P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

なぜ福祉改革は不況対応に失敗したのか? 

ワシントンポストのオピニオンの翻訳です。アメリカの貧困関係の記述を読むと、普通に何百万人、何千万人という数字が出てきますから、かつてはびっくりしたもんでした。なんでそんなに貧困層の人がいるのだろう、そしてそんなにいてなんで社会がそれなりにやっていけているのかと。まあ、貧困は一部に集中してますから、それ以外の人達は無視していればよかった、ということなんでしょうかね。でもいつかは無視だけではすまなくなってくると。


なぜ福祉改革は不況対応に失敗したのか?
 Peter Edelman、Barbara Ehrenreich、ワシントンポスト 2009年12月6日

厳しい状況に陥っても、なんとか支えてくれる何かがあってくれるのではないかと誰もが考えるものだ。たとえば、20年前にエチオピアでの迫害と貧困から逃れてきた、アレクサンドリアでタクシー運転手をしている56歳のMulugeta Yimerだ。彼はこの不況でひどい目にあってしまった。売り上げは落ち込み、彼の家は差し押さえられてしまうことになるかもしれない。政府からの施しは嫌いだと彼は言う。しかし、コンビニエンスストアでパートタイムで働く彼の妻と二人の若い子供たちの為の食べ物について考えてみた彼は、悲しげにこう呟いた。「とにかく、福祉はあるわけだろ?」
実のところ、福祉はない。ビル・クリントン大統領が福祉改革案に署名した時、彼はそれまでの福祉制度をただ終わらせただけではなかったのだ。事実上、彼は全国の多くの地域において、子供を抱えた家族へのいかなるタイプの金銭的な援助をも終わらせてしまっていたのだ。福祉改革は一部で成功と称えられて久しいが、最初からそれは欠陥を抱えていた。不況は困難な時への対処について、いかにそれが欠落していたかを明らかにしたのだ。
保守派はかつての福祉制度について、それが福祉制度への依存を促進すると何十年も攻撃を続けていた。多くのリベラルもまたそれが不十分なものだとみなしていた。福祉小切手の額は多くの家族を貧困から抜け出させるのに十分なものではなかったし、制度はその受給者が仕事を見つける、あるいは続けられるようにするための事をほとんどしなかった。共和党が議会の主導権を握り、福祉の受給者名簿がどんどん伸びっていっていた90年代初め、そういった攻撃は勢いを増し、1996年、クリントンは金銭受給への法的権利を廃して、どの家族についても連邦政府からの経済的援助を5年に限る事とした。
また、福祉改革は受給の監督についての権限をほぼ完全に州に与えた。大半の州は喜び勇み、福祉受給者数は数年の内に全国的に3分の2も減少した。
よって、この大不況がやってきた時、子供を抱えた家族への政府によるセイフティーネットはぼろぼろであったのだ。大規模な失業への合衆国の備えは、ニューオリンズの堤防決壊への備え*1以上のものではなかった。失業保険やフードスタンプなどを含む、重要な政府プログラムのいくつかは、この困難に対応し始めており*2、そして中産階級のかつてのメンバーにおいてその汚名が返上され始めてすらいる。仕事を失った人達の内、失業保険によってカバーされる人達の比率は、不況前の40パーセント以下から今では57パーセントになった−−もっともその給付は以前の賃金の半額以下だが。フードスタンプの利用はさらにドラマチックに増えている。平均的な給付は人々の基本的に必要な栄養摂取を満たすのにまだ十分ではないが、そのプログラムは3600万人を助けている。これはクリントンが執務室を去った時の2倍の数で、去年一年で4分の1も増えた。
対照的に、TANF(Temporary Assistance for Needy Families、貧困家族一時扶助、今の福祉の呼び名だ)の取り扱い件数は500万人ほどだ。この数字はこの不況の始まり以来、100万人ほど上昇した。しかしそれでも福祉改革の始まる15年前の数字の3分の1を少し越えた程度なのだ。
失業保険とフードスタンプの利用数と、福祉取り扱い件数の間のこの大きな違いはなぜなのか?人々は法的な必要用件を満たせば、フードスタンプに対する法的権利を持つ事になる。しかし1996年以来、金銭的援助に対する法的権利はないのだ。よってそのため、一般的に言って福祉は不況の衝撃を和らげることができないでいる。
その結果を見てみよう:National Law Center on Homelessness & Poverty (ホームレスと貧困に関する全国法律センター)によると、ホームレスのアメリカ人の数は2007年12月にこの不況が始まって以来、61パーセント上昇した。今後もこの数字は上昇を続けることだろう。貧困の中で生活している人達の数は不況の最初の一年の間に、250万人上昇した。2009年も間違いなく上昇したことだろう。5000万人近くのアメリカ人は、政府がデリケートに"food insecurity (食料不安定)"と呼ぶ状態を経験していると政府は最近、報告している。
我々は近々、Institute for Policy Studiesより報告される"Battered by the Storm(嵐によって打ちのめされて)"と題されたレポートの共著者のうちの二人である。このレポートは不況による人々の苦しみに対する政府の不十分な対応を記述し、家族を食べさせる為の食料と家賃の支払いの間で人々が今、直面している苦しい選択について述べたものである。
我々二人とも、1996年にそれが成立した時、福祉に対する新しいアプローチに批判的であった。我々の内の一人はその法律に対する抗議として政府の職を辞した*3。もう一人は女性運動の内部から改革に対する反対の組織化を支援した。かつての福祉受給者に対して門が開かれていた低賃金の仕事では、必要な支払いにすら十分ではないと我々は主張したのだった。その法律は福祉から放り出されるシングルマザーに十分なチャイルドケアーを提供しないと我々は警告した。そして、多くの福祉受給者達は労働市場において成功への厳しい障害に直面すると我々は警告したのだった。
しかし福祉改革の一部の推進者達は貧困を選択された状態であるとみなしていたようだ。尻をたたき、最低賃金での雇用の機会さえあれば解決可能な問題であると。当時においてすら十分な仕事はなかったのだが、しかしそれは1990年代の好景気によって目隠しされてしまった。TANFの立案者達は景気循環はなくなってしまったのであって、繁栄が我々を高みへとどんどん連れて行ってくれるのだと考えていたようだ。
1990年代の急速に拡大するサービス経済の中で、多くのかつての福祉受給者達は仕事を見つけた。しかし大半は貧困を抜け出せず、そしてかなりの数が仕事の見つからないまま福祉から放りだされたのだ。研究によると、かつての受給者の5人に1人は最終的にどんなサポートからも切り離されてしまったようだ:福祉も受けられず、しかし仕事もないのだった。結婚もしておらず、パートナーや家族と共に住んでいるわけでもなく、障害年金の給付も受けてはいなかった。そして1990年代の末の低下の後、極度の貧困(貧困ラインの半分以下の所得、つまり3人家族で約9100ドル以下)の中で生きている人々の数は3分の1以上も急上昇して、2000年の1260万人から2008年の1710万人になったのだ。
いくつかの州では、TANFは実質的になくなってしまった--州の新しい権限と受給者数を減らせというワシントンからのプレッシャーからすれば、おそらく驚くような事ではないだろう。全国的に、援助を受けている貧困家庭の子供の比率は3分の2から3分の1以下へと急低下した。一部の州は、福祉受給者数を90パーセントも減らしたのだ。
愚かにも、多くの人々はこの大きな減少を福祉改革がうまくいっている証拠だと歓迎した。彼らはそういった家族が、様々なパートタイムの仕事と、親の就労中にその子供達が一人残されている厳しい生活状況の中に陥っていく中、その事をわざわざ知ろうとはしなかった。
2001年の末に始まった不況と共に、福祉受給から放り出された何千と言う女性達は、仕事も福祉受給もなくなっていた。たとえば、マイアミの福祉改革「成功物語」であったBeverly Ransomは給与の良いケーターリングの仕事を見つけたが、不況がその仕事を奪うと、仕事の見込みもないままわずかな援助だけでは彼女とその二人の子供の家賃も払えなくなってしまった。彼女は最終的に福祉受給の権利のため戦いの助けをコミュニティ・オーガナイゼーションから受けることができた。
2001年とその後の数ヶ月がセーフティー・ネットの穴を明らかにしたとすれば、今回の危機はTANFがこの国の多くの部分で実質的に無意味なものになっている事をよりはっきりと示した。福祉改革の真の目的がただ受給者数を減らす事だけだったなら、それは大成功であった。いくつかの州は経済状態により積極的に対応してきたが、しかしそういった州は例外であった。高い失業率に直面した現時点ですら、多くの州での福祉取り扱い件数はわずかなものである。昨年の終わりで、ワイオミングの受給者リストには281家族、およそ550人がいる。アイダホは1600家族、オクラホマは8639家族、アーカンサスは8664家族である。TANFを受け取る貧困家庭の比率はワイオミングで4パーセント、アイダホで5パーセント、イリノイで9パーセント、ルイジアナで9パーセント、テキサスで9パーセントである。2008年、20州において取り扱い件数は減少した。
給付もわずかなものである。30州で、最大の給付が連邦の貧困ラインの30パーセント以下なのだ。ミシシッピーは極度にけちけちしており、そのTANFは三人家族に月170ドル、貧困ラインの約9パーセント、つまり光熱費をようやく払える程度しか出していないのだ。
全国的にも、1996年の法制化以来、連邦の福祉予算は増加されていない。よってインフレの為に、その予算は3分の1ほど減少してしまっているのだ。2月に議会を通った景気刺激策にはTANFのための緊急の予算があるが、それはほとんど使われていない。財政的に切迫した州には到底満たせない条件がついているからだ。
大半の州は事実上、不況を無視するという福祉政策を取るようになった。Urban Institute によるこの秋のサーベイに回答した24州の内の14州は、上昇した失業率に対応したTANFの政策や実施に関する変更などはなにも行っていないと回答した。
過去の10年間において、州に福祉受給者数を大きく減少させた二つのテクニックがある。そしてそれらは困窮度合いが悪化しているのにも関わらず、受給者数を今また引き下げるために使われているのだ。まず第一は、"diversion"と呼ばれるプロセスで入り口をほぼ完全に閉じてしまおうというものだ−−これは事実上、「働けそうじゃないですか。出て行って、仕事を見つけてきなさい」と告げるものだ。Urban Instituteの分析は、42州が、明らかに仕事がない状況においてすら徹底的な求職を必要とするといった、福祉の申し込みを妨げる規則を設けていることを明らかにしている。車や公共交通機関へのアクセスのない人には、一部の州や郡が設けている、福祉への申請が検討される前に12件の仕事をあたらなければならないという用件は致命的なものになりうるのだ。
コネチカット大学ロースクール(University of Connecicut law school)のKaaryn Gustafsonによると、一部の州では、「福祉申請は、まるで犯罪を申請するようなもの」であるという。顔写真、指紋がとられ、子供の本当の親についての長い尋問が行われる。話が広まり、そして困窮の中ですら多くの人はそんな不名誉な事は避けようとするのだ。
受給者数を抑えるための別のテクニックは、ナイトクラブの用心棒のような者を裏口に置いておく事だ。この手法は"sanctioning"とよばれている−−時間通りに仕事に来なかったり(病気の子供だろうが、バスが遅れたり、車の問題があったとしても、言い訳はきかない)、福祉事務所に予約の時間にこなければ(予約の通知を受け取っていなかったとか、英語が分からないなどといった事は考慮されない)、福祉受給から蹴りだすのだ。一部の州では、この手の事の違反が何度か会った場合、生涯にわたる受給資格喪失につながるのだ。
アメリカの1996年の福祉改革の実験は経済についての無責任な仮定と、そして家族を守ることの現実についての無情な無関心に基づいたものである事を認めるべき時である。新しい雇用のためだけでなく、わが国のセーフティネットの深刻な欠陥を埋めるためにも、大規模な緊急救済パッケージが必要である。5000万の人々が助けを必要としているのだ−−3ヵ月後でも6ヵ月後でもなく、今日、この時にである。

ワシントンポストによる執筆者紹介:Peter EdelmanはGeorgetown Law Center の教授で、クリントン政権下では保健福祉省の次官補を務めた。Barbara Ehrenreichのもっとも最近の著作は"Bright-Sided: How the Relentless Promotion of Positive Thinking Has Undermined America."である。彼らはInstitute for Policy Studiesによって月曜に公表されるレポート、"Battered by the Storm"の共著者の内の二人である。

*1:カトリーナの事

*2:つまり制度が寛容になってきているという事。

*3:Peter Edelmanはクリントン政権下で政府にいたそうです。