P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

アセモグル、ロビンソン:「民主主義とその不満分子」

さてさて、アセモグルとロビンソンの「民主主義庇護」についてのブログ記事です。この二人は政治経済学者・政治学者で、民主主義と独裁についての理論モデルや実証を色々やってる人達です。たとえばこの本とか*1。彼らの現在のブログがその販促となっている彼らの新著"Why Nations Fail"もその流れです。というわけで、こういう記事を書くのは当然なのでした。(この記事ではその主役である民主主義と比べて、エリートによる支配がどういう害を及ぼすことがあるかについては書かれてませんが、他の記事でそういうことが書かれていたりします。)
(一部の訳に関して@optical_frogさんの協力を受けました。ありがとうございました!)
 
 
民主主義とその不満分子 アセモグル、ロビンソン 2012年3月30日
我々は、曾祖父・祖母の頃よりもはるかに民主化された世界に住んでいる。しかし民主主義にはいつでも辛辣な批判者がいる。しばしば高い教育と所得の人達が重要な社会的・政治的決定は、教育がなく、操られやすく、社会的にどころか自分たちにとって良い判断すらできるとは思われない大衆に任せることはできないと主張してきた。オルテガ・イ・ガセトは、リベラルであり共和制の支持者であったのにもかかわらず、20世紀の初めに警鐘をならして、その著書大衆の反逆のなかで政治への大衆の参加の危険を警告していた。アメリカのインテレクチュアル、ウォルター・リップマンは世論を書いて、この考えを表明した。

全体の利益(the common interests)というものは非常にしばしば世論から完全にもれるものであり、個人的な利益が偏狭さを超えた特別な階級によってのみ担われえるのである。

こういった声は近年、世界不況に対し専制的な中国がどれほど素早く対応できたかをアメリカにおける馬鹿げた騒ぎと比べる人達によって一段と大きくなっている。では民主主義はその旬を過ぎてしまったのだろうか?
我々はそうとは考えていない。実際、包括的政治制度は真に民主的であるべきであり、教育や所得によらず、社会のすべてのセグメントに発言の機会を与えるべきだ。民主主義は時折、エリートや利益団体に乗っ取られるし、またしばしば混乱したものではあるが、非民主的システムはさらにずっと乗っ取られやすいものであって、収奪的な政治・経済制度の基盤となり易いものなのだから。
勿論、民主的システムが選ぶ決定は時折、間違ったものである。しかしながらそれはいかなる政治システム、グループ、個人の決定についてもそうである。民主政治はまた、いろんなタイプのエリートが嫌うような決定を行ったり、手順を踏んだりするものでもある。しかしこれはしばしば選挙民の無知や近視眼のせいではなくて、彼らの利益がエリートのそれと異なっているから、そして教育のあるエリートが社会はどうあるべきかについてのお説教の独占を諦めようとはしないからである。
入手可能な証拠は教育のない大衆が無知であったり非合理的であったりするとは示していない。トーマス・フジワラによる最近の研究はブラジルからの証拠を提供している。フジワラの研究は古臭く難しい投票システムのせいでしばしばその投票が無効となっていた教育のない層への実効的な選挙権の付与を利用している。この投票システムの簡略化・自動化が無効票の大きな削減につながった。とくに教育がなく貧しい層の無効票について。フジワラはこれがより大規模な再分配を主張する州議員の当選につながったことを示した。教育のない無知な大衆によって焚き付けられたラテンアメリカポピュリズムの一例かと嘆く前に、この再分配が何をなしたかを見てほしい。それは新しく投票の力を得た者たちに恩恵をもたらす政策、たとえば(出生時のボディマス指数で測った)新生児の健康を劇的に改善するヘルスケアの提供などの政策の実施につながったのだ。
アメリカの独立革命家イーサン・アレンについてのウィラード・スターン・ランダル (Willard Sterne Randall)の新著、Ethan Allen: His Life and Timesと、T・H・ブリーン(T.H. Breen)によるニューヨークレビューオブブックスでのその書評は、権利を得た時、たとえかなり厳しい状況にあってすら、いかに大衆がバランスのとれた政治的判断をおこなうかの別の例を提供している。イーサン・アレンは、ニューヨークから土地を支配する強力なビジネスマン達に対するバーモント州の人々の権利の守護者として登場した。多くの開拓者たちがバーモントの土地を買い、農場を始めていた。しかしニューヨークの植民地エリートたちが17世紀末に王室が彼らにその権利を与えたからと、これらの土地への権利を主張する。ジョージ3世はこれらの土地についてのニューヨークの所有権を改めて宣言しており、ニューヨークのエリートはその正当性をもって支配の為に動いた。バーモントの一般の農民が守られるのかどうかはイーサン・アレンにかかっていた。
イーサン・アレン自身は問題もあった人物であり、自己の権勢や、バーモントに対するニューヨークの支配を妨げることには自身の経済的利益も関わってはいた。彼の地元のミリシア*2、ザ・グリーン・マウンテン・ボーイズは保安官やニューヨークからの検査官による追い立てから一般のバーモント人を守るだけでなく、ニューヨーク側についていると疑われた者には誰であれ荒っぽい正義を行った。
彼はまたバーモントが14番目の州となる権利の為にも闘った。これは彼の死後にようやく現実となったものであった。法の支配が頼りないものであった時代、バーモント人の煽動と反乱は、無法状態や近隣諸州との継続的な衝突にもつながりかねないことであった。イーサン・アレン・ブランドのポピュリズムは容易に独裁主義にも向かいかねなかった。だが現実にはそういったことは起こらず、バーモントの人々は自治に非常に長けていることを証明してみせた。エリートのコントロールに対して自由を守ることを重視する点でバーモントの憲法はその他の殆どすべて*3よりもずっと踏み込み、こう宣言した。

この国で生まれたか海を越えて連れてこられたいかなる男性も、21歳を越えた後、その自らの意思で同意するのでない限り、法によって下僕として、奴隷としてあるいは徒弟として誰かに仕えることはない。女性は18歳となった後は同様である。

アラブの春を生み出した社会運動は、ブラジルやバーモントにおいてと同様に、民主主義はうまく働くし、その代案であるエリートの支配は中東や北アフリカの国々、そしてとくに投票の権利のないままに置かれていた大衆にとって悲惨なものであったという信念によって突き動かされたものであった。民主主義を作り出すまでの道は危ういものであろうとも、そしてそのアートの最も楽観的なサポーター達ですら直面してきたようにまさに危ういものであったのだけれども*4、その究極の報酬は己の土地の政治システムを変えるために自らの命を危険に晒してきた男性たちと女性たち、そしてその社会の両方にとって、闘いに値するものなのだ。

*1:アセモグルは政治経済学だけでなく、経済学のその他の分野でも名を成している人で[http://goo.gl/tLJ8L:title="Introduction to Modern Economic Growth"]というぶっといマクロ動学の本も書かれてますが、俺はそっちは全然知りませんので、無視です。

*2:民兵組織のこと。アメリカはこの歴史があるから銃と縁が切れない。

*3:当時のアメリカのその他の州の憲法のことかな?

*4:原文:"as even the most optimistic supporters of the arts bring have been finding out"。この中の"bring"はどう訳するのかさっぱりわからないので、おそらく単に間違い、消し忘れだろうと判断して削除した上で訳してます。この点につきまして@optical_frogさんの協力を頂きました。ありがとうございました。