P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

アセモグル、ロビンソン:「法と強制では人の心を変えることはできない」か?

新著"Why Nations Fail"を出したアセモグルとロビンソンがおそらく販促の為に同名のブログを初めたのですが、結構な頻度で更新しています。アセモグルとロビンソンは政治経済学の分野で著名な経済学者/政治学者ですが、書いてる内容は理論偏重ではなくて読みやすく面白いかなとおもいますので幾つか訳していきます。
 
 
「法と強制では人の心を変えることはできない」 アセモグル、ロビンソン  2012年4月5日 
これは最高裁がブラウン対教育委員会において人種隔離の学校制度は憲法違反だと判決を下した後、ドワイト・アイゼンハワー大統領がウォーレン首席判事に対して言ったとされる言葉だ。
しかし、ブラウン対教育委員会の判決は、画期的な連邦法である1957年と1964年の公民権法、そして1965年の投票権法とともにアメリカ南部の制度への弔いの鐘の音であるとされたし、そしてその通りであった。
ではアイゼンハワーはなぜその事を理解しなかったのだろうか?
それは南部のありようの成り立ちについて間違った認識を持っていたからだ。南部の全ては、人種差別的で黒人と白人は全く異なっているのだと本質的にみなす南部の文化によるのだと彼は考えていた。この文化説によれば、例えば人種関係や制度といったものにおける北部と南部の違いは大昔からのもの、不変なものであって、16世紀や17世紀におけるそういった社会の成立にまで遡るのだとされる。人々の文化を法律で変えることはできない。少なくとも、この説によると。
経済学においてはこの手の説は、イタリアの北部と南部の違いに関してもっとも人気がある。ただ最近は、ある国が繁栄するのに他の国々はなぜ繁栄しないのかの説明として人気が増してきているが。イタリア南部の貧しさについてこの説は、イタリアの南部人が「社会的資本」を欠いているからであり、各人が他者を信用しないからだと、現代の経済の為には必要なタイプの文化や価値を持っていないからだとする。
こういった事に対して何かできる事があるだろうか?残念ながら大してない(もっとも、ハイチに関して見られるように、ニューヨーク・タイムズのコラムニストのデビッド・ブルックのように全面的な「文化の変更」を主張するものもいるが)。
少なくとも1958年に出版されたエドワード・バンフィールドのMoral Basis of a Backward Societyまでは遡ることができ、ロバート・パットナムの「哲学する民主主義 Making Democracy Work」によって広められたこういった説は、イタリアの北部と南部の間の違いの起源を中世の歴史と、イタリア南部は封建制を作り上げたノルマン人によって侵略された事に見出している。バンフィールドの本の中の怪しげな顔つきの南部イタリア人の写真を見てみてほしい。
 
この南部イタリア人を信用できますか?出典:Edward Banfield (1958) The Moral Basis of a Backward Society, Glencoe: The Free Press


信用できますか?これにて証明完了、と。
いや、ちょっと待った!ノルマン人はイングランドも侵略して、その地にも封建制を課さなかったか?英国人は南部イタリア人と同じ「文化」を有しているか?
多くのことが歴史の中に起源を持つ。しかしアメリカ南部の「文化」は実のところそうういったものではない。歴史家のC・ヴァン・ウッドワードが、アイゼンハワーのその発言の翌年に出版した優れた著作「アメリカ人種差別の歴史 Strange Career of Jim Crow」のなかで示したように。
南部の社会を特徴付けるとされるありさまのすべて、とりわけ人種隔離とその制度化は長い歴史を持つものではなく、南部諸州が南北戦争の終わりに解放された黒人たちをコントロールする為にその州憲法を書き換えた1890年代に新しく作り出されたものであることをウッドワードは明らかにした(選挙権を奪われた黒人の影響についてのSuresh Naiduの研究も参照されたい)。
法律がやがては変わることなき南部の「文化」と見なされたものをつくりだしたのと同様、法律はそれを取り除くこともできた。南部は変わり、黒人はその尊厳と自由を取り戻し、そしてなんと、南部はより豊かになった。その主な理由は、人間を搾取し差別する事は繁栄を生み出す良い方法ではない事であった。