P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

「風立ちぬ」 


もともと気にはなってたのですが、村上隆さんのtogetter「村上隆氏、 #風立ちぬ に感動する」と、小飼弾さんのブログポスト「原作陵辱 - 品評 - 風立ちぬ」を読んで非常にそそられたので観てきました。
という事であんまりはネタバレしない程度に感想。はてぶ/ツイートでも書きましたが、「貴族の映画」という印象です。主人公の堀越二郎は貴族というよりエリートというポジションなんですが、しかし自分以外の人間の人生/命に無関心ではないし、情けをかけもするが、結局はそれらを自分の求める美しさの為の避けられぬ犠牲として供することを受け入れられる存在として描かれていて、その精神性が貴族っぽいという事です。
20世紀前半、飛行機という金のかかるものの開発に金を出してくれるのはまずは軍であり*1、軍隊が好きなわけではないが軍隊と上手くやっていかなければ求めるものは手に入れられない。なので、その軍隊のやる事の結果にも目をつむって、黙って受け入れよう。少なくとも美しい飛行機は作られたのだから。
犠牲に目をむけるか、その成果に目をやるかで、まるで評価が違ってきます。西洋の王侯貴族のパトロンたちの庇護のもとに作られた、つまり犠牲ではなくその成果の世界である西洋の美術界の日本からのサバイバリストである村上隆さんが、カスのごときはずだった日本の大衆文化の中から生まれてきたこの「芸術」に感銘を受けるのは納得です。
そして、色々批判しているけれど、どれも正直重箱隅をつついているだけに思われる小飼弾さんのポストも、犠牲を目にして落ち込みながらもワインをくゆらそうとする貴族の傲慢さへの怒りじゃないのかと考えると納得です。(このサイトの映画評も「怒り」派ですね。)
そして、追記で小飼さんがなぜ宮崎監督は同じ飛行機と薄幸美人というテーマでわざわざ実在の人物を出してきた、なぜ架空のキャラにしなかったと批判されてますが、これも飛行機・戦車大好き左翼*2が、これまで自分の中で抱えてきた左翼で戦争反対なのに兵器が好きでいいのかという矛盾から目をそらさずに、現実と向き合おうとしたが故の選択と考えれば納得です。「現実に逃避した」とか言われてますが、これまでずっと虚構に閉じこもってきた人が自分の嗜好*3と向き合おうとしたんですから。
 
とか言うのは置いといても、この映画にはこれまでの宮崎作品で見たシーンのオマージュのようなシーンがいくつかあり、それがかつて宮崎作品を観た時を思い出させてウルッとさせます。特にカプローニと飛行機の上を歩くシーンは、夏休みの朝にずっと観ていた未来少年コナンを思い出させて*4感動でした。

*1:いまでもこれはそうですが。なのでNASAってのは偉かったなと。

*2:「リベラル」ではないですよね。

*3:ロリについても含めて。

*4:ルパンのアルバトロスの回も。