P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

「性から読む江戸時代」

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タイトル通り、江戸時代の性に関する文献に書かれている性事情を解説する新書です。小林一茶がつけていた有名な*1妻との性交渉の記録である「七番日記」や、とある村の夫婦の間にできた子供が本当に夫の子かという夫婦間の揉め事がついには藩の裁定を求めるまでになった記録、当時の産科医が難産の妊婦を救った(しかし子供については不明…)記録、そして売買春の記録や、幕府が私的な売春を禁じるというのはまあ良いとしてもその売春を行っていた女性たちを幕府公認の売春宿である遊所に入札させて金を稼いでたとかいうゲスい記録とか。その中で何度も出てくるのが、間引き、堕胎という子殺しとお上によるその禁止。子殺しというと貧困故の子殺しのイメージを持ったりもしますが、そういうケースばかりだけではなかったようで、1808年に現在の栃木県のとある名主が書いた「農家捷径抄」には当時当地の人口減少について

下野国の人々は生活の苦しさを嫌い、子どもを一人か二人育てると、それ以上は「間引き」をしてきたため、突然、病気が流行したりすると、跡継ぎまでなくし、ついに家をつぶすことになり、しだいに人工が減少してきたのだ(156ページ)

と書かれているそうです。つまりどうも生活の豊かさの為に子どもの数を制限していた事もあったような。もちろんこれは当時の女性が重要な労働力であったので妊娠による労働力離脱が望ましくなかったとか、また妊娠・出産が非常に危険な行為であり、産後死と難産死が21~50歳の女性の死因の25%を超えていた(162ページ)のでそれを避けようとした事などもあるのでしょうが。とにかく結果として農村の家族は今ぼんやりと想像されるような子沢山ではなかったようです。

農民家族の多くは、夫婦と子どもからなる小家族を形成していた。たとえば仙台藩、東山地方の一八世紀前半(文化から嘉永年間[一八〇四~五三年])の「死胎披露書」によれば、平均家族数は、夫婦と子ども三人程度の五人前後である(142ページ)

今の日本では子ども三人の家庭は子供が多い家庭となるでしょうが、無茶苦茶に多いというほどでもない。家の存続の為の子どもの必要、女性の労働力としての価値、家の経済力等々のバランスの中で堕胎・間引きが行われていたという事でしょうか。ただ、今でもまさにそうですが、そういった各人あるいは各家の選択が社会的にあるいは時の権力にとって望ましいものであったとは限らないわけで、実際、人口減少という問題に直面した藩などではそれに対処する為に人口増加を目的とした妊娠・出産の管理・監督が行われるようになっていたそうです。そしてまたそういう管理は、家の存続という目的とも絡んで性・婚姻の管理にもつながっていくわけで、

江戸後期の『世事見聞論』(武陽陰士、文化一三年[一八一六])で、諸大名のなかでも、とりわけ「不義すら死刑」にする厳しい処罰を行った大名とされた岡山藩の藩主、池田光政は、当人たちの合意による婚姻を禁じ、婚姻は確かな仲人のもとで執り行うべきとした。(147ページ)

となり、またもともとは武家のなかでの家の存続のためのものであったという養生論が民衆のなかにも広がり18世紀後半から19世紀前半にかけて最高段階に達したのは

夫婦の性行為そのものを慎み、生殖としての性を重視することが、家の維持・存続にとって重要と強調されたことは、上層社会の問題であった家の維持・存続が、江戸後期には、町人や農民たちにとっても現実的な課題となってきたことを物語る(155ページ)

とされます。この本で個人的にもっとも興味深かったのがこの江戸時代の性への規制です。「色に迷ひ愛に溺れて妻をもつは道にあらず」(158ページ)という言葉はそういう意識を端的に表しているものでしょうか。「おわりに」を除いて章の中では最終章である5章の最後に

「近代日本における生の変容を論じる民俗学者・社会史家・社会学者・社会評論家には、現在でも広く共有される歴史的<常識>が存在するように思われる」、そう指摘したのは、赤川学である。その「歴史的<常識>」とは、江戸時代は性行動の自由度も高く、性規範も「おおらか」、性は汚らわしいもの、抑圧されるべきものとする味方が見られるようになるのは明治以降のことというものである」 (166ページ)

という<常識>(1999年出版の本からの引用)の事が書かれているのですが、この本は全体としてこの<常識>への批判とまではならなくとも留意を求めるものになっているように思えます。歴史学について無知なのでこの<常識>がいまだに常識なのかどうなのか分からないのですが、こういう言説はネット上でいまでもたまに見かける事があります。明治以降、キリスト教の影響で云々とかが更についてきていたりもして。ですがこの本の中で延々と語られているのは、江戸時代においても時の権力が世の性をコントロールしようとしたし、また民衆の中でも家の存続という観点から性へのより強い規範が生まれつつあったということです。とはいえそれは別に、実は江戸時代の方が明治以降よりも強い性規範があったという話ではなく、実際、明治以降の方が性規範は強くなっていたのでしょうが、でもそれはもともと江戸時代に生み出されつつあったものが近代化された結果なんじゃないの?とか思えるようになったわけです。まあ日本史とか全然知らないので、もうとっくにそういう本とかもあるのかもしれませんが。

*1:と書いてますが実は知りませんでした…