P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

31.女性

1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第31セクション「女性」の翻訳です。
これまで非コミュ非モテロールモデルと書いてきましたが、じつのところここまででは非コミュはともかく非モテは前にはできてませんでしたが、それがようやく出来てきましたね。いやあ、良かった良かった!
というわけ、アシモフ非モテ話です。ラストのとこなんて、2chはてな匿名ダイアリーの一部非モテの人達の願望成就じゃないですか!アシモフは同意しないでしょうけどね。まあ、こんな事書いて誤解されても困るので一応いっときますと、非モテ話とか言っても、一部はてなブロガーのような読むとこっちが引くような話ではありません。またついでに言って、非コミュの方も、一部はてなブロガーの方々とは比べ物にならないでしょう(だってアシモフ、人と話せてるし)。ロールモデルとしてのアシモフなので、これは救いようのないような話ではなく、ハッピーエンドへと向かっていきます。

追記:KimuraShinichiさんからの指摘を受けて、注の間違いを修正

31.女性
幸運にも、私は性について混乱したり疑いを持ったりした事はこれまで無かった。幼稚園においてすら、私は小さな女の子は小さな男の子よりも眺めるのがずっと楽しいことを発見していた。その当時、なぜそうなのかと疑問に思った事はなかった。そういうものなんだと受け入れていたからだ。*1
時が経つと共に、当然ながら私も性について学んでいった。といってもお分かりだろうが、両親からではない。私の父と母が私にセックスについて話をするなど、ありうる事ではなかった(というか、もしかしたら間違っているかもしれないが、自分達の間でも話した事はないのではなかろうか)。そして私の方だって、両親にその事について質問しようなど思った事もなかった。
セックスについて何か他のまともな情報源から学んだわけでもない。他の男の子達からの間違った、いいかげんな知識から学んだのだ。これは、セックスを他の知識と同様に教えるにはお上品に取り澄まし過ぎ、偽善的に過ぎた社会によって若者達に課された、よくある運命であった。
セックスがいかに重要か、どれほど大きな喜びの源であるか、どれほど巨大な惨めさと悩みの源であるか、 求愛と結婚の働きにどのように影響するのかを考えれば、子供達にどうやってフットボールをプレイするかを教えるのには多大な努力を払うのに、どうやってセックスをするかを教えるのには何の努力もしないというのは、奇妙なことではないだろうか?
学校の授業の中に性教育を導入しようとすると、必ず強い反対が起こる。反対する人達の間にあるのは(「道徳」についての偽善を取り除いた後には)、セックスについて教えると若者達がそれを行ってみようとして、望まない妊娠と性病につながるのではないかという恐れだろう。
私は、そんな事はばかげていると思う。この地上の何ものも、若者達がセックスを試してみる事を止めさせるなどできはしない。その人生を狂わせて破壊させてしまうくらいの無知と束縛の中へと横暴に押し込めるのでもない限り*2。セックスの神秘を取り除き、オープンに取り扱えば、その行為から違法性と「禁じられた果実」としての魅力が取り除ぞかれる。私は、避妊と衛生をの正しい方法を含んだ、セックスの全ての側面についての正しい知識は、実際のところ望まぬ避妊と性病を減少させるだろうと思っている。
さて、セックスについて他の男の子達から聞いた後、私はどうしただろうか?当然、それ以上の事を学ぼうとしただろうか?私の曖昧で不完全な知識を実施にテストしてみようとしただろうか?同意してくれる若い女性がいさえすれば、実験は容易だったはずだ。そしてもしかすると、性的経験をすでに積んでいて、それについて喜んで教えてくる若い女性に出会ってさえいたかも。*3
実は、全然違う。私はなにもしなかったのだ。私に欲望がなかったという事ではない。私は若い女性を物欲しげな目で見つめ、そしてかなりつらい目にあいながらもどうにかいかにして女の子に近づくのかを学んでいった。しかし、何も起こらなかったのだ。
その一番の理由は、私に時間がなかった事だ。大学ではガリ勉をし、キャンディーストアーでも真面目に働いていた。その上さらに、父はDaily Newsの夕刊*4を扱う事に決めたのだが、これはニューススタンド*5には直接運ばれてこないのだった。そのため10代終わりには毎晩、どんな天気だろうとも例外なく、私は集配センターまで約半マイル*6歩いて、トラックがやってくるのを待ち、新聞を受け取って代金を払い、そして店までそれを持ち帰っていた。これによって私の晩はほぼ占領されてしまっていて、若い女性との不純ではない社会的付き合いすら不可能であった。
実のところ、私は20歳になるまで女の子とデートをした事はなかった。
私は12歳から19歳まで、ボーイズ高校、セス・ロウ・ジュニア・カレッジ、そしてコロンビア・カレッジと、女の子は入学できない学校に通っていたために、この状況はさらに悪化させられてしまった。学校では、まるで修道院のなかのような禁欲の荒野の中にあったのだった。
全てが悪い事だったというわけではない。異性の不在は、その存在によってもたらされていたかもしれない障害に出会う事もなく勉強に集中できた事を意味した。さらに、私は飛び級していたのだから、もし教室に女の子がいたら2歳は私より年上なわけで、私がどんなにがんばって進展を望んだとしても、子供だと見下されて、拒絶されていただろう。
全てが良い事だったわけでも、当然ない。女性の不在は、私の社会的成長の歪みに貢献した。その上さらに、私は初夜(22歳であった)を童貞で迎えたのだ。新婦もまた、処女であった。道徳家達にとっては、これはすばらしいことに聞こえるかもしれない。しかし私は大失敗となったと思うのだ。

*1:このあたり、不思議と俺はハインラインの「栄光の道」の最初のとこを思い出します。あの主人公もこういう事を言っていた。

*2:日本では結構簡単に止めさせられてるみたいですけどね。

*3:このパラグラフ、かなり変えてます。自分自身の事についての仮定法過去完了はうまく訳せないので、疑問文にしました。一応原文を書いておきます"I might, of course, have gone on to learn a bit more about sex than the boys told me and to put my dim and imperfect knowledge to the test. It would surely have been easy to experiment with willing young women. I might, best of all, have met a young woman with sexual experience who would have been pleased to teach me."

*4:原文"the early night-before edition of the Daily News"。

*5:雑誌や新聞を売っている店([http://images.google.co.jp/images?rlz=1C1GGLS_jaJP306JP307&sourceid=chrome&q=newsstand&um=1&ie=UTF-8&sa=N&hl=ja&tab=wi:title=画像リンク])。本屋とは違う。アシモフ家のキャンディーストアーもニューススタンドだった。

*6:800メートルくらい。