P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

「バベル オックスフォード翻訳家革命秘史」

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ファンタジーの二つ名は「剣と魔法」であるけれど、それに倣うと「辞書と魔法」物とも呼べる19世紀前半のイギリスを舞台としたオルタナヒストリー作品。どういう事かというと、これ、銀の棒に言語Aの単語aと言語Bにおけるその訳である単語bを彫ると、言語の違いによってaからbへの翻訳で失われた意味が銀の棒に宿り、世界に作用するという設定、つまり文系的な魔法が存在する世界の物語。作中の説明を引用すると

教授は棒の端に文字を刻み終えると、掲げて一行に見えるようにした。「Heimlichイムリ。ドイツ語で秘密や内密クラデスティンを表す単語だ。いまこんなふうに私がドイツ語から英語に翻訳した。だが、ハイムリヒにはたんなる秘密以上の意味がある。ハイムリヒは、元々、「家」を意味するゲルマン祖語に由来する単語だ。こうした意味を集めると、なにが手に入る?自分が所属しているどこかから離れ、外界から隔絶された状態で、秘められた、仲間うちの気持ちのようなものだ」
そう言いながら、教授は棒の反対側に英語でclandestineと刻んだ。刻み終えた瞬間、銀の棒が振動しはじめた。
「ハイムリヒ」教授が言った。「クランデスティン」
またしてもロビンは音源のないところから発せられる歌声を耳にした。どこからともかく聞こえてくる非人間的な声。
世界が変化した。なにかが四人を縛った-なにかつかみどころのない障壁が四人のまわりの空気をぼやかし、周囲の騒音をかき消し、研究員たちがひしめいている階にいるのが自分たちだけだという気持ちにさせた。彼らはここで安全だった。彼らは孤立していた。ここは彼らの党、彼らの避難所だった。(P.125)

魔法物と書いたけれど、作品世界中では魔法として扱われているわけではないし、更にその力は多くの場合、非魔法的技術、つまり蒸気機関などの働きをいわばアップグレードするように作用している。

「思うんですが、先生」ヴィクトワールが言った。「例を与えていただければ⋯⋯」
「もちろんだ」プレイフェア教授は右端になる銀の棒を手に取った。「この棒の複製品をかなり多数漁師に販売した。ギリシャ語のKárabosカーラボスには、「船」や「蟹」、「甲虫」など、さまざまな意味がある。どこに関連性があると思うかね?」
「機能ですか?」ラミーが思い切って訊ねた。「蟹を捕獲するために船が使われた?」
「惜しいが、違う」
「形でしょうか_」ロビンが推察した。話すうちに納得できるようになった。「櫂が並んでいるガレー船を考えてください。ちょこちょこ動く脚のように見えませんか?待った__ちょこちょこscuttle走り、櫓を漕ぐsculler人⋯⋯」
「はしゃぎすぎだぞ、スウィフトくん。だが、正しい道に乗っている。いまは、kárabosに焦点を合わせてくれ。kárabosからcaravelが派生している。これは小型快速艇だ。両方の単語は「船」を意味しているが、kárabosだけは、ギリシャ語の原語で海の生き物の連想を保っている。ついてきているかね?」
四人はうなずいた。
教授は銀の棒の両端を軽く叩いた。それぞれの端にはkárabosとcaravelの文字が記されている。
「この棒を漁船に取り付けるとどの姉妹船よりも多い漁獲量がもたらされる。この棒は前世にとても人気が高かったのだが、使いすぎで魚が減ってしまい、漁獲高が以前とおなじくらいにまで下がってしまった。棒は現実をある程度歪めることができるが、新しい魚を物質化することはできない。そのためにはよりよい言葉が必要だろう。」(p.235)

この設定は発明じゃないかと思う。当然ながらなぜ銀と言葉にこんな力があるのかの説明は一切ない。しかしその力の使い方には法則が設定されている。魔法についての法則の明示というだけだと他の作品でも、例えばディ・キャンプ&プラットのハロルド・シェイシリーズなどにもあったけれど、この作品ではそれが現実にある文系的知識に基づいたものとなっている。「知は力」、この言葉がSFにおいて意味を持つ時は自然科学に基づいた発現がされてきたわけだけど*1、それがなんと言語の知識という文系的知に基づいて発現する例はそうそう思い出せない*2

そしてこの銀と言葉の力が実際の世界の技術にオーバーラップするものであるという設定故に、この作品世界はファンタジーでありながら現実の19世紀から大枠で外れないものとなっている。そう、産業革命帝国主義の19世紀と!この世界のイギリスは蒸気機関だけでなく翻訳の魔法によって世界を支配しようとしている。その為に必要なのが銀と語学力。オックスフォード大学内にある王立翻訳研究所、通称バベルは帝国の力としての語学力の為に作られたものであり、そして銀の魔法は言語を本当に理解している者によってしか発揮できない為にバベルはオックスフォード大学の中で唯一、非ヨーロッパ人を受け入れる組織となっている。主人公は中国系で、彼の3人の仲間の内の2人もインド系と中南米からの黒人。そういった非ヨーロッパ人達はイギリス帝国主義の尖兵としてイギリスが外国から、特に今作では中国から銀を手に入れる助けとなる事が期待されているわけであり、その為に個人のレベルとしてはとても優遇された環境が与えられる。しかし、ではそれで全てOK!となるのかというと、なるわけがない。被抑圧民族の人間を帝国の手先とするのは銀の力を使うためには仕方がないが、それは当然彼らに帝国が行っている事を理解する機会を与え、そして帝国に反乱する力まで与えてしまう。であるが故にこの本の原題に含まれる"The Necessity of Violence"(暴力の必要性)へとつながっていくことになる*3

正直な事をいうと、この暴力、つまり革命部分は、実行の段階となるとそんなに面白くはない*4。「暴力」と謳ってはいるが、基本的に主人公たちが行うのはサボタージュ、銀の力を使わさせない事なので。まあその中でも派手な部分もあるし、革命故の人間関係のねじれや心の奥底の表出はあったけれど。なので個人的にこの作品の楽しかったのはそこまでの部分、つまりオックスフォード大学での勉強生活の部分だった。真剣や学生生活、そしてまた翻訳とはどういうものであるのかについて書かれている部分*5。これ、翻訳者さんも訳していて楽しかったのではないかと思う。

*1:その極端な例がハードSF。

*2:流石にないとまで断言するつもりはないけれど。

*3:この「暴力の必要性」という原題部分は翻訳タイトルからは省かれているのがちょっと興味深い。

*4:準備の段階では、新しい世界を知る事になるので楽しいが。

*5:あと、作中に頻出する脚注が楽しかった。作者のR・F・クァンはオックスフォードで修士をとりイェールの博士号を取得したそうなので脚注の頻出は納得。