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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

英国暴動の件、あるいは隣の暴動は綺麗に見える事について

社会的騒乱

英国での暴動、俺は特に興味あるわけじゃないのですが、それでも正直、ついこないだの中東でのことについてはソーシャルメディアがどうこうとか持ち上げてたのに、今回は違うんですかとつい皮肉っぽくなってしまいます。*1
そんな時にたまたま下のアメリカの政治学者さんのブログポストを見つけました。同じような事を感じている人も多いのじゃないかと思うので、訳してみました。

身近な暴動は綺麗なものじゃない Seth 2011年8月10日

John Hendricksonからの英国暴動とソーシャルメディアに関するちょっと興味深い意見。

今年初めの中東における蜂起とは違い、英国における今週の暴動とFacebookTwitterそしてその他のソーシャルメディアプラットフォームとの関係は完全には明らかではない。
[...]
ソーシャルメディアについての話を追っていくと、この暴動は一件の射殺事件への直接の反応というよりは、いらいらした若者達が夏の暇な時間と失業のなかで行動をおこすいいわけであったように見える。そして彼らの携帯電話に張り付いている為の。

私はアラブの春にも英国での現在の暴動についても専門家を名乗るつもりはないが、しかしここで述べられた違いはその参加者よりも観察者に関わることなのではないだろうかと述べさせてもらいたい。エジプトでの暴動をカバーしようとする合衆国の英語話者のレポーター(これはHendricksonだけを指しているわけではない)にとって、「自由を求める若者達が不当なる圧制者に対して立ち上がった」という想定(heuristic)に落ち着いて、非常に小さな割合でしかない英語のツイートでの整えられた語り(organizational speech)を探すというのは非常に楽なことだ。しかし、同じリポーターが英国での事件を理解しようとすると、西洋社会の組織についてはるかに馴染みがあるので関連するコミュニケーションをはるかに高い割合で理解できてしまう。すると突然、暴動の要素や原因はそう明白なものではないように思えてくるわけだ。観察者がはるかに多くのデータとそのコンテクストを理解しており、なんらかの想定にそれほど頼らなくても良いため、暴動はずっと複雑なもののように思われるようになる。
そして、暴動に参加する人々にはいろいろな理由があるのだ。ある者は圧制的システムを倒そうとするのだろう。ある者はこの騒動はいったい何なのかと見物にいくだけだろう。ある者は、どこでも警察が(暴動対策で)忙しいので、電気屋からテレビを盗み出すチャンスだと思うのだろう。完全に高貴な、あるいは完全に享楽主義的な暴動がこれまであったとは思えない。近づくほどに、より複雑な姿がみえてくるのだ。

*1:別に中東諸国での民主化に反対しているわけではない、というか賛成ではあるんですけどね。