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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

14.サイエンス・フィクション

SF アシモフ

1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第14セクション「サイエンス・フィクション」の翻訳です。
この前の「パルプフィクション」の続き、「サイエンス・フィクション」です。が、あんまりSFの話をせずに、パルプフィクションから脱線して現代社会(1990年ごろ)の問題へと。気持ちはわかるけど、ちょっと残念。まあとにかく、ここのところアシモフ自身の話から少しばかり離れてますが、また次のセクションからもうちょっとプライベートな話へと、そしてアシモフの not so 神童時代へと...


14. サイエンス・フィクション
パルプフィクションのジャンルの一つが、「サイエンス・フィクション」であった--もっとも小さくて、一番下に見られていたジャンルだ。これはアメージング・ストーリーズという形でパルプフィクションの世界に登場した。その最初の号は、1926年の春号だった。編集長、よって雑誌サイエンスフィクションの生みの親であるヒューゴー・ガーンズバックは、それを「サイエンティ・フィクション」とよんだ。醜い造語であった。
彼は編集長の地位から1929年に追い出され、その年の夏に二つの競争相手の雑誌、サイエンス・ワンダー・ストーリーズエアー・ワンダー・ストーリーズを創刊した。すぐにこの2誌は<ワンダー・ストーリーズ>に統合された。これらの雑誌に関連して、彼は初めて「サイエンス・フィクション」と言う言葉を使うようになった。
新雑誌名の中の「サイエンス」という言葉の存在は、私にとっての天からの贈り物であった。私は父が、サイエンス・ワンダー・ストーリーズと題された雑誌は科学についての雑誌なんだと考えるように、父をだまくらかしてしまった。ゆえに、サイエンス・フィクション雑誌こそが、私が読むことを許された最初のパルプ雑誌でとなった。これは、やがて私が作家となった時、選んだ分野がサイエンス・フィクションであった理由の一部だろう。
別の理由は、サイエンス・フィクションが若者のイマジネーションを掴んで拡大してくれるものだったことだ。私を宇宙、とくに太陽系とその惑星を紹介してくれたのはサイエンス・フィクションだった。たとえ私がすでにそれらのことを科学の本で読んで知っていたとしても、私の心のなかにそれらの事を、劇的にそして永遠に、刻みつけたのはサイエンス・フィクションであった。
たとえば、エドモンド・ハミルトンThe Universe Wreckers(宇宙の破壊者達)*1という、アメージングの1930年5、6、7月号での三回連載があった。その中で、地球は太陽系外からのエイリアンによって破壊されそうになるのだが、海王星まで行って地球を救うヒーロー達の捨て身の勇気によってその破壊計画は失敗におわるのだ。(ただの犯罪者を捕まえるのと比べて*2、なんとエキサイティングでサスペンスフルだったことか!)
この物語のなかで私は初めてトリトンのことを知ったのだった。海王星の二つの衛星のうちの大きいほうだ。アルファ・ケンタウリもまたマイナーな役割をもっていたが、これがおそらく私が初めてその存在を知り、そしてそれが一番近い星なんだと理解した時だろう。
現代物理学の基礎の一つである不確定性原理のことを私が初めて知ったのは、ジョン・W・キャンベル, Jr.のUncertainty(不確実性)という、アメージングの1936年10月号と11月号の2回連載を読んだ時だった。
注意しておくが、私はサイエンス・フィクションが正しい科学的知識を学ぶ優れた学習手段だといっているわけではない。実のところ、私が子供だった時には、その逆の方が正しかった。その初期の頃には、多くのサイエンス・フィクション作家達はあれもこれもと多くの分野を手がけるパルプ作家達であり、彼らの科学の知識は本当にひどいものだった。そして同様にひどい科学の知識しか持たない、熱心な十代の子供達がいたのだ。
しかし、ゴミの中にも真珠がまぎれているもので、見る目のある読者ならばそういうものを見つける事もできた。たとえば、アメージングの1932年9月号から始まった、J.W.スキドモアという名の作家による、「ポジ」と「ネガ」と名づけられた存在についての短編シリーズだ。「ポジ」、「ネガ」は、当然「ポジティブ」「ネガティブ」を意味しており、その1932年の物語で初めて、陽子と電子という概念が私の頭の中に入ってきたのだ。
だから、私の父が他の店ではなくてキャンディーストアーをやっていたというのは、私にとってなんと幸運だったことか。といいたいが、実は幸運のおかげというわけではなかった。必然であったのだ。私の父は簿記をつける以上の学はない移民であって、父には選択の余地はなかった。父には肉屋やパン屋になるような技能はなかったし、グロッサリーストアーを営むことも恐らくできなかっただろう。キャンディーストアーは生ものを扱わないので(ソーダファウンテンの準備は別だが、これには大した学習がいるわけでもない)、もっとも難しくない店であって、必要とされたのは最低限の知識だけだったのだ。まさに底の底だった。
ところで、売り物の雑誌を読むうえでの難しい点の一つは、雑誌がお客に買われてしまう前にすばやく読み終えてしまわなければならない事だった。もしお客がやって来てドク・サヴェッジを買おうとした時に、私の読んでいるのがその唯一の号だったりしたら、コブラ・ストライク*3よりも早く取り上げられてしまうのだ。幸運にも、サイエンス・フィクションへの需要はあまり大きくなかった。私が読み終える前に、読んでいる号を手放さなければならなかった事は、一度も覚えていない。勿論、同じ雑誌が何冊かあれば、そしてそういう事はよくあったのだが、ほとんど危険はなかった。
しばしば私のお気に入りの雑誌のうちの一つかそこらが、その販売最終日まで売れずに残っている事があった。私がそれらを宝物として取っておいたと思われるかもしれない。しかしその雑誌の新しい号が来た時には、売れ残りの古い号は卸価格で返却できることになっていて、そして父はそれらを返却していた*4。私が一冊でも手元に残しておく事を許された事は、一度たりともない--しかし私は我が家の家計が薄氷の上のにあることを知っていたので、文句を言ったりはしなかった。
それに、私は他のものをただで手に入れる事ができたのだ。私はチョコレートソーダを時折、飲むことができた。まあ、そのたびごとに頼まなければならなかったが。ものを知らない人達はそれを「エッグ・クリーム」と呼ぶけれど、それには卵も入っていなければ、クリームも入ってはいないのだ。本当に入っているのは、濃いチョコレートシロップとソーダ水だ。そして同じものを今日、飲んでみようとはしないように。最近ではどんな合成されたゴミがシロップとして使われているのか知らないが、なんであれそれは私の父のキャンディーストアーで使っていたものの、甘いチョコレートの豊かさには完全に欠けているだろうから。そしてまたしばしば、私の母は育ち盛りの子にいいだろうと考えて、チョコレートを溶かした麦芽乳を私に作ってくれた。それはこの育ち盛りの子の為にだったのだ*5。それはミルクと、麦芽と、たっぷりの甘いチョコレートシロップが、グラス一杯半くらいに泡立てられたもので、飲むと口の周りにずっと残しておきたい口ひげが出来るのだ。
しかし、これは脱線だ--
このパルプフィクションの読書が私と、そして私の知的発展にどんな影響を及ぼしたのだろうかと思われるかもしれない。父はそれらを「ゴミ」と呼んでいたし、そして認めたくはないが、この賢者は99%正しかった。しかしながら、私はこう思うのだ。
どれほどゴミであろうとも、パルプフィクション読まれるべきであったのだと。くだらなくてハデハデしくて、お決まりが一杯の、話の雑な物語を求める若者達は、文字を読み、文章を読み、その渇望を満たすべきだったのだと。とにかく読み書きの訓練にはなったのだし、そして小さくともその一部はさらに良いものへと進んだかもしれない。
そしてそれ以降、何が起こったかだろうか。1930年代の末、コミックブックが市場に流れ込み始め、パルプ雑誌は競争の中で衰退していった。第二次世界大戦によって紙が配給制となり、さらに衰退が進んだ。そしてテレビの到来と共に、パルプ雑誌の最後の残り火も消えうせた(ただし、驚くなかれ、サイエンスフィクションを除いて)。
全体的にみて、過去半世紀かそこら*6の傾向は、文字から映像へ、であった。コミック雑誌は絵のレベルを向上させ、読書のレベルを低下させた。テレビはこれを極限までもっていった。スリック雑誌ですら、1940年代のピクチャー雑誌や、それに続いたガーリー雑誌(girlie magazines)*7との競争によって、衰退していったのだ。
要するに、パルプ雑誌の時代は、若者がその原初的渇望を満たす為には、文字を読む必要のあった最後の時代だったのだ。今ではその時はすぎ、若者達の生気のない目はテレビ画面に釘付けである。その結果は明らかだ。読み書きの能力は、いにしえの技術となり、この国は順調に「バカになりさがっていっている」ようだ。
この事が私には非常に悲しい。そして、パルプ雑誌の時代の事を思い出すと、私自身についてだけでなく、社会についても、ため息をついてしまうのだった。

*1:未訳のようなので、原題(仮邦題)です。以下も同じ。

*2:映画バットマンを観てもわかるように、通常のヒーローものの悪役は、変な犯罪者達だ。

*3:なんだろう、ドク・サヴェッジの技かなんかかな?

*4:つまり雑誌は買取だったということか。

*5:ここのところ、何が言いたいのかよく分からない。アシモフは小柄だったそうだから、あんまり育たなかったけどね、とか言いたいのだろうか。

*6:1990年ごろまでの半世紀。

*7:よく分からないが、恐らくはエロ系の雑誌のことだろう。[http://www.flickr.com/groups/75366813@N00/:title=リンク]