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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

経済規模とGDPについて

追記あり。追・追記あり。コメント欄も参照してください。
来る予定だった仕事が来なくて時間が空いてしまったので...(どうなってるんだろう?)
弾小飼さんがGDPの事について質問されてましたので、この空いた時間を埋める為に使ってみる事にしました。俺も一応は経済学徒なので、こういうのはちょっと気になるわけですので。ただ、俺は経済学説史をちゃんと勉強した事はないですし、ノーベル経済学賞を取れる見込みもない人間ですので、何の権威もありません。ここで書く事はあくまで俺自身の考えであることは、先に述べておきます。でもスタンダードな返答だとはおもいますが。
さて、その質問というのは経済成長の意味と、あとGDPがカバーする範囲についてのものだと理解します。具体的には、各家計がお隣とペアになって、お隣の家事を年間1200万円でやってあげたらそれだけでGDPは倍になっちゃうよ、でもこれ何の意味があるの?ってことです。まず簡単なとこからいきますが、

ネットではゼロ円です。
しかし、グロスではどうなるでしょう?日本の世帯数は2005年時点で4,906万世帯。これに1,200万円をかければ、589兆円。あっという魔にGDPは倍になりました。
・・・
言葉遊びですって?でも、GDPですよね、Gross Domestic Productですよね?だとしたら以上はGDPを倍にする完璧な方法ということになります。

この文章からすると弾さんはネットを差し引き、グロスを差し引きなしの総額と考えて、Grossを強調してられるとおもいますが、GDPのGrossは固定資本減耗を引いてませんという意味です。引いた後のものはNDP、Net Domestic Productと呼ばれます。だからこれは言葉遊びではなく、Grossについての誤解の産物だとおもいます。
さて、もうちょっと本質の話ですが、弾さんの案が実施できたら、Grossについての理解はどうあれ、確かにGDPは増えるはずです。でもここで重要なのは、なにが経済活動なのかということです。弾さんがいうようにGDPに計上されない活動も人々に効用をあたえるはずです。なので人に効用を与えるすべての活動を経済活動と呼びましょう。理論的にはそれOKですが、しかし実際の計測をやろうとなるとそれは事実上不可能です。これはGDPだけでなく、理論をアプライしようとした際の良くある問題ですが、理論上の概念と完全に一致する指標を作り出せないわけです。なので実践の際にはさまざまな妥協が行われるわけで、経済規模計測の際には、弾さんが引用しているwikiの国内総生産の項にも書かれている通り、原則として市場で取引されたものしかGDPには計上されません(あくまで原則ですが)。市場取引があれば価格がついているはずで、その価格がその取引の価値を示していると考えます。なぜ価格があるものだけを計るのかといえば、効用をもたらす活動を経済活動としてその規模を求めるなら、集計のためには全活動を単一の単位に置き換える必要があるからです。その単位としては、取引がもたらした効用の価値を使うのが妥当でしょう。しかし効用は測れません。ですが市場取引があれば、その取引価格は計れます。そして価格は価値の代用となる事が理論から導き出せます。なのでGDPは全経済活動のうち、計れる部分だけを取り出したものなのです。

結局のところ、経済成長って、本当のところどうやって計るべきなのでしょうか?「計れない分はなかったことにする」では駄目ですよ。

残念ながら、おれごときではどうやって計るべきなのかはわかりませんが、「計れない分はなかったことにする」わけではないです。計れない部分は分かりませんという事です。いうならば、「孔子、怪力乱神を語らず」みたいなものです(もっとも実際は色々と語られたりするわけですが)。で、GDPは全経済活動の計る事のできる部分でしかないわけですが、弾さんの案を実施すれば、これまで計れなかった部分が計れるようにはなるのでしょう*1。ただそれは、これまでGDPに計上されなかった部分が計上されるようになるだけで、GDPのバックにある経済活動の総計の規模がかわるわけではありません。だから弾さん案は、GDPを増やしても、経済規模は増やしません。こういう誤解が生じるのは、弾さんが指摘されているように、経済活動全般とGDPの混同があるからでしょう。経済成長が必要とだれかが言う場合、直接的にはGDPのことを語っていても、GDPがカバーする領域が変化しない事を暗黙に仮定して、GDPのバックにある経済全体の成長を語っているのだと思いますよ。
あと、

別の言い方をすると、1000年経てば四億倍要領がよくなっているわけですから、今の人たちが一年かけてやっている仕事を、未来人たちは1/30秒ほどでこなすことになります。時間を逆方向にたどると、平安時代の人々が一年かけてやっていた仕事を我々はTVの1フレーム内にやらねばならないということになりますが、古代人(ってほど昔じゃないけど)はそんなに要領が悪かったのでしょうか?

上でも述べましたように、経済規模は価値の総計です。勿論、実践上では価値を価格で代用するわけですが、とにかく、1000年4億倍というのは価値についてです。実際の行動がはやくなるかどうかとは違います。たとえば、手縫いの縫い物を考えましょう。おそらく1000年前も今も手縫いの速さは違わないでしょう(あるいは今の人間の方がそういう手作業は下手になっているかもしれません)。しかし、そういう手縫いに市場価値がつくとして、その価値が今では1000年前とくらべて4億倍になっている*2という事です。この価値は現代社会の中でその手縫いを行う人が他になにを行いうる可能性があるか(プログラムをかく、自動車を作る、飛行機を操縦する、一般均衡分析のどつぼに陥る、その他)を考えれば、お分かりでしょう。手縫いの価値は、手縫いの作業工程そのものが変わっていなくても、現代社会のものすごく高い平均生産性のために(山形・池田間での論争を参照ください)、価値が高くなるわけです。

追記:id:APIさんのブクマ。

あのね小飼弾氏の言ってる事は元々全世帯が1200万持ってないと成立しないのよ。で全世帯が1200万円持ってる時点でGDPが589兆円でしょ。でそこから1200万円を全員で交換しあってもGDPは589兆円のままで成長はゼロです。

し、しまった!その通りだ!ああ、そんなシンプルなことに気がつかなかったなんて!弾さんへの反論としては、それで十分ですね。お恥ずかしい...
追・追記:あれ、よく考えてみたら、id:APIさんの最初に1200万を持っていてどうこうの話は、フローとストックを混同していませんか?金融資産を持っているお隣同士で、1200万ではなくてもとにかく同額でサービスを提供しあえば、それでストックは変わらずにフローのGDPに計上される活動は発生しますから、やっぱり弾さんの言ってるようなことは実行可能ではないですか?

*1:実施の現実的妥当性は考慮しません。

*2:4億倍は弾さんの出している数字ですから、ほんとにそうかどうかはしりませんが。