P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

クルーグマン: ラッダイトを憐れむ歌

クルーグマンのコラムの翻訳です。これは最近、彼がブログで書いていた技術進歩と人的資本の損失(何が価値ある資本なのかは技術を含めた社会のありように依存しますから)、そして不平等の拡大についての記事をまとめたものになってます。
このブログははてなのブログ(はてなダイアリー)なんですが、はてな民にはプログラマーが多いせいか、プログラミングスキルの陳腐化と新しいスキルの学習の必要性の話題をちょくちょく見ます。そういう個人の努力は誰にとっても必要なんですが、しかし社会全体が変わる時には個人の努力だけじゃ追いつかないですよねぇ。
誤訳・タイポなどがありましたら、コメント欄にお願いします。


「ラッダイトを憐れむ歌」*1 2013年6月13日
1786年、イングランド北部の羊毛産業の中心、リードの織物労働者が「羊毛をあらすき」する機械の利用の増加に対する抗議を発した。この機械は、かつてはスキルを持った労働者によって行われていた作業を取り上げていきつつあったのだ。「このように仕事から放り出された者たちがどうやってその家族を養えるんだ?」と請願者たちは問うていた。「そしてその子供たちを何の徒弟にすればいいのだ?」
これらはバカな質問ではなかった。機械化は最終的には、つまり2世代後には、英国の生活水準の広範な向上につながった。しかし、普通の労働者が産業革命の初期の段階で一体どんな利益をえることができるのか、全く明らかではなかった。多くの労働者は明らかに被害を受けていた。そしてもっとも被害を受けていた労働者はしばしば、努力を払って価値あるスキルを獲得した者だったりした。単に、彼らのスキルの価値が急速に無くなっていくのを目にする為だけに。
さて、我々は新たなそういう時代に生きているのだろうか?そしてもしそうなら、それにどう対処するのだろうか?
最近まで、労働者へテクノロジーが及ぼす影響についての通念は、ある程度安心感を与えてくれるものだった。明らかに多くの労働者は上昇する生産性の利益を完全には、あるいは多くの場合全く受け取ってはいなかった。実際、利益の大半は全労働者のうちの少数*2にわたっていっていた。しかしこれは、現代のテクノロジーが高い教育を受けた労働者への需要を高め、教育のない労働者への需要を減らしているからだと通念の物語はつづく。なので、その解決は更なる教育だと。
さて、この物語にはいつでも問題があった。特に、これは大学の学位がある者とない者の間の拡大するギャップを説明することはできたが、小さなグループ、つまり有名なる「1%」のグループが、高い教育を受けた労働者全般よりもはるかに大きな利益を得てきたことを説明することができなかった。それでも、10年前にはこの物語にも正しい何かがあっただろう。
しかし今日では、労働者へのテクノロジーの影響について、もっとずっと暗い図式が浮上してきている。その中では、高い教育を受けた労働者も教育のない労働者同様に仕事を取り上げられ、価値をうしなってしまう。さらなる教育は、問題を解決するのと同じくらい問題を生み出してしまうかもしれないのだ。
2000年ごろにアメリカの拡大する不平等の性質が変わったと、私は以前に書いた(翻訳)事がある。その頃までは、問題は労働者対労働者だった*3。労働と資本の間での所得の分配、なんなら賃金と利潤の間のと言ってもいいが*4、それは何十年も安定していたのだ。しかしそれ以降、労働のシェアが急激に低下してきた。しかも、これはアメリカだけの現象ではないのだ。国際労働機関からの新しい報告はその他多くの国において同じことが起こっている事を指摘している。これは世界的なテクノロジーの潮流が労働者にとって不利なものであるなら起こるだろうものである*5
そして、こういった事のいくつかは急激なものとなるかもしれない。マッキンゼーグローバルインスティテュートは最近、彼らが「破壊的」と、つまり既存の市場と社会のありようをひっくり返しそうだとみなす12の大きな新しいテクノロジーについてのレポートを公表した。レポートのリストをざっと見てみるだけでも、その破壊の犠牲者の一部は今現在、高いスキルがあるとみなされていて、そしてそのスキルを獲得するために多大な時間と費用を投資した労働者たちになるだろうと思わさせられる。たとえばレポートは、多くの「知識労働の自動化」が起こるだろうとしている。かつては大学卒業生が必要であったことをソフトウェアが行っていくだろうと。また、ロボット技術の進歩は製造業での雇用をさらに減らしていきうるし、しかもこれは医療分野の専門職の一部もまたなくしていくかもしれない。
では、労働者は新しいスキルを獲得する準備をするべきだろうか?18世紀リードの羊毛労働者はいにしえの1786年にこの問題に直面した:新しい職業を学ぶ「困難な努めを我々がおこなっている間、誰が我々の家族を養ってくれるのだ?」そしてまた、彼らは問うた。もしこの新しい仕事がまた、更なる技術の進歩によって価値を失ったらどうなるのかと。
羊毛労働者の現代版は、さらに問うてもいいだろう。非常に多くの学生たち同様*6、獲得するべきと言われたスキルを獲得するために大きな借金をしたのに、結局経済がそのスキルを求めなくなったら一体どうなるのかと。
そうなると教育は、拡大する不平等への答えではなくなってしまう。かつてそうだったとしても(私は疑っているけれど)。
では、何が答えなんだろうか?私が描いた図式がもし正しいなら、中産階級社会、つまり普通の市民がルールに従いつつ真面目に働くならばまともな生活を維持できる十分な可能性があるような社会になんとか似たものを保持しうる唯一の方法は、強い社会的なセーフティネットを持つことしかない。医療とそして最低所得を保障するものをだ。そして労働ではなく資本へと向かう所得のシェアが上昇し続ける中、セーフティーネットは利益とそして/あるいは投資からの所得への税によって賄われなければならないだろう。
もうすでに保守派が「再分配」の害について叫んでいるのが聞こえてくる。しかし、では実際、どんな対案が彼らにあるのだろうか?

*1:当然ながら、ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」のパロ。ラッダイトについても一応解説しておきますと、織物機械の破壊運動を行った19世紀初期イギリスの労働者たちのことです。より詳しくは[http://goo.gl/OMm8C:title=wikipedia]を。

*2:ここでの労働者はブルーカラーもホワイトカラーも全部含まれています。

*3:たとえば、金融トレーダーと清掃作業員のような、労働者内での所得格差の問題だったということ。

*4:マル経ぽく言うなら、ということ。

*5:アメリカだけの現象ならアメリカだけの事情、つまりアメリカの政治システムの問題ではないかとなるが、世界的な現象なら世界共通の何か、つまり技術のようなものが理由ではないかとなる。

*6:アメリカでは教育ローンの債務額がクレジットカードの債務総額を上回っているそうです。