P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

WSJ:サミュエルソンの思い出

ウォールストリート・ジャーナルのブログがサミュエルソンについての色々な経済学者の思い出を載せていました。池田先生が触れているサミュエルソンフリードマン以前に自然失業率の概念に気づいていたというアカロフの思い出話が載ったやつです。
(himaginarさんのコメントを受けて、間違いを訂正。himaginaryさん、ありがとうございます!)

ポール・サミュエルソンの思い出 2009年12月13日
数学を利用した研究*1により現代経済学の基礎を築いたポール・A・サミュエルソン日曜日に亡くなりました。94歳でした。2000年代に入っても積極的に論文を執筆したサミュエルソン氏の経済学におけるキャリアは、80年近くに及びます*2ノーベル経済学賞が設けられた2年目の1970年に、アメリカ人としてこの賞を初めて受けました。以下ではサミュエルソン氏の思い出をいくつか紹介します。*3

ローレンス・サマーズ、サミュエルソン氏の(義理の)甥、ホワイトハウスの国家経済会議の委員長、以前の財務省長官
「なによりもまず、ポール・サミュエルソンは学者でした。彼はワシントンに一週間続けて滞在した事は一度もないと誇らしげに語っていたものです。しかし研究と、教育、そして執筆を通して、彼はどんな政府の経済高官や多くの大統領よりも大きな影響をこの国の経済生活に及ぼしていたのです。」

ベン・バーナンキ、連銀議長、MIT Ph.D*4
「ポール・サミュエルソンは先駆的かつ多作の経済理論家であり、経済学がこれまでに持った中でももっとも優れた教師の一人でした。経済学の巨人の逝去を、彼の多くのかつての教え子達や同僚達と共に嘆くものです。」

ロバート・ルーカス、ノベールノーベル賞受賞者シカゴ大学教授 (彼の自伝からの抜粋)
サミュエルソンは経済学のジュリア・チャイルドだった*5。どう行うのかの基本的な事を教えて、そしてあなたに自分がなにか複雑な文化のインサイダーになったのだという感覚を同時に持たせるのだ。私は基礎が好きだった*6。私と同世代の多くの仲間達と同じく、私はそれの持つ、経済理論の問題を数学的に表せないというのは、自分がなにをやっているのか分かっていないということだ、という認識を私は内部化した。数学的分析は経済理論を取り扱う多くの方法の一つではない、という見解を私は持つにいたった。それは唯一の方法なのだ。経済理論とは数学的分析である。その他のものは、すべてただの図とおしゃべりだ。」

ジョージ・アカロフノーベル賞受賞者、MIT Ph.D UCバークレー教授
私が1960年代にMITにいたとき、ポール・サミュエルソンはこの国の、断トツでトップの経済学者でした。彼はケネディ政権へのトップのアドバイザーであり、トップの経済理論家で、そしてまたトップの入門教科書の著者でもありました。しかし彼はMITの経済学Ph.Dプログラムに非常に深く関わる時間もまた作っていたのです。ドアはいつでも開かれていましたし、学部のピクニックのようなイベントにはいつでも出席していました。
サミュエルソンはまた、非常に効率的で、学生である我々はピンク・スリップを受け取っていたものでした。これはピンクのメモで、彼の考えが書かれて我々のメールボックス*7に入れられていました。何年か前、私が彼のプログラムへの参加と生徒達との交流について彼を記念する本の中で書いた時、彼のピンク・スリップをまた受け取りました。こうありました。「コメントをありがとう。私が自分がチップス先生*8だったとは全然知らなかったよ。」 彼は自分の事をそんな風には考えたことはなかったのでしょうが、しかしながら、そうだったのです。
私はまた、1964年の春、(ミルトン)フリードマンと(エドモント)フェルプスが有名になるずっと前に、彼が(雇用の)自然率仮説について論じていた講義の事を覚えています。サミュエルソンは、それには真実の要素があるように思われるが、しかしもし正しくなければ、それはひどい害をもたらしてしまうと考えていました。インフレーションを加速するのではという根拠のない恐れのために、政府が雇用を低く抑えてしまうかもしれないからです。サミュエルソンは時代をずっと先んじていたのでした。(雇用の)自然率について考えていたというだけでなく、それが間違いかもしれない事すら認識していたのです。

ロバート・ホール、 スタンフォード大学教授、全米経済研究所(NBER)の不況時期確認委員会(the recession dating committee)の委員長、MIT Ph.D
「ポール・サミュエルソンは、彼の時代まで主に言葉と図を使った分析に頼っていた分野に、厳密さを持ち込むことで、現代経済学を作り出したのです。彼の本、経済分析の基礎、は私の世代の経済学者のバイブルでした。完全に、当時新しかったサミュエルソン・モードで鍛えられたのです。彼は1964年に私の経済理論の教師で、1970年に私が若年教員としてMITに戻ったとき、彼と私は講義を一緒に教えました。
ポールはユーモアと好意を振りまいていて、そして彼の友人や同僚にも同様のことを促進させていました。私の子供達に対する彼の愛情を特に思い出します。子供を持つ事は1970年代初めの若い教員の間では完全に時代遅れでした*9。しかしポールはいつでも私の子供達のことについて知りたがりました。このことで刷り込まれてしまったようで、私の娘はPh.DをとりにMITへ進みました。勿論経済学です。彼女はポールを教師として恵まれませんでしたが、しかし彼女の教師の大部分は彼の教え子達でした。
ポールは私の、ずっと非主流的な考えのいくつかについて好みませんでした。一度、私の金融政策についての討論者に選ばれてた時、彼は討論をこう始めました。「ホールのアイデアについて私の考えはこうだ:これは金融政策を行う、最悪の方法ではない。」 後年、彼が正しかったと気づくようになりました。」

アビナッシュ・ディキシット プリンストン大学教授、MIT Ph.D
「本当に悲しい事です。そして彼のいない学界を考えるのは難しいことです。1930年代いらいどの年代も彼は先駆的な貢献を行ってきました。そのどれもが他の誰かなら、一生の誇りとなったようなものだったのです。
私にとって、これは特別の喪失であります。私の研究スタイル、そして私自身の論文のほとんど全てを支えてきたテクニックは彼の基礎的な論文から得られたものなのです。特殊な状況でのfull equilibrium(訳者注:ここでのfullの意味がわからず)をモデル化するという考えが、ジョー・スティグリッツとの独占的競争の論文や、ヴィクター・ノーマンとの国際貿易の論文の基礎になっているからです。私が彼から学び利用したテクニックには:制約下での最適化の比較静学、対応原理と包絡線定理、国際貿易における要素価格均等化、リアル・オプションの価格(valuation of real options)、リストはさらに続きます」

MIT経済学者、そしてNBER所長ジェームズ・ポターバ(James Poterba)
我々が当たり前のものとしている、全ての学部学生が学ぶ事柄で、ポールがその発見と体系化に絶対的に重要な役割を果たしたものは非常に多くあります。(訳者:サミュエルソンの貢献なしでの経済学を考えるのは)ニュートン以前にどうやって人々が力学を行っていたのかを想像するのに似ています。彼が持ち込んだ厳密さがこの学問を規定したのです。
彼は信じられないほど深い愛を経済学に持っていました。それは彼の貢献の全てに満ちています。きちんと正しく行う事に本当に気を配っていました。経済学はただの(頭の中の)ゲームなどではありません。あなたが何かを行うのは、それが本当に重要な事であるからです。
彼は若い研究者達がやっている事を知る事に非常に関心がありました。彼はいつでも最前線にいようとしていたからです。MITでの私の最初の年、ポールがやってきて私を見つけるといいました。「ああ、君は新人さんだね。何をやっているの?」私は心のそこからおびえてしまいましたが、ポールが売り出し中の新しい講師がやっている事に興味を持っていると知って喜びもしました。

ロバート・シラー、イエール大学教授、MIT Ph.D「投機バブル 根拠なき熱狂」("Irrational Exuberance")の著者
ポール・サミュエルソンは私の経済学でのキャリア全体にわたって、私に影響を与えてきました。つい最近も連絡を取ったところです。
彼がメールしてきて、彼に電話してくれといってきたのでした。2009年10月8日、私が彼に電話して彼と話した事は、電話でよくあるタイプのものではありませんでした。勿論、彼がコンファレンスを組織しているとか、論文のリビューを頼みたいとか、そういった経済学者の間でのよくある連絡ではありませんでした。彼は私と市場での投機について、そして私が創設に係わっている新しい市場(シカゴ商品市場での住宅の先物と、ニューヨーク証券取引所のMacroMarketsLLCの住宅証券のもの)が、私が考えているように投機を抑えるのではなく、促進してしまうのではないかという事について話し合いたがっていたのでした。それらについてやその他の政策に関連した事などについて私は彼と真剣な会話を行いました。この会話は私の考えを変えたりはしませんでしたが、少なくともまだ。しかし後で私は、彼は私の知る大抵の人とはまったく違うのだなと思ったのでした。彼は高い目的によって本当に動かされていたようでした。私はこの彼の言葉に驚かされました。「あなたはこの事を、あなたの牧師か霊的指導者と話してみるべきでしょう。」冗談?そうとは思えませんい。サミュエルソンの変なユーモアは時折、思いもしないところで飛び出したものでしたが、しかし彼は本当に真剣そうだったのでした。

*1:原文"analytical work"。

*2:原文"Mr.Samuelson's career in economics spanned eight decades."。

*3:以下では、『「』がつくものとついていないものがありますが、これは原文に『"』がついているものとついていないものが混在しているのによっています。

*4:MITはサミュエルソンがいた大学なので、そのためにわざわざ「MIT Ph.D」と書いているとおもわれる。

*5:アメリカのフレンチ・シェフにして、料理本著者、テレビ司会者。第2次世界大戦後のアメリカで本とテレビ番組を通してフランス料理の一般化をすすめた。ちなみに今公開されている「ジュリー&ジュリア」ではメリル・ストリープがジュリア・チャイルドを演じている。

*6:サミュエルソンの「経済分析の基礎」のことと思われる。

*7:当然ながら、これはeメールのことではなく、物理的なメールの収納場所。

*8:「チップス先生、さようなら」のチップス先生の事だと思われる。

*9:原文"Offspring were totally out of fashion among the young faculty in the early 1970s" 訳にあまり自信なし。