねた時、Kosmickiがわざと間違いを答えた。彼女は他の応募者に正しい答えを言うように求めて、そしてその応募者が答えると、彼女の時間が終わった。
授業を行う最後の応募者は若い男性だった。マイケルと呼ぶことにする。彼はずっと黙っていたが、しかし授業を始めるとずっと元気になった。彼の目標は、算数の問題の計算の順番を教える事だった。「おはよう、みんな!」と彼は言った。誰かが正しい答えを述べると、彼は「コレクトマンドー!」と言った。自信ありげに思われた。ボードに書いた問題の一部を誰か答えてくれないかと尋ねると、他の応募者の一人が立ち上がった。Kosmickiが彼に累乗についてもう一回、説明してくれと頼んで、彼が説明した。それで時間切れだった。
終了後、私はKosmickiがどう思ったのか尋ねてみた。彼はアビゲイルのサンプルティーチを気に入っていた。しかしマイケルのはそうではなかった。Kosmickiは、私の興味をもっとも引いた点について特に興味を持っていなかった:カリスマ性、意欲的な授業目標、外向性。重要な点は、すくなくともティーチ・フォー・アメリカの研究からすると重要な点とは、ずっと地味な点だ:準備をしてきたか?5分の間に目標を達成できたか?
「アビゲイルのサンプル・ティーチは段違いでした」、とKosmickiはいった。彼はニュージャージー州のチャーター・スクールで教え始める前に、サウス・ブロンクスでティーチ・フォー・アメリカの教師をしていた。「彼女が練習をしてきていた事は非常に明瞭にわかりました」。生徒達は一週間の各曜日についてちゃんと学習できたでしょう、「3分から4分の間のどこかで」とKosmickiは言った。彼はアビゲイルがやっている事に興味があったが、彼女のクラスの生徒を演じている他の応募者達にもっと注意を払っていたのだ。
この夏、採用されたもの達はティーチ・フォー・アメリカのトレーニング機関に向かう事になる。その後は、インハウス・プロフェッサーであるスティーブン・ファーと彼の同僚達が引き継ぐことになる。彼らの目的は、完璧な教師を選ぶことではなく、各人の長所と短所を早めに見つけ出し、それらにあわせてカスタマイズされた密度の濃いトレーニングを提供する事だ。ファーは毎年ごとに、より希望を持つようになってきている。「ほとんどの人が成功など可能ではないと考えているところで、数人や数十人ではなく、数百人が成功していっているのを見れば、それは可能なんだと確信するようになりますよ」、と彼は私に言った。
勿論、そのミッションとブランドにより、ティーチ・フォー・アメリカは優れた応募者達のプールから採用者を選ぶ事ができる。(2008-09の年度においては、アイヴィー・リーグの4年生の11%が応募している。)大きな、低所得の学区は採用枠にそんなに多くの応募がないし、応募してくるもののほとんどはそれほど優れた能力を持つようなもの達ではない。さらに、ティーチ・フォー・アメリカの教師達が、その2年間の間に費やす長時間の労働は、ほとんどの人にとって長期にわたって維持可能なものではない。
しかし、もし学校システムがティーチ・フォー・アメリカの発見したルールに基づいて教師を採用し、訓練し、そして報酬を与えたなら、教師達はそれほど激しく働く必要もないだろう。彼らは、根本的に異るやり方でデザインされたシステム、つまり成功するためにデザインされたシステムの中で働くことになるのだから。
今年、DCの公立校は、教師から用務員までの、全ての教員とスタッフに関する新しい評価システムを使い始めた。各人は生徒達同様に、年度の終わりにスコアを受け取る。テイラー先生のように、生徒達が共通テストを受けた教師達は、そのスコアの半分は生徒達がどれだけ向上したかに基づくことになる。残りの部分は主に、一年の中で5回、校長、副校長、そして優れた教育者達からなるグループにより行われる授業の観察に基づく事になる。年度の終わりに、スコアの下限として設定されている数値を下回った教師は解雇される事になる。
この新しいシステムのハンドブックは不思議なほどティーチ・フォー・アメリカのモデルに似ているが、なにも偶然などではない。これをデザインしたジェーソン・カマラスは、DCの教育担当者のミシェル・リーによって学校を建て直す助けとして選ばれるまで、DCの低所得地区の学校で8年間もティーチ・フォー・アメリカの教師として教えていたのだ。リー自身もかつてのティーチ・フォー・アメリカの教師で、ニュー・ティーチャー・プロジェクトを運営するためにやってきたのだ。
ワシントンDCは、多くの州と共に、オバマ政権のレース・ツー・ザ・トップにも挑むつもりである。その応募の為には、まず州は、カリフォルニアやウィスコンシンが既に行っているように、生徒の成績を教師に結びつける事への法的な障害を取り除かなければならない。レースの賞金を獲得するためには、州は有能な教師と無能な教師をえり分ける事もはじめなければならない。そして、テニュア*19や、昇給、そして教師や校長の解雇の決定の際にこの情報を考慮しなければならない(わが国最大の教師の組合である全米教育教会(National Education Association)が、地方の権利に対する連邦の「不適切」な介入であると批判する点だ)。そして毎年、各州はもっとも有能な(そしてもっとも無能な)教師や校長を生み出したのはどこの教育プログラム、そしてどこの幼年教育(prep)プログラムなのかを報告しなければならない。もし州と地域の学校当局者が、教員組合と共に、この挑戦に取り組むならば、レース・ツー・ザ・トップはアメリカの学校の合理化を始める事ができるだろう。
この春、オバマ政権が賞金を配り始める時までには、テイラー先生はキンボール小学校でのこの一年が終わる。彼の生徒達が共通試験を受ける朝には、彼はこれまでと同様、ソーセージと卵とトーストの朝ごはんを彼らの為に料理するだろう。しかし、この伝統は終わりに近づいているのかもしれない。彼は次の5年の間に職を辞する事を考えているのだ。
テイラー先生は校長になりたいと思っている。教師としての3年の間に、教室の中でできる事の限界まですでに来てしまったと感じているのだ。これまでに学んできた事をより大きいスケールでやってみたい、と彼は思っている。そのやり方は、と彼は言う、「別に私しかできないというわけじゃないんです。204教室だけのものじゃないんですよ」。彼は、多くの優れた教師同様、自分が100万に1人の優れた教師などではない事をよく自覚している。すくなくとも、自分だけがそうであるべきではない事を。

*1:ほんとうならもっと早く終わっていたはずなんですが、風邪引いちゃって時間がかかりました。

*2:アメリカの学校は8月の末か9月の頭あたりにはじまるので、これは学年のはじめということです。

*3:原文は"grade level"。おそらくその学年でこの程度は出来なければならない学力水準のことだろう。

*4:原文"incoming test"。

*5:アメリカの広大な農場では多くの移民労働者が作物の収穫の労働についている。

*6:最初の英語は、日本の国語のクラスのようなもの。次の「第二言語としての英語」 English as a Second Languageは英語を母語としない人への英語のクラス。よって日本における英語のクラス、そのままとなります。

*7:カリキュラムの一年半分以上という事かな?

*8:原文"then was certified"。

*9:日本の5年生が算数で何を習うのか知らないのだけど、このレベルの掛け算・割り算よりは難しい事をやっているだろう。それだけこのテイラー先生の学校が厳しい環境のところという事なんだろう。

*10:原文"pump their fists"。訳に自信なし。

*11:原文"chips in hand"。

*12:ワシントンDCの裕福な地区。

*13:米軍の陸軍士官学校。

*14:入学を希望すれば特に問題がない限り入れるようなコミュニティーカレッジとは違い、入学希望者を審査するので希望者全員が入れるわけではない大学の事。ハーバードやイェールのようなアイビー・リーグの大学もselectiveだが、私学のほとんど全部がそうなのでselective collegeが日本でいうところの難関校といった意味ではない。たとえば日本の大学なら、受験生数が募集枠を上回るようなところはどこでもselectiveに分類される、はず。

*15:アメリカは学歴社会、あるいは学位社会なので、教育修士号を持っている教師は珍しくない。

*16:アメリカの大学の成績は各講義ごとに0から4までのGPAの数値でつけられるが、それらを平均したものが累積GPAとなり大学時代の成績となる。

*17:アメリカでは卒業後に職探しを行うのもよくある。

*18:読めないので原文。

*19:終身在職権。日本でもアメリカの大学の教授職のテニュアは知られていると思うが、大学までの学校の教師についても同様の制度がある。