P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

クルーグマン:気候変動問題に怒る人たち(改題)

前のエントリーで触れた気候変動問題否定派の人たちの心の奥に何があるのかについてのクルーグマンのエントリーです。まあアメリカの否定派の人たちについてはこんなものなのかなと思いますが、日本の否定派の人たちについてはどうなんですかね?反知性主義的傾向というのはある程度あるでしょうが。


気候変動問題への怒り ポール・クルーグマン 2009年12月8日
気候変動否定派タイプはなぜあんなにも怒っているのかとDigbyが自問して*1、要はリベラルを悩ませたいだけなんじゃないかというAmanda Marcotteへ肯定的にリンクしている。
私は同意しない。確かにそれは理由の一部ではあるだろうが。
ところで、その怒りは驚くべきほどのものである。気候変動について触れることほど、私のところに狂ったようなメールやコメントを呼び寄せるものはない。反地球温暖化の人たちは、大多数の科学者達は多分、たんに多分、正しいのではないかと述べるいかなる者に対しても、単純に憎しみで満たされてしまうようだ。
そして、その事が、リベラルを悩ませたいというのが理由のすべてではないということを示唆している。違うのだ。彼らは単純に面白がってやっているのではない。
私が思うに、二つの文化的な問題があるのではないか。
まず第一に、環境保護は究極的な「母性的政党」*2の問題だということだ。本当の男は、悪人を罰するのであり、地球を守るために生活を変えたりはしない。(この事についての世論調査
第二に、気候変動はアメリカにおける反知性主義の傾向に逆らっているのだ。ほんの数年前に、保守派はブッシュはあまり考えないから偉大な大統領なのだと、意気揚々と宣言していたのを思い出してほしい。

ブッシュ氏はまさに平均的といったアメリカ人男性の勝利なのだ。彼は普通である。常識的に考える。仕事と、スポーツと、政治の言葉を使う*3。彼の事は理解できる*4。彼には変わったところはない。しかしもし近所で火事があれば、助けに駆け出してゆく。ホースを火事の家にちゃんと向けて、逃げ出してくる子供達の数をかぞえ、そして「サリーはどこだ?」と問いかける。彼には責任感がある。インテリではない。どんな世界の問題もインテリが生み出すのだ。

そう、彼らは怒っている、激怒している。スポーツのメタファではなく、もっと難しい言葉*5で話す連中の話を聞かなければならないという事に。
勿論、これと同じような事は左の側にもある--この天体を救うことをビジネス上の決定にすること、環境上のゴールと私的な誘引を調整して、正しいことをすることを道徳的な義務ではなく利益機会にしようとするアイデアに怒る人たちがいる。これこそが、私が思うに、排出権取り引きに対する怒りの裏にあるものだろう*6
しかし、問題となるのは反環境の狂気の方である。人口の大きな部分は単純に、かっこつけた専門家の判断に基づいて我々の欲望を抑えなければならない世界など望んではいないのだ。そして彼らはそういったこと全てを憤怒ともに否定するわけである。

*1:カナダで気候変動否定が気象学者のオフィスに侵入しようとして捕まった事件や、またその同じ気象学者のメールのデータにアクセスしようとして数人がテクニシャンを装った事件の記事を引用した後に。

*2:"Mommy party"。ここでは当然、民主党の事。言語学者のジョージ・レイコフによると保守派の人たちは政治に関して、「厳格な父親」モデルを持っているという。

*3:学問的な難しい事は言わないと言うこと。

*4:原文"You know him."

*5:原文"big words"。

*6:排出権取引反対に対するクルーグマンの[http://kimihikogogo.blogspot.com/2009/12/unhelpful-hansen.html:title=ブログポスト]。