P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

「少年の名はジルベール」自伝、ではなく 少女漫画史、でもなくBLいや少年愛漫画の始まりまでの苦闘の歴史

少女漫画家の竹宮惠子さんが書かれた
www.shogakukan.co.jp
を、この表紙の金髪の少年がジルベール少年なんだろうなというレベルの少女漫画知識しかない俺ですが読んでみました*1。竹宮さんはそんな知識のない俺ですら知っているレベルの漫画家さんですが、この本は彼女による一応の自伝というか自分史、あるいは少女漫画のある時代の闘いについての物語です。その時代というのが1970年代、40~50年前の物語であり、近すぎず遠すぎず良い感じの湯加減な時代。ちょい遠目の近過去に興味があるので読んでみることにしたわけです。

一応、竹宮さんは知っていると書きましたが、作品で知っているのは「地球へ・・・」とそして「風と木の詩」だけで、しかもそのどちらも読んだ事はないという惨状なのではありますが*2。この70年代を舞台とした本が描いているのは事実上、その「風と木の詩」が発表されるまでの物語です。その後の事も少しは書かれているし、その前の事については様々な事が書かれているわけですが、著者が意図しているのは明らかに、大義名分としては少女漫画界の革命、具体的にはBLあるいは少年愛漫画の登場までの苦闘の物語です。そこに出会いと別れ、友情と嫉妬、大泉サロンと呼ばれた共同生活の情景、そして創作についての考えがなどが付け加えられています。多くの人が登場しますが、その中でも特に大きいのが萩尾望都さんと増山法恵さん。 萩尾望都さんはこれまた俺でも知っている漫画家ですが、これまで全く知らなかったのが増山法恵さん。この増山さん、漫画家さんではないのですが、しかしこの本によると少女漫画史的にはどうも重要な感じがします*3。この本によると増山さんが、少女漫画史における「トキワ荘」的場所であったらしい「大泉サロン」の誕生の舞台裏におり、少女漫画の革命を起こそうとする竹宮さんと萩尾さんの理論的参謀と応援団を務め、そして竹宮さんのプロデューサーというか、田舎から上京した竹宮さんに圧倒的な文化的資本の差を見せつつ竹宮さんの脚につけられた錘のごとく、彼女一人でよりもさらに深く沼の奥底へと引きずり込んでいったようです、少年愛漫画の沼へと。

そう、少年愛漫画。今ではBLはかなり広く知られた嗜好になった感じもありますが*4、この本で描かれる1970年代ではそういうわけではありません。実際、この本の中で取り上げられる少年愛がらみのコンテンツが昭和少年愛の定番である稲垣足穂少年愛の美学」、そしてウィーン少年合唱団という時代*5です。とするとこの嗜好はいつごろから少女たちの間にあったのですかね?この本によると、70年代初めの頃からすでにそれを支持する少女たちが結構な数いたような印象を受けます。とはいえそれは雑誌へ反応を寄せる読者達から受ける印象なので、彼女達はノイジーマイノリティだったのかも知れないし、しかしその後を考えたらそうそうマイノリティだったのかも分からないし。描かれている男性編集者の反応からすれば当時においては少女について一般的とは言えない嗜好と認識されていたようですが。しかしそこへ竹宮さんが風穴を開けて、少女漫画の革命というか一大ジャンルを築いてしまうわけです。

そしてもう一つ、この本の重要な要素が、俺は全然知らなかったのですが、竹宮さんの萩尾望都さんへの嫉妬や対抗心です。それ故に竹宮さんの方から一方的に関係を断ってしまうという。ご本人も少女漫画史に名を残す人なのに、それでも嫉妬するほど萩尾望都は凄かったのでしょうね。まあ手塚治虫も嫉妬や対抗心が凄かったというしなぁ。

*1:解説によると2016年に出た単行本の文庫化だそうです。

*2:ただなぜか「地球へ・・・」はそのノベライズを読んでいます。

*3:少女漫画の知識が無さ過ぎて、断言していいのかどうかも判断できませんが。

*4:とはいえこの本のこの紹介記事ではBLに一切触れていなかったりするわけで、いまだにある種のタブー意識があるのかな。

*5:こちらの本で紹介されているように当時はとっくにゲイ雑誌があるわけですが、流石に20歳くらいの女の子たちが知るわけがない。というか、まあBL趣味はまじもんのゲイとは違いますしね。