P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

歩むべきGlory Roadはどこにあるのか?ハインライン「栄光の道」

好きなSF作家はと問われればハインラインと答える事にしているわたくしでございますが、数あるハインライン作品の中で特にどれと問われれば、長編ならば「栄光の道」を挙げる事にしています*1ハインラインの有名作といえば、「宇宙の戦士」、「月は無慈悲な夜の女王」、「異星の客」、そしてまさに日本におけるロリ物の人気を示すような「夏への扉」*2とあるわけなのに、なぜ「栄光の道」なのか?一つには、ハインラインがこの作品で見せているSF作家としてのセンスですが、それは別にこの作品に限ったものではない。より大きな理由は、ハインラインといえばジュブナイルでも有名なわけですが、「栄光の道」はそのジュブナイルの時期が過ぎた後の青春小説(あるいは青春からの卒業についての小説)にハインラインが彼なりに近づいた作品だと感じるからです。いにしえの20世紀にハインラインと並んでSF BIG 3と呼ばれたアシモフ*3ハインラインについて、

ハインラインは時代についていこうと努めていた。だから彼の後年の小説は1960年代以降の文学の流行に関して、「それっぽくあった」

書いています。とはいえ、アシモフによるハインラインの努力についての最終的な評価は「私は彼が失敗したと思う」なわけですが。そのハインラインが時代についていこうと「努めていた」のがよく現れているのがこの"Glory road"こと「栄光の道」です。今回、この「栄光の道」を久しぶりに読み直したので、その感想を書いてみます。

Glory Road (English Edition)
アマゾンから原書の方を。これは今回、原書の方を読み直したからというのもあるのですが、訳書がアマゾンでは古本としてしかなく、早川書房のサイトで検索しても「栄光の道」が出てこないからです。訳書は絶版にでもなったのか?*4
 
この「栄光の道」の原書にはディレイニーによるハインライン評でもある「栄光の道」評(1979年)が載っているものがあります*5。このハインライン評によると、意外にもディレイニーハインライン好きなのだそうです。

ところで、マルクスの好みの作家はバルザックだった。公然たる王党派だ。そしてハインラインが私の好みの作家の一人だ。

また、デーモン・ナイトによるハインラインの哲学の中心的信条の引用を引き写した後で*6

ハインラインと私はおそらく何が「惑わされた」事になるのかについて、あるいは「惑わされた」事についての社会的責任に関して口論する事にはなるだろうが、それでも、もしハインラインの宣言を突き出されて署名を求められたなら、私はそうする。

とも書いています。こういうディレイニーによる「栄光の道」の評価は、

ハインラインの形式的にもっとも満足のいく作品の一つ…

その終盤では「銀河市民」(1957)以来のどんなハインライン作品に見られるよりも劇的な運命の変転が、はるかにずっと自然で納得のいくかたちで起こる。

ハインラインの他の作品群がなければ、「栄光の道」の喜びにあふれた発想の質の高さがもっとよく理解されていただろう。我々はそれを「軽い」作品として、けれどいつまでも定義されることを逃れ続ける理由によっていつまでも魅力をもつ作品としてみなすことが出来ていたかも知れない。いうならば、そう、我々がコードウェイナー・スミスの作品の事をそうみなすように。

というものです。ハインラインを評するのにコードウェイナー・スミスを持ち出すのは初めて見ましたね。という事で、ディレイニーハインラインを、そして「栄光の道」を高く評価していたわけですが、ディレイニーによると「栄光の道」は連載時(1963年, F&SF)にファンからの評価が非常に悪かったそうです。ディレイニーはそれはこの小説の構造のせいだと書いてますが、まずは作品の紹介を。

「栄光の道」は主人公である米軍退役兵のゴードン、ヒロインである魔女のようなスター、そして従者のような老人(おじさん?)のルフォによる、大雑把に分類すればファンタジーと言えそうな作品であり、大きく4つのパートに分ける事ができます:ゴードンが米軍を退役しヨーロッパで貧乏ボヘミアン生活を送る中でスターとルフォに出会うまで、3人の地球外での冒険パート、ゴードンのセントラルでの生活、そして地球に戻ってきてから。既に書いたように大雑把に言えば冒険ファンタジーなのですが、作品のポイントは冒険にではなく、冒険の後にあります。冒険が終わった後の勇者、つまり元勇者はどう生きればいいのか?

上で触れたハインラインの後期の作品について、じつはあまり読んでいません。どうにも後期の作品には彼の頭の硬さというか、彼の保守性が顕著にそして声高に出てくるように感じられて、そうなるとこちらと思想的に合わないのでそれが気になって読めなかったりするわけです。勿論、「栄光の道」においてもそういう面は散見されて、例えばハインラインの保守性と彼の納税額のせいか税金についての文句が多いのは青春小説と考えるとほんとうんざりさせられるところだったりします。ですが文化の多様性についての引用を最初に掲げるこの作品は若いころのハインライン、1930年に海軍士官としてニューヨークに住む事になった時にはグリニッジ・ビレッジを選びレズビアンの友人もいた*7ハインラインの一面が、最初のヨーロッパでのパートなどに反映されているのではないかと思います。このヨーロッパのパートは60年代のヒッピーのイメージを先取りしているようにも思えます*8。作中でのハインラインの当時の若者についての評価は非常に保守的なものであり、60年代のヒッピーの隆盛を完全に予想失敗しているのにもかかわらず*9。もちろん、ハインライン自身はこれを執筆時点で既に50代であり、若者自身による青春からの成長の物語ではないわけでもあり、それは仕方がない。

かつて、栄光の道を最初に読んだころに印象的だったのは最初のパートなのですが、今回久しぶりに読み直して良いなぁと思ったのは地球に帰ってきてからのパートでした*10。上に書いたようにディレイニーによるとこの作品は連載時に非常に嫌われていたそうなのですが、それについてディレイニーはこの小説のファンタジーとしての上部構造のせいではないかと書いています。この小説は一応、冒険ファンタジーとみなされるのが普通なわけですが、ファンタジー小説的な第2パートにおいても正確にはファンタジーについて語るメタファンタジーであり、さらにその後には冒険が終了した後の勇者の存在の意味、あるいは元勇者である事の人生においての意味についての小説になっていきます。トールキンアメリカで大ヒットする直前にトールキンフォロワー達の小説より先を行っていたのは、ファンタジーをSFとして語ってみせる「魔法株式会社」を1940年に発表しているハインラインの面目躍如というところです。

ですがそれだけでなく、いやそれ以上にこれがSFを含む広義のファンタジーですらないからではないかと思います。実際、最初と最後のパートについては全くSFではなく、そこでは現実の地球の人間サイズの美しくもなく悲劇的というほどでもない悩みや問題が語られているからではないかと。そういう小説だから、つまり人生の意味を探す小説だからこそ何度も書いているように青春小説と感じるわけです。ゴードンは冒険を経て20代にして人生の頂点を迎えてしまい、その後、冒険の報酬として豪華ではあるが、結局はとても豪奢なヒモの生活を送ることになった事に気がつくわけです。そうなった元勇者はどうすれば良いのか?生活に追われるという事がなくなった後にどう生きるべきか?それは青春の(あるいは豊かな時代の引き延ばされた青春の)疑問。与えられたヒモの生活をI deserve it! I earned it!といって受け入れるのも一つのありかた。けれどそれを受け入れられない人間もいるだろうし、ゴードンはそういう人間として設定されています(といって与えられた富を完全に拒絶するわけでもないですが)。けれど、そのゴードンが新たな挑戦の為に戻ってきた地球(というかアメリカ)で消耗し、結局、一人では人生の闘いに負けて行くのがとても良いわけです。そして、そのゴードンを救済する世知に長けた友。第3のそして最後のパートは、そういう敗北とそしてそこから脱していく成長を描いていて、つまり夢物語だけでは人生はすまない、夢物語ですら人生全てを埋めることはできないという事についての物語になっています。そりゃ嫌われるわなw

*1:あと「自由未来」とか「銀河市民」とか良いですね。それから「宇宙の戦士」もなんだかんだ好き。

*2:こんな表現をしてますけど、日本以外でのこの作品の人気のほどは知らないです。

*3:当然ながら残りの一人はアーサー・C・クラーク。私はアシモフも好きなんですが、なんだか今ひとつクラークは好きになれません。

*4:その上さらに、アマゾンあるいはネットで単純に検索すると弱虫ペダルの"Glory road"という曲がいっぱい出てくるし。

*5:あと、このディレイニーエッセイ集にも載っています。

*6:「どんな政府であれ、あるいはなんならどんな教会であれその民に『これを読んではいけない、これを見てはいけない、これを知ってはいけない』と命じようとする時、その最終的な結果は専制と圧政である。その意図がどれだけ立派なものだろうと。心がすでに惑わされている人間を操るのには大した力はいらない。その反対に、自由な人間、その心が自由である人間はどれほどの力を使おうが操る事はできない。拷問台でも、核分裂爆弾でも、どんなものを使っても出来はしない。自由な人間を征服することは出来ないのだ。最大限出来るのは、そいつを殺すことである。」

*7:くどこうとして失敗したそうです。

*8:あるいは戦間期のヨーロッパに滞在していたアメリカ人芸術家とかについてのハインラインのイメージとかだったりするんだろうか?全然しらんけど。

*9:とはいえ、実のところそういう若者像がニクソン言うところのサイレントマジョリティー的な若者の主流だったんじゃないのかなとも思うけれど。

*10:もともと嫌いだったとかってわけではないですが。