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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

教育におけるインセンティブ、あるいは勉強ワイロ

経済学 教育

アメリカのタイム誌に掲載された教育についての実験のレポートです。実験内容は、子供に勉強したら金やんぞ!と言ってみて、それでどれだけ学習するか見てみよう!というものです。さてここまで読んだだけで反射的に反感を持った人もいると思いますが、まあ判断は読んでからしてみてください。
ただ事前にいくつか言っておきますと、この実験の目的は教育におけるインセンティブの活用を理解することです。お金以外でも教育においては、成績評価は勿論、褒め言葉、賞状、賞品、なんらかの罰、さらには将来の就職・進学可能性など様々なインセンティブが使われています。勿論、理想としてはそういった外部のインセンティブによってではなく、子供達が自分自身望んで学習するようになるのが望ましいわけですが、まあ、子供は現実世界に生きてます。では、外的なインセンティブを使うとして、どこにどう使うべきなのか?この実験はその点についてある程度の答え、というか望ましいのではないかと思える方向を示しているように思えます。とくに驚くようなものではないですが、こういう足元を照らしてくれるような実証研究は、絶対!重要です。
また、教育にお金が(直接)入り込む事を嫌がる人は洋の東西を問わず多くいるようですが、少なくともこういう実験においてお金が使われるのは、実験の都合上の要請、という点もあります。お金以外でのインセンティブの提供はコントロールが難しいという点です。金や物ではないインセンティブ提供手段、たとえば教師からの褒め言葉などは、出す出さないのコントロールが非常に難しくなります。教師があるシチュエーションでは褒めるが、他のシチュエーションでは実験のデザインに従って褒めない、なんて事は現実的ではありません。金や物ならばこのコントロールはかなり容易になります。しかし何らかの賞品などの物を使うとしたら、子供によっては絶対ほしい!と思う子もいれば、全然興味のない子もいるでしょう。ですがお金ならばそういった違いが、少なくとも他の提供手段と比べて、ずっと小さくなります。
追記:WASSHOIさんとimaginaryhimaginaryさんのコメントをもとに修正しました。(ssuguruさんからチェックをいただきましたが、すいません、himaginaryさんのお名前を書き間違えてました。ごめんなさい。)
追記2:heiwa4126さんのコメントにより、さらに修正。うーん、自分でもチェックしてるんだが、結構間違いありますね。


成績への報酬:良い成績のために子供達にワイロを出すべきか アマンダ・リプリー TIME 2010年4月8日
中学時代、私のクラスメートの1人はテレビ中毒だった。それが普通になる前の時代のことだ。この少年、イーサンとしておくが、この子は特攻野郎Aチームから Who's the Boss?までくだらない知識の百科辞典だった。
そしてある日、イーサンの母が彼にとある大胆な提案をした。もし彼がどんなテレビ番組も観ずに一ヶ月を過ごせたなら、200ドルあげようというのだ。クラスメートの誰も彼にそんな事ができるとは思わなかった。しかし、イーサンはテレビを観なかった。本当に。友達が金曜の夜に友達の家でテレビ(マイアミ・バイス!)を観ようと誘ったりしたが、イーサンはノーと言ったのだった。
一月後、イーサンの母は彼に200ドルを渡した。イーサンは出かけると、テレビを買ってきた。見つけた最大のテレビを、だ。
子供がこの世に現れて以来、大人達はなんとか子供達に言う事をきかせようとしてきた。聖書は何度も子供達にその親に従えと命じ、従わぬ子供達は石打の刑に処せられるか、少なくともその目が大鴉によってつばみ出されるだろうと語ってきた。数世紀もかかって、棒は(あるいは板かそれとも鞭)は人気を無くし、かわってニンジンが大抵の場合にのしてきた。今日では、ちゃんとトイレを使ったり、教会で大人しく座っていたりしたらもらえるステッカーやクッキーのようなささやかなワイロが、ちゃんと喋れるようになる前から子供達に与えられるようになっている。
近年、何百という学校がこういった取引をもっとずっとビジネスライクなものにするようになってきた。出席や良い成績、そして少なくともあるケースにおいては、妊娠せずに一日を過ごすたびに、冷たい現金を子供達に支払うという実験が行われているのだ。

学校で受け取り額を比べる子供達

このトレンドを喜ばない子供にはいまだ会った事はない。しかし、これは大人たちを大いに悩ませている。教師達は、これは子供達が自主的にやるべき事に対して報酬を与えるものだと批判している。心理学者達は、これが学習という行為を安っぽいものにするもので、実は子供達のパフォーマンスを落としうるものだと警告している。親達はこのインセンティブがなくなった後の怠けが酷いものになると予想している。そして、少なくともあるシンクタンクの学者はこの戦略を人種差別的だと批判してきている。この議論は、改革と予算増加の数十年にも関わらず、なぜ我々の子供達の学習速度が望ましい率で伸びないのかについてのより大きな戦いの、代理戦争になったのだ。
しかしその中で、たった一つ、本当に意味ある質問がある。とくにアメリカのもっとも酷い学校にとって:効果があるのか?
その答えを見つけ出すために、ロナルド・フライヤー・Jr(Roland Fryer Jr)という名のハーヴァード大学の経済学者が、教育学研究者がこれまでほどんどまったくやってこなかったある事を実施した。彼は複数の都市で、数百の教室における無作為化実験(Randomized experiment)を行ったのだ。彼は主に民間からの資金で、1万8千の子供達に総額630万ドルの金を支払い、研究者の一団を使ってその効果を分析したのだった。殺人の警告まで受け取ったが、しかし止めることなくやり遂げた。彼がTIME誌に独占的に提供してくれたその成果は、教室におけるお金によるインセンティブについての最大の研究であり、そして、いかなる教育政策についてであれ、これまで行われた中でもっとも厳密な研究のひとつなのだ。
TIME誌が2009年に世界を変える重要人物のうちの科学者・思想家グループの1人としてロナルド・フライヤー・Jrを選んだ時の記事
この実験は四つの都市で行われた:シカゴ、ダラス、ワシントン、そしてニューヨーク。どういうインセンティブがもっとも上手く働くのかを調べるために、各都市のインセンティブ・モデルはそれぞれ異なったものとされた。ある子はテストの結果が良いとお金をもらえ、別の子はケンカをしなければお金をもらえる。その結果は興味深くかつ驚くべきもので、大人と同じく子供達は人形ではないことを思い出させてくれた。子供達はいつでも我々が思うとおりには反応してくれないものなのだ。

フライヤーがもっとも成功を見込んだ都市において、実験はまったくなんの効果も持たなかった。「ゼロがなれる限り眼一杯にゼロでした」、と彼は評した。他の二つの都市において、結果はより望ましいものだったが、しかし異なる方向で、だった。最後の都市では非常に目覚しい事が起こった。非常にエレガントなスキームの下で年間通してお金を支払われた子供達は、学年の終わりの共通テストの読解テストにおいて顕著によい結果を収めたのだ。統計的にいうと、お金を支払われなかった同学年と比べて、子供達は学校で3ヶ月多く学んだかのようであった。
「大きな効果がありました。これまで成功であったと考えられてきた多くの別の手法と同じくらい大きいものです」と、ミシガン大学の公共政策と経済学の教授であるブライアン・ヤコブ(Brian Jacob)は語った。彼はTIME誌の依頼によりフライヤーの研究を評価したのだ。インセンティブがきちんとデザインされていれば、支払いは本当に子供達の学習をこれまで考えられた他の改革手段と同じかそれ以上に向上させる事ができるように見える。それもずっと少ない費用で、だ。
お金だけでは十分ではない。(そして十分になる事はこれからもない。)しかし一部の子供達については、解決の一部となりえる。結局のところ、我々はみな子供達が、自律的に行動できる(self-motivated)大人になってほしいと思っているわけなのだから。よって質問は、そうなるようにどんな助けをする事ができるか?、そして、すくなくとも一部の子供達にとっては、そうなる道はステッカーではなく、20ドル紙幣によって舗装されているのかどうか、だ。
フライヤーは、17人のスタッフと年間予算600万ドルをもった教育イノベーション・ラボを運営している。彼のゴールは、科学的手法を使って、アメリカの白人とマイノリティの子供達の間のギャップを2025年までに埋めるにはどうしたらいいかを見つけ出すことだ。私がこの春にハーヴァードのラボへフライヤーを訪問した時、彼は私に予定表を手渡し、誇らしげに彼のチームを紹介した。その後の3時間、我々がこの実験について話している間、フライヤーは魅力的かつ熱のこもった調子で話し、時に経済学者しゃべりに落ち込んでは「ナード」モードになってすまないと謝るのだった。
しかし子供達の生活と選択にフライヤーが入れ込むのは、完全にアカデミックな興味からというわけではない。彼はテキサスで、コピー機のセールスマンをしていた父のもと、貧困の中で育った。フライヤーが16歳の時、彼の父は性的暴行で逮捕され、彼は父の牢屋からの保釈引き受けをしなければならなかった。
その間、フライヤーは自活していたが、けっして上手くは行っていなかった。マクドナルドで働き、レジスターからお金を盗んでいた。マリファナを所持し、.357マグナムをしばらくの間、持ち歩いていた。しかし彼にはバスケットコートとフットボールフィールドでの優れた才能があったので、テキサス大学アーリントン校へのバスケットボール奨学金を得る事ができた。
大学での最初の学期に、フライヤーは微積のクラスをとった。最初のテストでの彼の得点は100点中45点だった。「友達が私のことをコルト45と呼び始めました」、と彼は思い返して述べた。その失敗は彼を怒らせ、プライドがうずいた。「家の近所の人達のようにはなりたくなかったんです」、とかれは述べた。
フライヤーは初めて学校で一生懸命に勉強するようになり、かれは経済学の学位を得て2年半で大学を卒業した。そしてペンシルバニア州立大学でPh.Dをとった。彼が不平等の問題を経済学の道具により研究し始めたのもそこだった。ハーヴァードの教員に26歳で加わった。Shifting motivationsの力のケーススタディの一例である。
ハーヴァードで、フライヤーはニューヨーク市のある学校が子供達を小規模のインセンティブにより誘導しようとしている事を聞きつけた。このアイデアは彼には魅力的に思えた。というは教師やカリキュラムに重点を置いた改革とは違い、これは子供達を意識のない対象として扱うのではなく、興味深いあり方で行動する人間として扱っていたからだ。しかし、かれにはこれが上手く行くのかどうか分からなかった。
2005年、パイロットプログラムに同意するよういくつかの学校を説得する為に彼と供にニューヨークへ行くように、彼は友人かつハーヴァードの同僚であるゲヴィン・サムスを説得した。「我々は、自分達が何をやろうとしているのか何もわかっていませんでした」、とフライヤーは述べた。彼らはニューヨークに泊まる余裕がなかったので、ミドウランドのホテルに宿泊した。ニュージャージの湿地帯の陰気な地区だ。そして彼らは校長達にそのアイデアを売り込みに車で出かけた。
ある日、彼らがある学校を訪れていた時、彼らは学区の Headquartersからの電話を受けた。「彼らは、『すぐに出て行ってくれ』と言ってきました」、とサムスは思い返して述べた。「『学校からでていってくれ』」、と」。フライヤーは抗議したが、勝てはしなかった。「あまりに政治的過ぎました」、と彼は述べる。「選挙の年だったんです。彼らのところにはもう、『子供達に金を払うな(You can't be paying kids)』という手紙が届いていました」。
ニューヨーク市の教育委員長ジョエル・クレインはフレイヤーを蹴りだした事を覚えていないが、しかしそのプログラムが議論を引き起こした事は認めた。「誰かが教育において新しい、これまでと違う事を始めようとしたら」、とクレインは述べた、「必ず議論が巻き起こるんです」。
2007年1月、つまり市長選の終了後、フライヤーはニューヨークに戻ってきた。今回はより大胆なプランと供に。彼は本当の科学者ならそうするように、トリートメン・グループとコントロール・グループ*1を作りたいと考えていたのだ。そして彼にはBroad財団からの200万ドルの助成金があった。財団は、彼のアプローチの科学的厳密さゆえにフライヤーに興味をもったのだった。
今回、フライヤーは、参加する学校が市の学校のランダムサンプルであるようにしたいと思っていた。これはそう書くよりもずっと難しいことだ。いくつかの学校では、校長と教師達が諸手をあげて、「ええ、私達のこの学校は上手く行っていません。どんな事でもやりますよ」、と言ってくれたりした。別の学校では、フライヤーは学校のスタッフに何時間も懇願することになった。彼らは、子供達は学びへの愛の為に学習するべきだと考えていたのだ。お金の為に、ではなく。「今でも、どっちになるかを言い当てる事はできませんよ」、と彼はいった。完全に失敗してしまっているような学校、外に割れたガラスが散乱しているようなところへ行って、「こんにちわ。ここのような学校を助けたいと思うんですが」と言ってみても、「学びへの愛」について私が叱りつけられたりして、そして私が、『でもそこで割れたガラスを踏んでしまいましたよ。廊下ではケンカしているし。それどころじゃないでしょう(We're beyond that:imaginaryさんのコメントを基に修正)』となるわけです」
最終的に、フライヤーと彼のチームは143の学校をサインアップさせる事ができた。ランダムに半分ほどがコントロールグループに選ばれた。つまりそこの子供達はお金を支払われないわけだ。残りの半分では、生徒達はそのパフォーマンスを測る為の、年間通した10のルーティンテストに応じてお金を受け取ることになった。
この実験がはじまる前の夏に、ニューヨークのDaily Newsがこの計画を聞きつけた。"It's a Cash Course"と題されたその記事は、この計画を「おぞましい(horrendous)」と呼んだ反対の活動家を引用していた。フライヤーへの出資者の一つが50万ドルの資金を引き上げた。そしてフライヤーはまたも学校から蹴りだされた、と彼は述べた。今回、クレインは彼をヤンキースのゲームに連れていった。数日後、フライヤーは学校に戻る事を許された。しかし彼は3時に起きて新聞をチャックチェックするようになってしまった。
こういった怒りをフライヤーは予想していなかった。「これがどれだけ人を怒らせる、まったく見過ごしていました」、と彼は述べた。「これは教育がまさに必要とする研究開発なんですが。これが教育の全部の問題を解決するなんて言った事はありませんよ。私はこれがテストしてみるに値すると思っただけなんです」
フライヤーへの最も強烈な批判はロチェスター大学のエドワード・デシ(Edward Deci)のような心理学者からのものだった。彼はそのキャリアを学習のモチベーションについて費やしてきた。デシはお金が、他の具体的な報酬同様、長期的には人を動機付けるのにあまり役立たない事を発見していた。とくに創造的な活動についてはそうだ。実の所、報酬は人々のパフォーマンスを悪化させる困った効果を持ちうるという多くの証拠があるのだ。
この仮説を支持する古典的な実験が、1970年代初めにスタンフォード大学の看護学校において行われた。研究者達は51人の幼児をいくつかのグループに別けた。すべての子供達はマーカーを渡されて、絵を描くように言われた。しかし一つのグループには事前に、その絵と引き換えに特別の報酬、金の星と赤いリボンの「よくできました」賞状、が与えられる事が告げられていた。子供達が絵を描き、そしてこのトリートメントグループの子供達は賞状をもらった。
数週間後、マジックミラーを通して子供達の通常の授業風景を観察した研究者達は、ご褒美を受け取った子供達は、もらわなかった子供達の半分しかお絵かきに時間を使わない事を発見した。どうもご褒美はお絵かきの行為の価値を引き下げたようだった。だから子供達に金の星をあげる代わりに、行為そのものから内的な価値を引き出すように子供達を教えるべきなのだとデシは述べる。「本当に求められるのは、人々が学習活動に価値を見出す事です」、と彼は述べた。すべての年齢の人々は、本当に楽しんで行うならば、より良くより真剣に活動にいそしむ。後からくる報酬の為だけでなく。
その根本においては、フレイヤーも同意している。「子供達は学びへの愛の為に学ぶべきです」、と彼は述べる。「しかし、彼らはそうしていません。では、どうするべきなんでしょう?」 ほとんどの10代はその数学の宿題を、幼児が白い画用紙をみつめるようにはみつめる事はない。もしそうしてくれたら素晴らしいだろうが。そしてもしかしたらいつの日か、我々自身も皆、自分達の仕事をそういった感じで取り組むようになるかもしれない。しかしその時が来るまでほとんどの大人たちも、もっぱらお金の為に働き、そして奇妙な事に、子供達については自分達自身よりも高い基準で判断しようとしているようだ。
2007年の秋、ニューヨーク市の実験が始まった。4年生はテストごとに最大25ドルを受け取る事ができた。そして7年生(日本の中学1年)はテストごとに最大50ドルまでだ。参加の為には、子供達は親の承諾を取り付けなければならず、82%の子供達がそれを取り付けてきた。子供達の大半は直接振り込めるように貯蓄口座も開いた。その間、フレイヤーと彼のチームはテストの為のほかの都市を見つけ出した。シカゴでは、フレイヤーは、今はオバマ政権の教育長官となった当時のSchool chiefのアーン・ダンカン(Arne Duncan)と共同で、9年生(日本の中学3年)が良い成績に基づいて報酬を得るプログラムをデザインした。サウス・サイドのボーリング場(bowling alley)にてビールとピザを食べながら、彼らはその計画を練っていき、成績Aに50ドル、Bに35ドル、Cに20ドル、そして年間2000ドルまで支払う事とした。しかしその報酬の半分は、学校を卒業した時にだけ支払われる口座に振り込まれるようにした。
ワシントンでは中学生(Middle schoolers)が、出席や素行などの五つの異なる基準からなるポートフォリオに基づいて支払われる事になった。もし子供達がすべての基準で満点を取れば、2週間ごとに100ドルを得る事ができるのだ。ダラスの学校はもっとも小さい子供達を対象にしたもっとも簡単なスキームを採用した。本を読んでその本についてのコンピュータを使ったクイズにちゃんと答える事ができるたびに、2年生は2ドルをもらえる。簡単で、そして、安いスキームだった。一年間で子供達がもらったお金の平均は14ドルほど(7冊の本)であった。
初期のうちのフィードバックは望ましいものであった。校長達が自分達の学校がコントロールグループ(お金をもらえない)からトリートメントグループ(お金をもらえる)に移れないかと交渉してきた。親達は支払い明細を子供達の学習レポートとして使い始め、子供達への支払いの上下の理油について教師に問いただすようになった。シカゴでは、ダンカンはこのプログラムが子供達に彼がまったく予想しなかった方向で影響を与えている事を発見した。「学校で支払い明細を受け取る時、子供達がどれほど興奮していたか思い出しますよ。何かの決起集会みたいでしたよ。ただ学校の成績についてなんです!」と彼は述べた。フライヤーはコルベール・レポートやCNNに登場し、この実験について話しをした。そしてその頃から殺人の予告が届き始めるようになった。その間、フライヤーはデータがどんな事を明らかにしているか明かす事を拒んでいた。彼は子供達の成績が上がるかどうか、子供達が宿題をちゃんとやってくるかどうかには全く興味を持っていなかった。成績は主観的なものだ*2。より客観的な判断基準は、学年の終わりにやって来る。つまり、生徒たちが共通テストを受ける時だ。支払いを受けていた子供達は受けていなかった子供達よりもテストの点がより向上するだろうか?それとも、心理学者が予言したように、実は悪くなったりするのだろうか?「もしこれが上手く行かないなら、やめて何か別のことに取り組みますよ」、とワシントンの教育長(Schools chancellor)であるミシェル・リーは述べた。「しかしもし上手く行くなら、それに応じて資金の支出先を決めるべきでしょう」。
結果は、去年の夏からだんだんとラボへ伝わってきた。テストの良い点に対して、150万ドルを8320人の子供に支払ったニューヨーク市では、上手く行かなかった。少なくとも明白な向上はなかった。別のモデルのシカゴでは、成績に対してお金が支払われた子供達の出席率が向上し、成績も上がった。二つの大きな成果だ。しかし、その生徒達は学年の終わりの共通テストではコントロールグループよりもよい結果を収めたわけではなかった。
ワシントンでは、子供達は共通テストでよりより結果をだした。出席や素行といった一連の小さな達成をいつもなしているかどうかで支払いをうけることは、子供達をより学習させることになったようであった。そしてダラスでは、実験はもっともドラマチックな成果をうみだした。本を読むように2年生にお金を与えることで、学年終わりの共通テストでの彼らの読解の点を大きく引き上げたのだった。そしてこの子供達は、支払いがなくなった後の翌年にもまたより良い結果を出し続けるようであった。
この子供達はみな大きな共通点があった。4つ全部の都市で、大部分の子供達は貧しい家庭のアフリカ系アメリカ人かヒスパニックであった。では、なぜ結果が都市によってこれほど大きく違ったのだろうか?
一つの手がかりが、フライヤーのチームがニューヨーク市において行ったインタビューから見つかった。生徒達はお金をもらえる事に皆、喜んでいたし、そしておおくもらいたいと思っていた。しかし、一体どうやったらいいのかを知らないようだったのだ。研究者達が彼らにどうやって成績を上げたかを尋ねると、子供達は問題をもっと慎重に読むといった試験の為の戦略について語った。しかし彼らは学習の向上につながるより中身のある方法について語る事はなかった。「クラスの後も残って先生に質問したとは誰も言いませんでした」、とフライヤーは述べた。「誰もです」。
我々は子供達が(そして大人たちも)どうやれば成功を収められるのかを知っていると思い込みがちだ。だから成功できないなら、それは努力が足りなかったんだということになる。あるいは、才能が。それが真実の時もあるだろう。しかし多くの場合、人々はただ何もわかっていないまま取り組んでいるだけだったりする。シカゴ大学の経済学者ジョン・リストは、彼自身が行った教育についての実験でこの断絶に気がついた。彼はこの問題を私に次のように説明してくれた:「私があなたに、三階の線形偏微分方程式を解いてくれと頼むとしましょう」、と彼が言った。「え、何です?」と私は尋ねた。「三階の線形偏微分方程式です」、と彼は述べた。「それが解けたら100万ドルを渡すとします。しかし、あなたは解けないわけですよ」。(彼は正しい。私には無理だ。)一部の子供達には、幾何のテストでいい点を取るのは、三階の線形偏微分方程式を解くのと同じようなことだ。インセンティブが何であろうと。*3
同様に、シカゴでは子供達は成績に応じてお金を支払われていた。彼らが必ずしもコントロールできるわけではない結果に応じて、だ。ここでは、見出された成果は玉石混交だった。支払いを受けていた子供達は確かにより良い成績を収めていた。そして出席も向上していた。1学年で1週間半、出席が多くなったのだ。これはかなり大きなことである、というのもシカゴの高校生の半分近くは卒業前にドロップアウトしてしまうし、高校一年時に出席せずに講義を落とした子供達はドロップアウトする可能性が高くなる。この実験がドロップアウト率を下げたかどうかは2012年までは分からない。しかし報酬が共通テストの得点を引き上げなかった事はわかっている。
では、もし子供達がどうやればいいのか分かっている事についてお金を払うなら、何が起こるだろうか?ダラスでは、ほとんど全ての子供達が行う事ができることである、本を読むこと、についてお金を払い、そして大きな成果が出た。実際のところ、この実験は、クラスサイズの縮小や早期教育のヘッド・スタートへ子供達を参加させるなど(この二つは生徒1人当たり、数千ドルの費用がかかる)、これまでに行われた他のどんな改革とも同じ、あるいは上回る効果を生徒の学習に及ぼしたのだ。そして実験は子供達の成績も向上させた。「もし子供に本を読むようにお金をあげたなら、我々がシカゴで行ったように成績に対してお金を支払うよりも、子供達の成績は大きく向上します」、とフライヤーは述べた。「クールじゃないですか?」*4
ダラスの子供達がこの実験では最も年下であった事もまた助けになったのかもしれない。変化をより受け容れらるからだ。確実な事は分からない。ダラスのモデルは異なる子供には異なる効果をもらたしたことにもまた注意が必要である。ほとんどの子供達(ヒスパニックの子供達と貧しい家庭の子供達を含む)は支払いを受けて、成績が向上した。しかし英語をほとんど話せず、共通テストをスペイン語で受けた子供達には、インセンティブからの効果がなかったのだ。フライヤーはこの研究においてこれを説明するのにかなりの努力を費やしたが、結局完全には説明しきれないミステリーとなった。
また一方、ワシントンでは各校は支払い方法を三つ選ぶことになっており、その要素の一部はテストの得点といった結果についてのものであった。しかし生徒達は、出席や素行に応じての支払いも受けていた。この二つの行動は生徒達が直接にコントロールできるものだ。このハイブリッドモデルにおいては、支払いを受けた子供達は共通テストでよい成果を出した。学校の数が少ないために、ワシントンのサンプルは他の都市のものほどよくバランスの取れたものとなってはいない。しかしその結果には、ある驚きの発見が含まれていた。この実験によってもっとも助けをうけたのは、通常、もっとも救いの手を届けにくい子供達だったのだ。「大抵の改革は少年達よりも少女達の方を助けます」、とフライヤーは述べた。「[この実験は]逆でした。DCでは、すべての結果が少年達からもたらされていたのです。すごい事ですよ」
ワシントンの生徒達、教師達、そして校長達とこの実験について話してみると、この実験の長期的な効果にはとても低い期待しか持っていないようであった。彼らのうちの多くは経験から、お金のような単純なものが子供達のうちのもっとも難しい子らに影響を及ぼすとは考えていないようであった。「以前、対処が困難だった子供達は、今でも困難なままです」、とバーロー教育キャンパスでインセンティブ・プログラムを運営するガイダンス・カウンセラーであるヴァレッタ・ムーア―パーカーは述べた。
にも関わらず、フライヤーの結果によると、深刻な素行上の問題の歴史があった子供達はテストの得点で全体としてもっとも大きな向上をみせたのだ。彼らの読解の得点は0.4標準偏差分も跳ね上がった。これはおよそ、学校教育を5ヶ月追加したのに相当する。
子供達は、失敗のリスクが低いゆえに、明確な行動への報酬に対してより敏感に反応するのではないだろうか。子供達は自分達の出席をコントロールする事ができる。しかし子供達はそのテストの得点をコントロールできるというわけではない。だから鍵となるのは、子供達により多くをコントロールするように教えることかもしれない。全体をコントロールできるように行動するよう励まし、そして実際の結果ではなく努力に報いるようにすること。
アメリカのもっとも成功しているチャータースクールの一つ、「知識は力プログラム(The Knowledge Is Power Program, KIPP)」は、フライヤーの研究成果によく沿うようなモデルに基づいて、15年に渡り金銭的インセンティブを与えてきた。KIPPの生徒達は、時間通り学校にやって来る、授業に参加し*5ポジティブな態度をとるなど、彼らがコントロールできる活動に関して「お金」を支払われる。これは学内のお店で学用品の購入に使う事ができるものだ。何年にも渡って、全国で82の学校を運営しているKIPPのリーダー達は、どういう報酬に効果があり、どういう報酬にはないかを学んできた。たとえば、彼らはスピードは重要である事を発見した。処罰同様、承認もまた素早い方が効果がある。なのでKIPPの学校はその子供達に毎週支払いを行っている。(興味深い事に、フライヤーの実験が最も上手く行った2ヶ所は、子供達が速いフィードバックを受けていた所でもある。ワシントンでは2週ごと、ダラスではコンピュータのクイズをパスするごとに。)
成人とおなじように、子供達もまた様々なインセンティブを必要としている。あるものは高尚で、別のものは低級、あるものは短期的で、別のものは長期的だ。そしてお金とその他の外的な報酬は、より本質的な動機付けへのゲートウェイとなりえる。KIPPの5年生達は鉛筆といった多くの賞品を貰っている。高校生達が得る事ができるのは、昼食時にiPodを聞く事ができる権利といった自由である。「我々の最終的なゴールは、子供達が内的な動機をもつようになる事です」、とマサチューセッツ州でKIPPアカデミーを設立したジョシュア・ゾイア(Joshua Zoia)は述べた。「しかし我々はまず子供達を掴まなければなりません。だから彼らのいるところへまず行かなければならないんです」
フライヤーがワシントンの教育長のリーへ結果についての説明を行った時、彼女はショックを受けた。幸せのショックを。「教育においてインパクトのある事を行うのはとても難しいんですよ、ほんとに」、とリーは多大な努力にも関わらず何の成果も挙げなかった過去の実験のことに触れつつそう述べた。「我々は他にも色んな事を行っているんですが、その中でこのような成果を出したものはありません」、と彼女は述べた。それゆえ彼女はワシントンの市議会へ赴き、さらに子供達へ払うための、そして何が起こるかを調べ続けるためのお金を出してもらう事をたのんだ。「もし次の年のデータで何か違う事がおこるなら、まあそういうものです」、とリーは述べる。「毎年、試していきますよ」。シカゴ、ダラス、そしてニューヨーク市でのプログラムは縮小された。三都市全てでインセンティブによる実験は続けられはするが。
フライヤーは、インセンティブに関してはさらに多くの研究が行われるべきだと信じている。しかし彼はインセンティブだけで我々の学校を建て直す事ができると考えているわけではない。色々な改革のコンビネーションが必要であり、そして個別のどんな変化よりも、複数の改革の間での相互作用の方が重要であると彼は段々と確信するようになってきた。そして、我々が何を行うのであれ、と彼は述べる、まずはそれをテストしてみなければならない。恐れることなくだ。「我々がしてはならない事はですね、それは、大人が安心できる解決策だけに限定していてはいけない、という事です」
サイナ(Chyna)はワシントンのトコマ教育キャンパス(Tokoma Education Campus)の8年生(日本の中学2年生)である。サイナは自分自身を語る時、三人称を使いたがる*6。もしあなたが彼女に個人的な質問をしてみるなら、彼女はあなたの目を真正面から見つめて、「正直に?」と訊いてくる。そしてあなたの質問に答える前に、あなたからの答えをじっと待つのだ。
サイナは大人になったら、弁護士かラジオのパーソナリティになりたいと思っている。しかし去年、彼女につらい事が起こった。学校で彼女と友達が、別の友達とケンカになってしまったのだ。「その子に飛びかかったみたいになっちゃって」、と彼女は告白した。警察がやって来て、サイナは未成年拘留センターにいれられ、母が迎えに来るのを待つことになってしまった。
今年は上手くいっている。私が彼女と会った時、彼女はいつもの支払いを丁度もらったところだった。彼女は95ドルを受け取った。これまでで最も高い額だった。彼女は喜びの声を上げ、友達達と抱きしめあった。私が彼女にどのようにしてこの事を実現したのかを尋ねてみると、彼女は「出来る限り頑張ったの」と答えた。さらに、「できるだけ制服を着てるようにしたの*7、だって来週誕生日で、だからお金がいるから」。彼女は過去四回の支払いをこの季節の為に貯めていた。このお金が口をつぐませるインセンティブになっている、と彼女は述べた*8
「大抵の時は、私はまだサイナだけど」、と彼女は述べる。「でも時々は我慢する。だって、お金のことがあるから」。そして私は彼女に、短期的な報酬の為ではなく、学びの喜びの為に頑張って勉強するべきだという心理学者の主張について訊いてみた。「正直に?」、と彼女が尋ねた。「ええ、正直に」、と私は答えた。彼女は私を真正面から見た。「私達、子供よ。現実的になろうよ」

*1:日本語だと「処理群」と「対照群」だと思いますが、あんまり日本語の方になじみがなく良く分からないので、カタカナを使います。

*2:「成績は主観的」とはどういう意味かはっきりしませんが、まあクラスの中での成績には教師と生徒の関係がどうしても入ってくる、という事をいっているのでないでしょうか。カーブ、つまり成績の下駄とかもあるし、成績の悪い生徒はメークアップを頼んできたりもするし、ノイズが多すぎるということではないかと思います。

*3:ここの部分、言いたい事は、難しい事はできないということではなく、例えお金を積まれても、一体どうやればいいのか知らない事はできない、ということ。

*4:本を読んだら読解力が向上した、というには当たり前じゃないかと思う人もいるでしょう。だって、当たり前の事ですから。ですから問題は、シカゴの生徒達は本を読んだか?です。成績には当然、読解の成績もあったでしょうし、やはり読書は助けになりえたはずです。ではシカゴ、そして他の都市の子供達は本を読んだでしょうか?俺は分析結果を知らないのですが、おそらく読まなかったんじゃないでしょうか。読めば成績が上がるという事をキチンと理解していない、あるいは成績という先のことの為に今現在の苦労(読書)をする事ができなかった、か。なんであれ、シカゴとダラスの相違は、結果を出す為に必要なプロセスを理解していないものに、結果だけを求めてニンジンをぶら下げてみても無駄だ、という事なんでしょう。学校は結果を出すためのプロセスを教え導く事が必要なんだと。

*5:発言する、質問するの活動を行う事。教室で椅子に座っているだけでは、授業に参加したことになりません!

*6:日本で言うところの、「サイナは...」ということ。

*7:原文"I tried to wear my uniform"。なにかのスラングかもしれませんが、おそらくは揉め事を起こして学校に行けないなんて事はないようにしている、という事でしょう。

*8:ケンカになるような事はいわないようにしているという事でしょう。