P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

ミシェル・ウェルベック「服従」、あるいはぶっちゃけ、男なんて持ち上げられてセックスできたらなんでも良いんじゃないの?

数年前に話題になったウエルベックの「服従」を今頃読みました。

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「仏大統領選で激震!!」と帯にあり、「世界の激動を予言したベストセラー」とも書かれている本であります。内容が2022年の大統領選で極右政党への対抗策として左派政党とイスラム政党が共闘、その結果イスラム政党からの仏大統領が誕生し、フランスのイスラム化が進むという設定のこの本、反マクロンのイエローベスト抗議運動が大きな話題になっている今、なんか時代とずれている感もありますね。ですが、中道を標榜していたマクロンが今の不人気のまま2022年の大統領選挙へ突入すれば、逆にそういう展開の可能性も高まるのかもとか思ったりもしますが...まあ別段、真面目に予想として捉える作品でもないでしょう。さて、そういう設定の作品となると自然に予想されるのは反イスラム色のポリティカル・フィクションというあたりになりますが、しかしウェルベックについてはろくに知らないながらもこれまでに読んだ唯一のウェルベックの本

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について

という感想を持った私としては、そんな単純な本なわけもないだろうと思いながら読んでみましたら、やっぱり違いました。もちろん、日本やアメリカならばともかく、フランスそして欧州・イスラム圏についての政治的言明については基本判断がつかないので話の中で起こっている事のリアリティの度合いは全く分からないわけではあるのですが。ちなみにこの本の事を全く知らない私の知人がタイトルだけを見てエロい本かと誤解した事があったのですが、そっちの方のは当たってはいないながらも、この本の重要なところを押さえてはいました。この本は、陰謀論を現実であるとするようなポリティカル・フィクションタイプの面白さではなく、文明論と、中の上流レベルのインテリの中年の危機が一夫多妻という名のハニートラップによって救われる様を描いた作品でした。そしてその精神的劣化・弱体化という中年の危機のセックスによる解決がフランスの征服・服従につながるという。

中年の危機に見舞われた大学教授である主人公はイスラム政権誕生後、ゆっくりとイスラム化していくフランスの中で、その過程に参加しないという消極的なあり方でイスラム化に(意識的にではないとしても)微妙に逆らっていたわけですが、それが最終的には体制に取り込まれていきます。男が女性に求める事は「セックスのできるお母さん」であるという批判をどこかで読んだ気がしますが、一夫多妻という制度により「セックスのできる(≈見た目の良い・若い)お母さん(≈世話をしてくれる)」妻をキメラ的に作り出すことでその制度を生み出すイスラム化をエリート層に容認させていくというこの「征服」方法は男についての身も蓋もない批評かもしれません。現実的であるのかどうかは難しいところですが。個人レベルでなら有効的でしょうが、流石に社会レベルだと既に存在している女性エリート層からのバックラッシュがあって実効的とは思われない。そういうバックラッシュへの暴力による抑圧を想定しているということだろうか?とか考えたりもしますが、まあ既に書いたようにそもそもまず真面目な予想ではなくて、これもある種の「世界系」、主人公自身の悩みがフランスの悩みを表しており、「世界」がそれに反応してくれる物語と捉えるべきなのかもしれません*1。そしてその点で、終盤、主人公のイスラムへの転向が起こるあたりで、この作品が「1984」の反転であるかのように感じました。「1984」では無気力な党員であった主人公がプライベートを得て活力を取り戻していく末に国家と衝突、国家によって粉々に破壊されて社会に適応しますが、こちらでは活力を失っていく主人公が変わりゆく国家の中で、国家によって女性と社会的地位*2をあてがわれて活力を取り戻し新しい社会へ適応していきます。個人の欲望の肯定による国家の勝利というのは、まあ現代的かな*3

*1:ま、いい加減に「世界系」という言葉を今さら使ってますけど。

*2:この両者はそもそも結びついているわけですが。

*3:あくまで男性についてだけですが。