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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

死人に囲まれること:「キャプテン・フィリップス」 (ネタバレ)

もう公開されて結構たっているのでネタバレしてきます。

2009年に起こったソマリア海賊によるアメリカの貨物船襲撃事件の顛末をもとにした映画です。

映画『キャプテン・フィリップス』予告編 - YouTube

ソマリアというとリドリー・スコットの傑作「ブラック・ホークダウン」の舞台でもありました。

ブラックホーク・ダウン 予告編 (日本版) - YouTube
ブラック・ホークダウンはソマリアでの米軍特殊部隊と現地のウォーロード、軍閥の将軍の部隊との衝突を描いた映画で、ハリウッド映画なんてアメリカ万歳映画ばっかりなんだろうとか思ってる人には疑いの目で見られることもありますが、実際のところあれは少なくとも明確には反戦指向ではない、アクションのカッコいい戦闘映画なのにもかかわらず、実話ベースなので結末は変えられないという以上の重みをもたせて米軍の敗走(本当に)をクライマックスに持ってくるという珍しい映画でした。

その映画「ブラック・ホークダウン」が based on にした事件が起こったのが1993年でしたが、それから16年後の2009年のソマリア*1では、将軍様達が漁師を小突いて海賊をさせてそのうわまえをはねてました。その小突かれている漁師たち4人が襲ったのが、フィリップス船長が乗り込む貨物船。一旦は貨物船に乗り込んで占拠するも、フィリップス船長と船員たちによって結局は貨物船からは救命艇に乗せられて撃退されてしまうのですが、その際フィリップス船長を人質にします。そして船長を救うために米海軍、そして特殊部隊のSEALSがやってきて...

監督はボーンシリーズのポール・グリングラス。というわけで当然これもブラック・ホークダウン同様、面白いアクション映画ではあるのですが、安直なアメリカ万歳映画にはなりません。結構珍しい変な映画になっているのではないのかと思います。前半は海賊たちと貨物船側の対決で、流石ポール・グリングラス、派手なアクションがあるわけでもないのに面白いです。しかしこの映画について珍しいなと思ったのは後半。船長を人質にした海賊たちが貨物船を救命艇に乗って離れてソマリアへ向かうようになってからです。この時点までにはすでに米軍へ海賊の情報は伝わっており、すぐに米海軍の艦艇が救命艇近くに登場します。そして米海軍の特殊部隊SEALSも。特殊部隊とか書くと、緊迫したアクション、あるいは作戦行動を描いていくのかと想像してしまいますが、そしてアクションはともかくSEALSによる作戦準備と決行を確かに描いてはいくのですが、実のところこの映画の後半のキモはそこにはないと思います。特殊部隊の行動はちゃんと描かれるものの、それは映画の為の背景になっています。この映画の後半部分のポイントは、人質となった船長が自分の周りの海賊達は死ぬ運命にある事を理解している事です*2。それも言ってしまえば、自分のせいで。勿論、映画の中の敵役が死んでしまうのは良くある事ですし、この映画は実話ベースですから事件の結末も既に知られている事ですが、それはあくまで観客側にとっての事です。映画の終盤以前に主人公が周りの人間の死を確信する話はそうそうないですし、またそういう場合はその周りの人間の死をいかに防ぐかという話になっていきそうなものです。でもこの映画での海賊たちの死は、もはや避けられない運命です。それは海賊達4人の乗った小さな救命艇を取り囲む3隻の米海軍船舶という圧倒的な格差の絵によってあらわされています。ある意味、この映画における米海軍は「悪の法則」の麻薬組織と同じ避けられない死の運命として現れるわけです。勿論、海賊達は米海軍が現れたことを認識していますが、でも映画内の描写では米海軍の危険は感じていても、死の運命としては認識していません。まるでなんとかやり過ごせるとでも思っているかのように。米海軍側は当然、海賊達の死を認識していますが、しかしそれはあくまで仕事としてであって、彼らは自分たちが殺す海賊の事などなんとも思っていません。映画後半の海賊、米海軍、そして船長の3者のなかで海賊の死を確信し、かつそれに動揺するのは船長だけなのです。この映画はアメリカ万歳映画ではないのと同様に、海賊をせざるを得ない可哀そうなソマリアの漁師達についての映画でもありません。海賊達も人間だという事、そして彼らの裏の事情というものを見せはしますが、それがメインの映画ではないのです。貧困の中で海賊ビジネスを行うソマリア海賊側と、高度な技術と豊富な武器を持つ米海軍、双方は自分たちの世界に閉じこもり、必要以上の相手への興味を持ちません。ソマリア海賊たちは自分たちが既に死人である事を認識できていませんし、アメリカの軍人たちにはソマリアの死人は単なる仕事の成果にすぎません。その中で船長だけが死人たちと交わり、その為に彼らの死を仕事の成果以上のものとして感じるポジションに立ちます。そしてその死は海賊達が招いたものではあるものの、船長の為に行われるものでもあるわけです。

映画の後半、前半とは違い船長はハッキリとストレスを見せてきます。勿論、周りを米海軍船舶が取り囲み、海賊達の死の運命が決まろうとも、船長自身の安全が保障されたわけではないので、このストレスは(海賊4人と狭い救命艇内に一緒にいるストレスを無視しても)自身の運命についての不安故というのが素直な理解ですし、とくに実際の事件においてはそうだっただろうとおもいます。しかし、この映画においては船長は自分の為の死人たちに囲まれている事のストレスもまた感じているのではないかと思います。それがゆえに救出後の船長のセリフがあるのでしょう:「この血は私のものではない」

*1:1993年はアメリカでは12年続いた共和党政権の後の民主党政権(クリントン)一年目でしたが、2009年もまた奇しくも8年続いた共和党政権の後の民主党政権(オバマ)一年目でした。ソマリア民主党政権一年目に何かあるのかどうなのか。

*2:正確にいうと、全員が死ぬわけじゃないですが。