P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

選挙の情報集約、あるいはオバマがマケインより良い候補であった事の証明

ノースウェスタン大学のフェダーセン(Feddersen)教授は選挙、とくに選挙が持つ有権者の情報の集約機能に関する論文で有名な方です。その教授がアメリカ時間で11月4日、つまり選挙の当日、まだ結果がわかる前にForbesに選挙結果に関してアメリカ人は安心していいのだよ、という一文を寄せてられました。いったい日本人の誰が今さらそんな文章に興味を持つのか分かりませんが、俺は興味がありますので(この教授の論文を頑張って色々読みましたから)訳してみます。有名な18世紀のコンドルセの定理(選挙結果は一人の人間の判断より優れているというもの)から現代の政治経済学での選挙の情報集約機能まで簡単に触れて、選挙は正しい政治家をちゃんと選ぶよ、といってられます。よってオバマが選ばれたのは正しい事だったのですよ*1
有権者を信ぜよ ティモシー・フェダーセン

この選挙への投票は大変なものになるだろう。
この週の後半、もしかすると今後4年間、一部のアメリカ人は熱狂し、他のアメリカ人はその結果がひどい間違いだったと確信しつづけるだろう。故に今は、たとえ勝者が誰であれその結果を祝福する理由について考えてみるのがよい時だろう。
1785年、フランスの哲学者あり数学者でもあったコンドルセはその有名な論文多数決の確率に対する解析の応用試論を発表した。その中で彼は、集団での意思決定のために大規模な選挙を用いることを支持する理由の中でも中心となるものの一つである、彼の有名な陪審定理について述べている。
コンドルセは大規模な選挙において、どうして多数による判断が一人による判断よりも優れているのか厳密に明らかにしてみせた。二人の候補による選挙を考えてみよう。各有権者はどちらの候補がより優れているかについて、いくらかの情報をもっている。しかし完全な情報をもっている有権者はおらず、どちらがよいのか確信しているものはいない、とする。もしたった一人の有権者が決定するのなら、その有権者は手持ちの情報に基づいて決定するだろう。しかし、その決定が間違っている可能性は相当に高い。
しかしながら、もし各有権者の持つ情報に一片の真実があるならば、たとえ全ての真実を知る有権者がいなくても、有権者全体では非常に多くの情報をもっていることになる。コンドルセの定理は、もし人々が自身の持つ情報に基づいて投票するなら、たとえその情報があいまいで不完全なものであっても、大規模な選挙においては、全ての有権者が完全な情報を持っている場合に選ばれるのと同じ結果が選ばれるという事を示してみせた。つまり、選挙は情報をきちんと集約してどんな個人に可能なものよりも良い結果を生み出す事ができるのだ。
コンドルセはその数学的な論拠を与えた;だが、彼は人々が本当に自身が持つ情報に基づいて投票するかを考えたわけではなかった。多くのアメリカ人が、所属する党だからという理由だけで投票したり、わざわざ投票しにいくのは割に合わないだとか(なんといっても一日の給料が飛ぶのだ(訳注:ご存知の通り、なぜかアメリカの選挙は平日に行われる))、判断を下すのに必要な情報をもっていないからといって(選挙の争点について詳しく知らないからと)棄権したりしているのは、だれでも知っている事だ。定理の理屈にてらすと、このような行動――戦略的投票と呼ばれる――はうまくいくはずの大規模な選挙での情報集約をそこなうように思われる。
過去15年に渡って、私は――そしてプリンストンのウォルフガング・ペゼンドーファーや、ノースウェスタンのデビッド・オースティン−スミス、ペンシルバニアのアルバロ・サンドローニ、そしてその他――は選挙における戦略的投票がどういう結果をもたらすかについて研究してきた。
それらの研究は戦略的投票が実のところ、選挙の情報集約機能を強化するかも知れないということを明らかにした。コンドルセの基本的な洞察は驚くほどに頑強なものだったのだ。
故に、コンドルセとその現代での弟子達はこの選挙について心配するアメリカ人に心の平安を届けることができる。もしあなたの望む候補が敗れたとしても、それでも選挙結果を我々全てが祝福する理由があるのだ。1月に就任するのが誰であれ、我々はもう少し心安らかに眠ることができる。大衆に選ばれた選挙の勝者は、どんな有権者が望みえたよりもずっと良い政治家であるだろうから。

*1:じゃあなんでブッシュが選ばれた、というのはなしです。2000年の選挙ではゴアはブッシュよりも得票数が多かったのに、それでも選挙制度とフロリダ州の裁判所のせいで負けたわけですから。