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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

「凶悪−ある死刑囚の告白―」

読書

凶悪―ある死刑囚の告発―

凶悪―ある死刑囚の告発―

サブタイトルそのままに、刑務所に収監されていた死刑囚から世間に知られていない3つの殺人事件についての告白をうけたジャーナリストの物語。なぜか日本で映画化されたデイヴィッド・ゴードンの「二流小説家」を思い出させる話だが、こちらはノンフィクション。2005年、雑誌「新潮45」にて報道され、そののち死刑囚が告発した殺人事件の主犯「先生」が最終的に逮捕され、無期懲役の刑を受ける。当時、俺は日本にいなかったので知らなかったのだが、結構話題になったらしい。
この本を読んでみるきっかけとなったは、これを原作とする映画「凶悪」で「先生」を演じるリリー・フランキーのインタビューを読んだこと。まだ映画は観ていないのだけど(多分、観に行くと思うが)、どうもこのインタビューによると映画は

リリー:人を殺してるシーンのほうがファンタジーというか、一般の日常から少しかけ離れてますよね。藤井(注:映画の中で告白を受けるジャーナリストの名前)生活のほうは、本当に見ててしんどい。映画で主人公の私生活を描くと蛇足になることが多いけど、この映画はそこがすごく活きてる。藤井が日常と非日常、善と悪をさまよっていて、その対比になっているし、すごくストイックな主人公として描かれているからこそ、その両極端が重く効いてる。だから余計に殺しのシーンがポップに見えるんだと思う。

というものであるらしい。「悪」とされるものを相対化し、さらには「普通の(暗黙裡に正しいとされる)日常生活」の中の闇を描くのはフィクションにおいてはありがちなものだが、正直、殺人のポップさと日常生活の重さとか言われると、どうしてもなにか凡庸なものを想像してしまう。原作にはジャーナリストの生活なんてものは一切出てこないしね。もっともこれはノンフィクションの原作から、映画のフィクションへの翻訳としてありそうなものと理解できる反応かもしれない。告白を受けたジャーナリスト自身が書いた原作は、そのジャーナリストによる地道な犯罪暴露の過程は面白いし、「先生」の犯罪は勿論恐ろしいが、それら全てがはっきり言って凡庸な「悪の弾劾」によって締められる。別件逮捕でもなんでも、悪人逮捕の為なら当然といって顧みない一面性が著者について終盤には感じられるため(勿論、悪人逮捕が大切なのは完全同意なんだけど)、それから一歩離れたフィクションにおいては原作においては描かれていないジャーナリストの倫理性にも視点が向けられているようだ(未見なので上のインタビューからの推測だけど)。そして、そういう視点が凡庸なものな気がするのが嫌なのだが。
しかし、俺がこの原作を読んでいて一番気になった事、恐ろしかった事はポップな殺人などではなくて*1、もっと地味な弱肉強食だ。原作中の「先生」の殺人は愉しみのためではなくて、仕事として、つまり生活の糧として行われている。基本的には、リストラやアル中などで身を持ち崩していて負債が上回っているものの資産もまだ残っている元富裕層が狙われる*2。野生の猛獣の世界では肉食獣は高齢や病気、あるいは何らかの理由で群れからはぐれて孤独になった草食獣を狙うが、まさに「先生」はそれを人間の社会で実行している。さらに殺人も、実際に罪に問われた明白な「殺人」ものだけではなく、生活力のないアル中に住居といくばくかの生活費、そして酒を与えるという「投資」を行って死ぬのを待つという根気強くもおぞましいものだったりもするのだ。高齢、孤独、そしてその他の要因をもったものは草食獣として目をつけられ、肉食獣の肉となる。原作には実行に受けされた件だけでなく、目をつけられたが実行には至らなかった件も紹介されている。目をつけられた人物は、目をつけられた事すらも知らないのだ。もしあなたがそれなりの資産がありながら、社会的に孤立していれば、あなたを喰らおうと目をつけている「肉食獣」が存在しているかもしれない。社会が根絶しようとし、少なくとも目につきにくいものとしてはいるが、やはり存在している弱肉強食の世界とその世界で生きている人達がいるのだ。原作の死刑囚や「先生」は当然その人達だが、なかで出てくる死刑囚の愛人、自身は犯罪者ではない女性は死刑囚と「先生」によって殺された人間の存在を推察していながら全く平然とそれを受け入れている。群れから離れた弱者は餌でしかないのが当然の世界、比喩ではない弱肉強食の世界が存在している。それを思い知らされた、あるいは思い出さされた事が恐ろしい。

*1:残忍な殺人と虐待も描かれているが。

*2:よってこれは良く言われる貧困ビジネスではない。本当の貧者では、殺人までする理由がないものね。