P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

クライメートゲート:あなたは何を信じる事を選ぶのか?

池田先生がまたなんか小躍りしてられますなぁ、と思っていたらコロンビア大学の統計と政治学教授アンドリュー・ゲルマンのブログで物理学者のPhilという方(プロフがなくて、詳しい事はわかりません)がクライメートゲートへの感想を書いてられました。タイミングも良かったし、書いていることも同意できるので訳してみました。で、気候変動についての文章を訳してはいるんですが、人為的気候変動の問題について深い興味があると言うわけではありません。それ関係の学界が人為的気候変動が起こっているということでまとまっているのなら、専門家ではない人間としてはそう考えるのが妥当なんだろう、というぐらいです。実はこの問題についての個人的な興味は、その気候変動の問題そのものよりも、専門家でもないのに学界での主流派は間違っている、間違っているはずだ、と断言できる人たちの方に興味があります。なぜ彼らはそう信じるのか?それ関係についてクルーグマンブログポストを書いているので後で多分、訳します。
[追記:一部、訳文中で「地球」が「気球」になっていましたので、修正しました。指摘していただいた方、ありがとうございました。]


クライメートゲート:あなたは何を信じる事を選ぶのか? Phil 2009年12月8日
多くの科学者達と同様(私は物理学者なのだ)、私は「クライメートゲート」の騒動はちょっとした問題とはなるだろうが、地球温暖化の脅威に対する疑いをさしはさませるようなものではないだろうと考えていた。少なくとも教育のある、知的な人たちの間では。人為的な(つまり人間が引き起こしてしまった)地球温暖化の証拠は確固たるもので、多くのソースからもたらされており、そして幾多の科学的検討にさらされてきた。多くのデータは無料で提供されている。基本的な原理はほとんど誰にでも理解できるし、ファースト、そしてセカンドオーダーの計算も物理の院生なら誰でもできる。こういった事実からすると、人為的地球温暖化が起こっている事を疑うというのは、狂っているように思われる。(詳細について予測するのはずっと、はるかに込み入ったことだが)。しかしながら私は、頭が良く、教育もある人たちによる、(1)一部の科学者は地球温暖化を疑う人達の分析は間違っており、地球温暖化についての科学的議論から排除されるべきだと本当に、深く信じている事、そして(2)一人の科学者がその図表における数字をいくつかいじったらしいこと、という事実によって人為的地球温暖化がどういうわけか疑問視されるべきだと考えているらしい議論、文章、そしてブログポストをみてきた。これは地球温暖化の科学的基礎全体を疑うに足る事、なのだろうか?本当に?
似たケースとして思い浮かぶのは進化論のことだ。古生物学者の間での多くのメールが公開され、彼らが創造説の科学論文をもみ消そうと陰謀をめぐらせていたことが明らかになったと想像してみてほしい。そして進化論を否定する論文を学術誌に載せることを拒否していたのだ。その古生物学者達はデータを捏造し、説明のつかない化石データを隠したり改ざんしたりし、さらにはっきりしないデータセットが進化論の主流学説にうまくきれいにマッチするように彼らの発見を常習的に改ざんしていたと。このことから、あなたは進化論を疑うだろうか?そうすべきだろうか?
私は上に述べたような行為が許容できるものかどうかを問うているのではない(私の意見では、一部はでき、他の一部はできない*1)。私が問うているのは、一部の科学者がこういった事をしていたのを見つけたとして、それのより「進化が起こったという事全体がこれらの発見で疑問にふされることになった」とあなたはいうのか、ということだ。
私が述べているような行為は、それほど架空のことではない。進化論の支持のために、メンデル(Mendel)は遺伝についての彼のデータをごまかした。進化論の支持のために使われたいくつかの化石はいたずらの産物だったかでっち上げだった。そしてまた私が子供の時、馬の進化についてのスミソニアン博物館の展示が多くの化石をその時系列的な順序ではなく、そのサイズにしたがって並べていた事が明かされた(サイズによる順序は段階的、直線的な小さいものから大きいものへの「進化」を示すので、非常に説得力があるように思われたのだが、時系列順序はどんな直線的傾向もまったく示してはいなかったのだ)。
「クライメートゲート」メールに戻ろう。求められた時にデータを提供できなかった事...ひどいものだ。データをごまかすのは完全に弁護できない。メールは一部の研究者による、非倫理的かつ科学的なダメージを及ぼす行為を明らかにしている。それらはその他のものによる了見の狭さやお粗末な判断を明らかにしている。しかし、それらは人為的気候変動の理論を否定も疑問にふしもしない。ピルトダウン人のいかさまが進化論を疑問視させはしないのと同様に。
一部の頭の良い人たちが人為的環境変動を疑問視する主張をあまりに簡単に信じてしまうのは、非常にがっかりさせられることだ。多分、私は驚くべきではないのだろう。ダーウィンが種の起源を出版して150年が経ち、進化論が実質的に正しいとされるようになって100年ほどが経ってもまだ、進化論を疑う人たちがいるのだから。いまだに、進化論は最悪いかさま、良くても研究者達による「集団思考groupthink)」の実例だという証拠を探し、そして見つける人たちがいるのだ(お好きな検索エンジンで"case against evolution"(進化論に対する反例、反証)を検索してみてください)。そういった人たちは、進化論の教育の妨害にときおり成功するのに十分な数、いるのだ。人為的気候変動の理論がよりよい扱いをうけると期待できる理由はないのだろうと思う。実のところ、さらに長い時間がかかるのかもしれない。進化論を認めることは大きな経済的権益を脅かしはしないが、地球温暖化を認めることは脅かす。しかし、経済的に何かがかかっているわけではない知的な人たちがそんなにも積極的に地球温暖化はいんちきだと信じてしまうこのとても残念な状況を経済的な事柄からでは説明できないと思う。そういった人たちは、あるいは少なくとも私の知っている人達は、科学を修めて人為的地球温暖化に説得力がないとか間違っている、などと主張しているわけではない。彼らはただ、そう主張している別の人たちを信じることをえらんでいるのだ。なぜだろうか?
[最後になるが何点か書いておきたいと思う。いい書き手なら文中にうまく入れる事ができていただろうが。(1)どんな比喩も完全ではない。進化論を疑う人たちは、気候変動を疑う人たちと正確に同じではない。(2)勿論、私は気候変動を疑う人たちの主流の主張のことは知っている:1998年はいまだに記録に残るもっとも暑い年だったのだから、気候は温暖化していない(ミスリーディング)、近年のあるいは何十年かの温暖化は太陽放射(solar radiation)の増加によって説明できる(誤り)、地球温暖化の理論は決定的に大気中の水蒸気のレベルに依存しているが、それについてはあまりにもよく分かっていないので理論全体が疑問である(誤り)、そしてその他多数。それらの内の多くは、私は自分自身で科学的に判断できる。その他については私の分野からあまりに離れてしまっているが、専門家なら簡単に調べることができるので、全員が誤っているなどまずあり得ない。(3)気候変動についてはすべてのサイドからの賛否両論の多くの議論がある。短かく、読みやすい(しかしテクニカルではないので、あまり説得的ではないことを期待したい文章として、これは悪くない。より詳細な、そしてデータとテクニカルな議論についてのリンクを含んだものだとして、RealClimate.orgはすばらしいソースである。]

*1:全部ダメと言うのかと思っていたら、一部は許容できるというので驚いた。なにがOKなんだろうか?データの改ざんはダメにきまっているので(そう下にも書かれている)、進化論を否定する論文の掲載拒否についてを個々の学術誌の特徴として許容する、ということだろうか?まあ、雑誌ごとの性格もあるし。