P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

アセモグル、ロビンソン: 「不平等とケインズ経済学」

クルーグマンと彼の妻のロビン・ウェルズがウォール街選挙運動から出てきたオキュパイ運動のハンドブック「オキュパイハンドブック」に文章を寄せました。同じく文章を寄せているアセモグルとロビンソンがこのクルーグマン/ウェルズの文章についてちょい批判的(?)なコメントを出してますので、訳してみました。まあ、アセモグルとロビンソンがクルーグマンと大きく政治的に異なっているとは思わないんですが(オキュパイハンドブックに文章を寄せるし)、できればクルーグマンが自分のブログで反論してもめたりしたら面白いなと思ってます(笑)
 
 
不平等とケインズ経済学  アセモグル、ロビンソン 2012年4月18日
ポール・クルーグマンとロビン・ウェルズがJanet Bryne編のオキュパイハンドブックに興味深い文章を寄せている。これはsalon.comにも再掲されている。(実は、この本には我々も文章を寄せている。こちらのポストを見てもらいたい)。
クルーグマンとウェルズは、これまで彼らが述べてきた主張をまとめて、詳説している。彼らは大規模な所得不平等の高まりは大きな政治的帰結を伴うと述べるところから始めている。ここまでは良し。これはWhy Nations Fail における我々の考えと軌を一にしているし、他のところでも我々が述べてきた事でもある。たとえばこれを参照されたい。その次にくるのがクルーグマンとロビンの主張のオリジナルパートだ:この不平等の悪質な主な影響が、2007-2008年の不況と戦う為のケインズ政策の利用を阻害し、失業者の大幅な増加につながった。この考えでは、「右翼」(共和党)はどんな政府介入にも反対するし、雇用を増やし不況と闘うケインズ財政政策と雇用プログラムは、増加した不平等によって非常な富裕層から更に恩恵を受けるようになった保守派により反対されるとなる。
面白くはあるが、この考えはを支持する直接的な証拠をクルーグマンとウェルズは上げていない。本当かもしれないが、しかし不思議な説でもある。以下はこの説について完全には明瞭でないと我々には思われることの幾つかだ。
第一に、「右翼」と「左翼」(あるいはおそらく親エリートと反エリートか)の間の違いは、ケインズ経済学とその政策に関して当然なものではない。ニクソンレーガンを含めた多くの保守派政治家がケインズ経済学を受け入れてきた。ファシストイタリアとナチスドイツは大規模なケインジアンであった。政府プログラムを通した雇用創出はナチの経済政策の礎石であって、それはダン・P・シルバーマン(Dan P. Silverman)によるナチ・ドイツの経済史の本が、Hitler's Eocnomy: Nazi Work Creation Program, 1933-1936(ヒトラーの経済:ナチの雇用創出プログラム、1933-1936)というタイトルになるほどのものだった。もっともアダム・ツゥーズ (Adam Tooze)のWages of Destruction: The Making and Breaking of the Nazi Economyは、雇用創出は2次的な目的に過ぎなかったとしているが。(1873-96年の危機の最中、大恐慌の後、そして1970年代における政治的態度や連合がマクロ経済政策にどのように影響を及ぼしたかについての比較と微妙な点にも触れた分析を行うピーター・ゴルビッチ Peter GourevitchのPolitics in Hard Times: Comparative Responses to International Economic Crisesもまた参照されたい)。
第二に、エリートは一般的に経済への政府介入に反対するという主張はクルーグマンとウェルズの非常にアメリカ中心な見方を明らかにしている。近年の、あるいは遠い過去に(もしくは我々の本に!)たとえ通り一遍でも眼を通してみれば、大抵の社会で、自由放任主義であったとされる19世紀英国においてすら、エリート達は政府を経済へ介入させようと奮闘するものだと了解していただろう。勿論、それは自分たち自身を利する方法としてだ。なので、搾取(extractive)を行う制度が、自由放任主義の経済学の基礎に基づいて作り上げられる事がまずないのは何も驚くようなことではない。奴隷制や、mita*1、オバマの経済政策を妨害する方法として。おそらく、「滑りやすい坂道論」に基づいているのだろう。もし今、政府が積極的になるなら、将来、政府がさらに積極的になるのを何が止めるのか?おそらく、ほんとうにおそらく、それは一部の経済学者がケインズ政策へ闇雲に反対するのと同じ理由、純粋な経済的理由にはっきりと基づいたものではない「イデオロギー的」なものなのかも。はっきりしてものではないが、しかし可能性として。

*1:古代インカの強制労働システム。))のような強制労働システム、政府による独占、南アフリカの"colour bar"のような黒人を不利な立場に置き続け、安い労働を供給させるように作られた制度、そして政府の腐敗などを考えてみよう。これは自由放任主義が生来的に親貧困層だったり反エリートだったりするといっているわけではない。しかし、その逆の見方を強調するのもまた明らかに間違っている。 第三に、現在のアメリカの文脈においてさえ、最富裕層のアメリカ人がケインズ政策に何故反対するのかは明らかではない。結局、豊かなアメリカ人は大企業の所有者であり、最低でもアメリカの企業セクターに強い利害関係があって、企業は総需要の拡張からの主な受益者の一つであるのだし。 第四に、たとえクルーグマンとウェルズの強調することが正しいとしても、十分なケインジアン刺激策がなかったことを、アメリカにおける政治的不平等と政治の分極化の高まりのもっとも大きい悪質な影響の一つとするのは難しいと思われる。教育制度の失敗、拘禁率の高さ、とりわけアフリカ系アメリカ人についての高さ、市民的自由の侵食、一部の企業や産業分野へのその度合いをましてゆく非効率的な補助金や税控除、金融業界への明示的なり暗黙なりの補助金によって生み出される歪みなどはどうなのか?ケインズ主義への十分な熱意がないことは、あまりそれほど重要なものには思われなくなる。 色々と述べてはきたが、クルーグマンとウェルズはおそらくある程度まで正しい。共和党はより積極的なケインズ政策を妨げたし、これは非常に高い失業率の持続に寄与しただろう(この議論にとって必要である政府支出の非常に大きな乗数についての決定的な証拠はないが)。なんであれ、ケインズ経済学へのこの敵意の理由は未だミステリーだ。おそらく、これは単に政治の駆け引きなんだろう、with small p((意味がわかりません。原文は"Perhaps it was just politicking, with small p"なので、おそらく"politicking"のイニシャルの"p"を意味している、つまり大文字の"P"と小文字の"p"で何か違いがあるのかな?とは思いますが...