P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

クルーグマン:日本再考

久しぶりのクルーグマン翻訳。何しろ日本についての、ある意味ポジティブな文章なので訳しときました。ある意味、ですけどね。クルーグマンはオバマの経済対策をtoo small, too lateと批判してますので、そこら辺の苛立ちもあるんだろうな、とは思います。

日本再考 ポール・クルーグマン 2009年3月9日
十年かそれ以上に渡り、日本の失われた10年は現代マクロ経済学にとってのお化けであった。経済学者は、Xをしてはいけない、あるいはYをしなければいけない、さもないと日本になってしまうぞ、という警告を繰り返し、そして政策決定者は、まごつき彷徨っては厳しい決定を下す事を避けてきた日本の政策決定者達と自分たちが違うのだと、自分達をあらかじめ褒め称えてきた。
さて、これを言うのは私だけではないことは間違いない。日本はもうそんなに悪くはみえないのだ。
たとえば、日本の政策の有名なのろくささ−銀行部門の損失を直視してシステムに必要な資金を注入することを拒み、ゾンビー銀行を死なせる事を拒んだこと、増大する負債の経済への影響を恐れた為に、踏み出したと思ったら立ち止まった財政政策−そういったすべては今では完全に理解可能、ではないか?日本に起こったことについての知識を持っていながら、これまでのところ我々はまったく同じ道のりを歩んでいるのだ。
そして今後数年の間に起こりそうな事からすると、成長率は低かったがしかし大規模な失業や痛みはなかった日本の失われた10年は、実のところかなりよかったように見え出してくる。我々は自身の失われた10年に突入するかもしれないし、しないかも知れないが、しかし数百万のアメリカ人がこれから味わうことになる非常な悲惨さは、90年代の日本に起こったどんな事よりもひどいものにはなるだろう。
私はまだ我々は日本よりうまくやれるのではと希望を持っている。しかし本当にそうなるかどうかは、まったくさだかではないのだ。