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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

クルーグマン:緊縮のスミス・クライン・カレツキ理論

"Strange bedfellows"という言葉がありますが、ほんと世の中は状況次第でいろんな組み合わせがあるものです。あとそして、国や時代が違えども人間のやること変わらないなとも。というわけで、クルーグマンがまた新しく緊縮政策批判について書いたブログ記事のなかでちらっとアベノミクスに触れてましたので訳してみました。
 
緊縮のスミス・クライン・カレツキ理論 2013年5月16日
緊縮政策がどれほど失敗しようともエリートからの多大な支持を集める本当の理由について、ノア・スミスが最近、面白い意見(邦訳)を出している。彼が言うにはエリートは経済的苦難を「改革」を推し進めるチャンスだとみているのだという。この改革というのはつまるところは彼らが望むようにものごとを変えろ、それがまあ経済成長の促進という利益に実際に貢献するのかどうかはともかくとしてというもので、こういった変化を必要とせぬまま危機を緩和するようなどんな政策にも彼らは反対するのだと。

「緊縮論者」は不況対策のマクロ政策が制度を改善しないままに社会が危機を「なんとかやり過ごす」のを可能にしてしまう事を懸念しているのではないかと思う。言いかえると、景気刺激策の成功が都合のいい危機を無駄にしてしまうことを恐れているのだ。
...
もし彼らが景気刺激策の危険とは失敗ではなく成功の事なのだと考えているのなら、彼らはそうはっきり言うべきだろう。そうやってようやく、コストとベネフィットについての最適な政策論議をすることが可能になるだろうと僕は思っている。

そして彼が述べるごとく、このポストが書かれた翌日にワシントンポストのSteven Pearlsteinが緊縮政策の為、まさにその主張をおこなっている*1
すこし驚きなのだが、スミスは彼の議論がナオミ・クライン*2ショック・ドクトリンのそれに非常に近いという事を述べていない。その本の主張は、エリートがネオリベラル政策を推し進めるために惨事を組織的に利用してきた、たとえそういった政策が惨事の根本とは本質的には無関係であってもそうだったというものだ。私としては、彼女の本が出た時にその本を嫌う偏見を持っていたことは認めておかなければならない。たぶん、自分の職業的な領地を守ろうとしようとしてとか、まあそういう事から*3。しかし彼女の仮説は多くの事を、とくにヨーロッパで起こっていることについて説明するのに本当に助けになる。
そしてこの繋がりはさらに続く。2年と半年前、http://rortybomb.wordpress.com/2011/01/21/kristol-kalecki-and-a-19th-century-economist-defending-patriarchy-all-on-political-macroeconomics/:totle=Mike Konczalが我々にミハウ・カレツキ*4による由緒ある1943年(!)の論文のことを教えてくれたが、カレツキは実業界がケインズ経済学を憎むのは、それが上手くいくことを彼らが恐れているからだと述べている。上手くいってしまえば、政治家たちはもはや信任を維持の名の下にビジネスマン達に首を垂れる必要がなくなってしまう。これは、緊縮を行わなければならない、なぜなら景気刺激策は構造改革へのインセンティブを取り除いてしまうから、そして予想がつくだろうが、この構造改革こそがビジネス界に彼らが景気を回復してくださる前に提供しなければなならないものなのだという主張にとても近い。
そしてやはりというか、今朝、私のメールボックスにアベノミクスの成功の兆しを嘆く記事が届いていた:アベノミクスはうまくいっている−−しかし上手くいきすぎない方がいいとか。もし上手くいってしまったら、どうやって構造改革をするんだということか?
なので、緊縮への欲求とは逆ヒポクラテスの誓いの実践とみなすこともできる:「一 苦しみを和らげる事はするべからず」。ネオリベラルの改革が花咲くためには、人々は苦しまねばならないのだから。

*1:タイトルが"The case for austerity isn’t dead yet"(緊縮の根拠はなくなってはいない)。確かに緊縮政策は景気を悪くするべきだが、それでもやる意味があると主張するコラム。

*2:反グローバリズムとかで有名な女性活動家。

*3:クルーグマンは左だけど、たとえば保守的な人でもネトウヨは嫌ったりするのと同様に、一般的には左とされるような反グローバリズムの人とかとは微妙な関係にある。

*4:マルクス主義のマクロ経済学者。