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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

"Rule Golden" (黄金律) デーモン・ナイト

デーモン・ナイトの1954年の傑作!だと思うのですが、残念ながらあまり有名ではない作品です。でも傑作なんですよ。
初読がいつだったか正確には思い出せませんが、とにかく90年代に古本屋で買った

SF戦争10のスタイル (講談社文庫)

SF戦争10のスタイル (講談社文庫)

の中に収録されていた翻訳版の「黄金律」を読んだのが初めて。それで感銘を受けて、デーモン・ナイトの名前を覚えました。といってもナイトというとSF評論家としての方が有名なのでこれを読む前から名前は目にしていたはずですが、確実にその名を覚える事になったのがこの「黄金律」です。
留学やらなんやらで何回も引っ越しをして本を整理してしまううちにこの本も手放してしまってたのですが、思い出す事がよくある作品でしたので今回改めて原文の方を読んでみました。
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(なぜかアマゾン貼り付けだと表紙が出ませんので画像をはっつけてます。)
なんかバカっぽい表紙ですが、中身はいたってシリアス。アメリカ中西部において暴力を振るったものがまるで自身に暴力を振るわれたかのような痛みに襲われるという現象、つまり「他者から望む行為を他者にせよ」という黄金律(Golden rule)の逆である「他者になした痛みが己に戻る」という黄金律をひっくり返した(Rule Golden)謎の症状が人間だけでなく動物にまで発生。その為に、犯罪者に発砲した警官は銃弾の痛みに襲われ、屠殺場では食肉の為の屠殺が出来なくなり、さら監獄の看守たちも人間を閉じ込める事による精神的苦痛から退職者が出る始末。ゆっくりと拡大を続けるこの「目には目を」によって引き起こされた暴力からの逃避により社会が崩れていく状況を背景に、地方の小新聞社の社主である主人公が米軍の秘密の研究らしきものに気づいて調査を始めたところ、米政府からその研究施設への招待を受けてというところから物語が始まり、そしてまったく新しい世界への扉が開かれたところで物語が終わります。
読んでいて小松左京
明日泥棒 (角川文庫)

明日泥棒 (角川文庫)

を思い出しました。中盤以降、主人公ともう一人の人物がバディとなり逃避行をするからというのもありますが、60年代小松左京における大所高所と市井が混じって世界が描かれるのに似た感触を受けたからです。まあどちらも現代とほぼ地続きの近未来*1を舞台に、侵入者によって変えられてゆく世界についての小説ですから、似てくるのは当然なのかもしれません。それに似ているといっても「明日泥棒」はユーモアを纏いつつ困惑と未知への怯えと共に終わるのに*2、こちらは人間だけではない幾多の地球上の生物の屍の上に築かれる楽園への道が示されて、ある種とてもポジティブに終わります。スターリン毛沢東なら我が意を得たりと思ったかもしれない要素があるわけですが、これがマッカーシーがようやく弾劾をうける事になる1954年に発表されていたわけで、アメリカSF界において良く言われるようにフィクションの舞台としてSFはやはり自由だったのだなと感じます*3
作中で人類そしてある程度以上の知性をもった地球の生物全体が強制的な変化に直面してゆくのですが、正直、邦題が「黄金律」となっているこの作品は上でスターリン毛沢東の名を出したことからも分かるように倫理的な作品には思えません。Golden ruleではなく、Rule Goldenなのはそのあたりの事をデーモン・ナイト自信が認識していたからというのもあるのでしょうか。「正しい事」を成す為の犠牲が正当化される、あるいは軽視される作品ですから。パワー・ファンタジーなどと揶揄される事もあるSFにおいてもこういう発想は基本的には否定される傾向にあると思いますし、アラン・ムーアなどはその代表作でしょう。勿論、犠牲を伴いつつ世界が変わる話は一杯ありますし、変える為の犠牲は当然とする偉そうな登場人物が出てくる話もありがちでしょうが、主人公側がそっちの作品はそうないのではないでしょうか。パッと思いつくのはSF周辺作品ですが、「ファイト・クラブ」と「ヨルムンガンド」とかくらい(どっちも原作は未読)。思い出せない・読んでいない作品でそういうのは色々あるでしょうが、基本的に犠牲を良しとする連中は悪役側であり、「Watchmen」のオジマンディアスのような犠牲も致し方ないと計算する上から目線の者たちによってなされるものであるのが普通だと思います。
このRule Goldenにおける世界の変化もまさに「上からの」者たちである、まあ未読の方でも推測はもうついていると思いますので書きますが、宇宙人によってなされるわけですが、しかし作品の印象として嫌な感じがしません。それは主人公が最初はともかく基本的には巻き込まれ型であり、真相を知ってからも変化に関わっていかざる得ない立場にある事、そして「上から目線」の宇宙人も実はこの変化の為に大変なコストを支払っていることがあるからです。なので印象としては、冷静に考えれば膨大な命を奪っている酷い話なのに、主人公たち自身も膨大なコストの一部を支払っている事によって一見倫理的なように感じられます。経済学でいうところの清算主義っぽいというか。その仕組みによって上からの変化の押し付けの厭らしさを感じさせずに、大量虐殺に基づく苦難に満ちた楽園を読者に飲み込ませるこの作品は、踏み入れて良いのかどうか分からない領域に足を踏み入れる事を納得させている作品であり、故に何の悪意も込めずに傑作と言いたい作品なわけです。

*1:勿論、もうどっちも大昔の近未来ですが。

*2:全編シリアスですけど同じ小松左京「見知らぬ明日」も同様の終りを迎えますね。

*3:もちろん、まだこの時期のSFは性的、人種、民族的な制約・偏見にとらわれてもいるわけですが。