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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

クルーグマン: 人的資本の喪失

へーい、またクルーグマンネタです。しばらく前にクルーグマンが技術進歩による雇用への影響についてブログで続けて書いていたことがあり、面白かったので訳しました。ですがその後、全然触れなくなり、代わりにラインハートとロゴフ叩きとかをやってはって(笑)、どうなってんのかなぁと思っていたのですが、ようやく技術と雇用の話題がまた出てきました。これ自体は短いし簡単なものなのですが、クルーグマンがネタ元にしているナンシー・フォルバーのコラムも訳してますのでそちらもどうぞ。
ちなみに最後に触れているクルーグマンが96年の書いた未来の職の文章は山形さんが訳されてまして、おもしろいですから未読の方はぜひどうぞ。
 
 
人的資本の喪失 2013年6月10日
ナンシー・フォルバー(Nancy Folbre)(邦訳)が、人的資本の黄金時代、つまり簡単にいうと、我々がリベラルアーツの大学で教えているスキルを経済が強く需要していた時代がすでに過ぎてしまったと述べている。彼女は正しいのかもしれない。技術と貿易双方がダメージを及ぼすのは肉体労働者だけかのように思われていた長い時代が過ぎ、今では多くの技能職がビッグデータかバンガロール、あるいはその双方からの脅威にされされているように見える。
私も脚注みたいなものを付け加えておこう。これは先日あった議会アシスタントとの会話に刺激をうけたものだ。そのアシスタントは、これまでに技術が技能労働者を、以前よりも必要にするのではなく、不要とするような時代があったのかときいてきたのだ。
そしてその答えは、当然イエスだ。技能にもいろいろあるし、本から学ぶことがつねに重要だったわけではない事を思い出せばいい。
今現在、私は自分のプリンストンのオフィスにいるのだが、プリンストンが設立された理由について考えてみるのがいいだろう。それは投資銀行家たちの為の学校として、ではなかった。ここしばらく、この学校は大体そういう存在になってしまってはいるが。もともとは聖職者を訓練するためのものだったのだ。18世紀には、現代的な大学教育にわずかにでも似ているものに価値があるような場所などほとんどなかったわけだが、価値があった場所のほとんどでなくともその多くは宗教上の説教に関係していた。
しかしそれでも技能をもった労働者、他の者たちよりもずっと多い支払を受けていた者たちはいた。単にそういった技能というのが文字や記号をいじるのではなく、職人技を要する類のものであったという事だ。そして、ここが重要なんだが、そういった技能のかなりのものが技術によってその価値を損なわれてしまう事になったというのが事実だ。ラッダイトたちは非熟練の肉体労働者たちではなかったことを思い出してほしい。彼らは技能を持った織工たちなどで、彼らは自分たちが自動の織機のような技術によって置き換えられていくのを目撃していたのだ。
ところでその後、プリンストンのような組織は教養学校へと進化し、エリートがマナーとコネクションを獲得する場となった。(もちろん、今日ではそれ以上の面はあるがね)。人的資本の作り手としての高等教育の役割はかなり最近になってやってきたものだ。そして多分、ナンシー・フォルバーが言うように、この役割はすでに弱まりつつあるのだろう。
で、どうなるのか?それについて私は大昔の1996年(山形さんによる邦訳)に書いている。Time誌がその100周年を記念して様々な人たちに2096年から振り返るというテーマでの執筆を依頼したのだ。いくらか時代遅れになったところもあるが、しかしそれほど酷くはない、と自分では思うね。