「文芸の本棚 久生十蘭」
久生十蘭という作家さんをご存知ですか?
読書家の方ならご存じなんでしょうが昭和30年くらいまで活躍されていた作家さんで、検索すると「博覧強記と卓越した文章技巧を以て数々の傑作を世に残し、「小説の魔術師」の異称をもつ作家」といった称賛の言葉が色々ヒットしますが、無知な私はろくに知りませんでした。「全く知らない」ではなくて「ろくに知らない」なのは、横田順彌さんの無茶苦茶面白い日本SFこてん古典
- 作者: 横田順弥
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1984/08
- メディア: 文庫
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の中で久生十蘭の「地底獣国」のタイトルが紹介されていた事をかすかに覚えていたからです。という事で俺にはSF系のイメージがありましたので、本屋で見かけた時にこの本をつい買ってしまいました。
久生十蘭の短編や対談、彼についてのエッセイなどを収録しており、久生十蘭について興味を持つにはまさに丁度いい本です。戦中に書かれたショートショートの3篇「雪」「花」「月」とか良いです。大正期の「電車移住者」、素晴らしいです。戦中の44年発表の「第○特務隊」、面白い。収録されている11作のうち6作が戦中発表の作品で、もちろん反戦志向の作品などは無いのですが、戦争賛美、大日本帝国バンザイ!というのでもなく、その戦争の片隅について語るような作品ばかりが掲載されています。まあこれは作者の傾向なのか、この本の傾向なのかはわかりませんが。ですが収録作中もっとも長く、タイトルからするとなんだか特殊部隊の戦闘を扱っているかのように思える「第○特務隊」が、特殊部隊ではあっても特殊な建設部隊の話だったりして、戦う相手は建設場所の自然環境であるという事、しかもその結末がどこかすこし物悲しいという作品であったりするのでやはり変わっている印象です。
ただ、作品を読んでいると十蘭の文章についての様々な称賛の言葉にもかかわらず、(??)となるところがしばしばありました。なぜそうなったのかよく分からないまま話が進んでいたりします。捕物帳である「忠助」とか、なぜそうなったよく分からないところがあります。勿論、それは私の読解力の問題という事もありうるわけです。ですが、たとえば日本人の通訳と一緒にインドネシア人がオーストラリアまでカヌーで旅をした顛末をカタカナで記した「弔辞」では、そのインドネシア人が日本人を守る為にサメ(鱶、ふか)に追い払おうとした結果左腕の肘(肱)から食べられるのですが、
私ノ突キダシタ腕ハウマク鱶ノ口ノ中ニ入リ、鱶ハ私ノ左腕ノ肱カラ先ヲ喰イトッテ急ニ水ノ中ヘ沈ンデ行キマシタ。
改行されてからのその次の文章が
私ドモハソレカラ五日目ニ「ヨーク」岬ノ西側、「カルン」岬ノ北ノ「ダック」湾ノ、人ノイナイ淋シイ砂浜ニ舟ヲツケマシタ。
となっていて、ここを読んだ時、私は目を疑いました。左肘から先を食べられた事には何も触れないの?肘から先を食べられるというのはどんな人にとっても大事件のはずだし、食べられた後どうしたのかも非常に大事。二人っきりのカヌーの旅ですから、そのまま出血多量で死ぬかもしれない、食べたサメは肘から先を食べた事で満足したとしても血が他のサメを呼び寄せるかもしれない。当然ながら敢えて触れないという書き方もあるわけですが、この食べられた肘に改めて触れられるのが2ページ先、上の引用中の5日目からさらに時間が経って、オーストラリアから戻るカヌーの旅に出てから。ここで食われた左腕を蔦で縛っていた事が知らされるのですが、その左腕が腐って臭くなってから。「肱」という古い漢字なのでもしかしたら私が食べられた部位を誤解していて、実は指の先を食われたとかなのかもと自分の理解を疑ったりもしましたが、このやはりこのあたりの文章を読むと肘から先で正しいよう。となると、作者はこの主人公の左肘から先をサメに食われたという件に大した重みを感じていないという理解にしかならず、別にインドネシア人差別だとかどうとかという事ではなくて、やはり変な感じがします。まあ作品の物語の中で理解しようとすると、これは亡くなった日本人への追悼の文章である為、その日本人の「忠実ナ『ジョンゴス』(下僕)」を自称する主人公が使えていた日本人の死と比べて己の左肘から先を食われたその事件を些細な事と捉えていたという理解も出来なくはないですが、いくらなんでもって感じです。
こういった(?)となる唐突な部分もあったりはするわけですが、全体としては面白い本でした。ほんとに「第○特務隊」とかお勧めです。