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P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

クルーグマン:AEAでのレクチャー 「危機」

クルーグマン 経済学

クルーグマンがアメリカ経済学会での年次例会でレクチャーを行ったそうです。一応、ノーベル賞レクチャーということで、ノーベル賞を受けた研究についてのものなんですが、ご本人がそちらのメインである貿易についての研究にはいまあまり興味がないようで、かわりに自分の別の研究分野である通貨危機のモデルをもとにして今回の金融危機ついて語られています。で、その原稿をアップしていたので、訳しておきました。
(追記:T-norfさんのコメント、およびssuguruさんとnight_in_tunisiさんからの助言を受けて、訳を一部修正しました。ありがとうございます。)

危機 ポール・クルーグマン 20101月
これは公式にはノーベル・レクチャーと題されていますから、私はその賞を受ける事になった研究について語ることを期待されているとは思います。しかし...私やその他多くがおこなった収穫逓増貿易や経済地理学についての研究を誇りには思っておりますが、世界で起こっている事や、そしてこの過去12年において主に行ってきた事などからすると、その研究は私の中でいま一番のポジションを占めるものではありません。
幸運にも、うまい脱出方法があります。ノーベル委員会は私が書いた最初の良い論文、「国際収支危機のモデル(A model of balance of payments crises)」、にまで遡る別の一連の研究についても触れていました。その論文は1979年に掲載されましたが、もともとは大学院にいた時に書いたものです。陽気な気分の時には、通貨危機を発明したのは自分だと、私は言ってみたりします。それは紙幣通貨の誕生まで遡りますから、それそのものを作ったわけではありません。そうではなくて、それについての現代の学問分野です。そしてそのビジネスはそれ以来、ずっと好調です。
さて、過去二年の間の世界の問題の大半は、古典的な通貨危機のようなものではありませんでした(とはいえ、時間の問題かもしれません。特にバルト諸国などは、アルゼンチンの道を辿りそうには思われます)。しかし、我々が経験した危機と、通貨危機ビジネスにいる人間が「第三世代」と呼ぶタイプの危機の間には強い類似がみられます。類似点と相違点、双方が、私には啓蒙的に思われます。
ですので、まあとにかく、私に通貨危機とその金融危機全般への関係について、そしてそういったこと全てが現在の見通しについて我々に何を教えてくれるかを語らせてみてください。

ヒストリー・オブ・バイオレンス*1

2008年の世界の金融市場、貿易、そして工業生産の突然の収縮は、ほとんど、でなくとも多くの経済学者を驚かしました。しかし、国際マクロ経済学者の驚きは少しは小さいものだったといっても良かろうと私は思います。我々がこの危機を予測していた、というのではありません。個人的な事をいうと、巨大な住宅バブルとそれがはじけた時の惨事を私は予見していましたが、しかし崩壊の形態とその規模には驚かされました。しかし、国際マクロ経済学者は、国内のデータを主に扱う人たちとは異なり、世界経済にはバイオレンスの歴史があることをわかっていた、と言ってもいいでしょう。劇的なイベント、いきなり降ってきたような急激な投機攻撃、GDPを5,10,15パーセントも削ってしまうような突然の経済の収縮、そういったものは国際シーンではよくあることだからです。
下の図でもってその点を解説しましょう。この図は「第三世代」通貨危機(この用語についてはすぐ後で説明します)の間の実質GDPの山から谷への低下を表しています。このリストはReinhart と Rogoff(2009)の銀行危機のリストに似ていますが、同じものではありません。R&Rは、危機はかれらの純粋化されたタイプのいくつかの要素(elements of several of their ideal types)を組み合わせたものとなる事がおおいと指摘しています。Reinhart とRogoffの素晴らしいデータ収集の努力に貧相ながらも敬意をささげて私が行ったのは、1950年以来の高・中位所得国の大きなGDP低下の全てのケースについてTotal Economy Databaseを調べて、第三世代危機のプロファイルに合うものがあるかどうかの大雑把な歴史調査だけですが。

いくつか述べておきます。まず第一に、大きな景気悪化を取り扱っています。いくつかのケースでは恐慌レベルです。なぜ国際マクロ経済学者が一国内だけを考えるマクロ経済学者よりも危機の可能性になじみがあるのか理解できるでしょう。もし合衆国のデータだけを見ていたら、酷い不況についての理解はGDPがたった2.3%低下した1981-1982年からだけになってしまいます。
第二に、もし歴史についてご存知なら、一般的な常識というものがどれほど間違ったものになりうるか、よくご存知でしょう。Reinhart とRogoffは、人々が以前の危機との類似を軽視する、「今回は違う」シンドロームを強調しています。私はさらに進んで、強い「崩壊前にはプライド一杯(price goeth before a fall)」シンドロームを主張したいと思います。これらのケースの全て、でなくとも多くにおいて、問題となる国はその崩壊前にはだれものお気に入りでした。チリはシカゴ学派の政策実行中のショウケースでした。個人的にはテキーラ危機の前のメキシコについての大きな楽観について思い出します。その将来見通しについて疑問を呈したので、私は1993年の投資家の集まりにおいて非常に不人気になりました。アルゼンチンの通貨委員会*2はケイトー研究所*3、ウォールストリートジャーナルの社説、そしてその他からもてはやされていました。東アジア危機に巻き込まれた国々は世界銀行の重要な研究も含めた、輝ける報告の対象でした。
(危機という)事実の後は、もちろん、だれもが損害を受けた国々の経済モデルの多くの欠陥を指摘しました。丁度、いまだれもが合衆国の金融システム、ほんの昨日には世界の驚異の一つと誉めそやされたそのシステムの腐敗を指摘しているようにです。
最後に、私の例の半分は、90年代後半の東アジア危機からだということに注意してください。その危機は我々の一部に甚大な影響を及ぼしました。ノリエル・ルービニは穏やかな物腰のマクロ経済学者からドクター・ドゥームに変身してしまいました。私は中央銀行のヒーリングパワーへの信頼をなくし*4、そして私は「世界大不況からの脱出」の初版をかきました。要するに、東アジア危機は、世界経済にはマクロの教科書が夢にも思わなかったような、ずっと危険なところだったという事実に我々を気づかせたのです。
しかし、その危険とは、一体なんなのでしょうか?

ジェネレー(ション)ティング・クライシス

全ての危機は三つに別ける事ができます。すいません、多分、むりです。しかし、通貨危機の文献の発展は、何が突然の通貨への投機攻撃を引き起こしたのかについての三つ「世代」の説明にわかれます。
第一世代のモデルは、すくなくとも私の心のなかでは、ポルトガルの中央銀行総裁の賢明な言葉から始まります。1976年の昔、MITの院生の一団が、その中央銀行で働いていました。これはその総裁とDick Eckausの個人的つながりのおかげです。その頃のポルトガルは、少々狂ったようなところでした。前年の独裁政権打倒から続いていた、いくらかの混乱にまだ苦しんでいました。経済は直後の景気後退の後、安定してきていましたが、その通貨はプレッシャーを受けていて、通貨準備は急速に減少していました。後に、その準備の減少の大半は、商業銀行による外国為替蓄積の為であることがわかったのです。これはちょっと馬鹿馬鹿しいことでした。その時には、そういった銀行は国有だったからです。
しかしとにかく、総裁の発した言葉が私をとりこにしました。「準備が六ヶ月分だと、」彼は言いました、「準備はなくなってしまう」。彼が意味したのは、一旦、準備がなんらかのクリティカルなレベルを下回ってしまうと、その通貨からの逃避が始まって、急速に残りの準備を空になってしまうということでした。
そういった経済モデルはすでにありましたが、まだまだ新しいもので、そして外国為替についてのものではありませんでした。とくに、SalantとHenderson(1978、しかしそのワーキング・ペーパーは1976年に出回っていました)は金価格の分析でしたが、その論文の一部を金の備蓄を使って金価格を安定化させることに費やしていました。彼らは、持続可能でない安定化スキームは結局、残りの金の備蓄を消耗させる投機により崩壊することを示しました。それが、多かれ少なかれ、1968年の3月におこった事です*5。これはSilva Lopes*6がescudo*7について実質的に言っていたことなんだと理解しました。
この理解をちゃんと特定化されたモデルに翻訳するのはすこしばかりトリッキーでした。Krugman(1979)は必要以上に複雑になっています。もっとすっきりしたものになるには、Flood とGarber(1984)の研究を待たなければなりませんでした。しかしその成果は、固定相場制に対する投機攻撃への非常に示唆に富む分析でした。
しかし、その分析には問題がありました。とても頭のよい投機家達ととても頭の悪い政府の間の非対称性への批判がありました。さらに重要なことは、私の見解では、その物語は多くの通貨危機において実際に起こっている事にあまりうまく適合しなかったんです。とくに先進国でのものにはそうでした。たとえば1931年や1992年のスターリン*8危機は、主に減少する外国為替準備についてのものとは思われませんでした。そうではなく、それらは、国内での目標、とくに雇用目標実現と固定相場制へのコミットメントが齟齬をきたしている政府についてのもののように思われました。急を告げる国内の問題と対処するために為替のペッグを放棄することに投機家達が賭けだすと、急上昇する利子率がそのペッグを守るためのコストを急激に引き上げます。よって投機家達が政府の手をしばり、危機になるわけです。
スターリングの下落もその一部である1992-1993年のヨーロッパの危機からの証拠の重要なサーベイにおいて、Eichengreen、Rose、そしてWyplosz(1995)は、このまったく異なった危機のダイナミクスを捉えるためのモデルの為に、「第二世代」と言葉を作り出しました。そのもっとも影響力を持ったモデルは、Obstfeld(1994)のもので、それらの分析は複数均衡の可能性を強く示唆することを明らかにしています。危険な状態にある国は、そういった危機が近いと投資家達が信じれば、あるいは他の投資家達は危機がくると信じていると信じれば、通貨危機を経験することになります。
しかし危機の理論の二世代は、十分ではない事が判明しました。第二世代の危機モデルは、投機攻撃へ屈してしまうのが雇用とGDPにとってよいと示唆します。為替レートへのコミットメントにもはや縛られなくなり、政府は需要増加を行う自由を手にします。これは実際に、60年の間隔をあけた二つのスターリング危機の後に起こった事であります。私は英国は、UKのERM(欧州為替相場メカニズム)から離脱させてくれた事を感謝するために、ジョージ・ソロス*9の像をトラファルガー広場に建てるべきだと冗談を言ったりしたものです。しかし、テキーラ危機の後のメキシコにも、1997年の危機の後の東アジア経済にも、2002年の(米ドルとの1対1の)兌換を停止したアルゼンチンにもそれは起こりませんでした。これら全てのケースでは、投機攻撃にさらされた固定相場の崩壊後、実質経済は深刻な縮小に見舞われたのです。
よって、第三世代モデルの登場となります。これらのモデル、つまりKrugman (1999)、Aghion et al (2001)、Chang and Velasco(1999)などは、民間セクターのバランスシートを重視します。とくに企業や銀行の外国通貨での負債です。鍵となる点は、投機攻撃によって引き起こされた通貨の減価は、外国通貨負債の自国通貨での価値を膨らませて、バランスシートを急激に悪化させることです。これが次に経済にダメージを及ぼします。投資を抑えられ、これが更なる通貨の減価へとフィードバックして、また...という具合です。いくつかのモデルは、複数均衡の可能性を強調しています。しかしそういった複数均衡がなくとも、外国資本によって支えられていたバブルの終わりを含むマイナスのショックからの、行き過ぎた減価や産出の減少の可能性があるのは明らかでした。
あるいは別の言い方をすると、第三世代通貨危機において起きるのは、デレバレッジの負の連鎖なのです。つまり、実体経済への深刻な苦難です。
この診断は事が起こった後に行われた合理化なのじゃないのかと質問したい人もいるでしょう。第三世代の通貨危機の理論は危機の予測に実際に成功した事があるのかと。その答えは、イエス、です。アルゼンチンは、残念ながら、予測どおりに展開しました。
通貨危機と、我々全員を襲った金融危機の間の関係に進もうとおもうのですが、その前に、第三世代危機の状況で起こる二つの政策上の問題について簡単に述べさせてください。
第一に、この分析は外国通貨での大きな負債をもつ問題に陥った経済は通貨の減価を避けるべきだといっているのでしょうか?これは現在、すでに私が述べたように、崩壊直前のアルゼンチンを大変思い出させる状況にあるバルト諸国にとって今現在、とても重要な疑問です。私が述べた説明からでは、ラトヴィアやエストニアは減価を避けるために可能な全ての事をするべきなように思われるかもしれません。
しかし、そうではないのです。もし根本の問題が価格や賃金のレベルが高すぎて産業を非競争的であるということだとしてみましょう。これは初期時点での過剰な資本流入の良くある帰結です。そうすると、早かれ遅かれ起こる事になるのは、貿易相手国と比べての価格や賃金の低下です。実質の減価です。これは名目通貨の減価によって起こりえます。しかし、これは外国通貨負債の実質価値が上がるという、うれしくない結果につながり、デレバレッジの危機を引き起こします。
不運な事に、その対案はさらに悪いものです。名目の減価を伴わない実質の減価は、デフレをつうじて起こります。そしてこれは、外国通貨負債だけでなく、すべての負債の実質価値が上がる事を意味します。ですから、デレバレッジ危機は、もし減価を行わないと、さらにひどいものになるわけです。
第二の点は、資本移動性の役割についてのです。明らかに、大きな資本移動性は第三世代危機の必要条件です。巨額の外国通貨負債なしにはそれは起こりえないわけですから。そして危機において大幅な減価を引き起こし、そしてバランスシートを悪化させるのは資本逃避なわけです。ですから、第三世代の通貨危機の中心には、資本逃避の夜間外出禁止令といった感じの、短期的な資本管理への明らかな根拠があります。
しかし、こういったことの全ては、合衆国とその他の先進国の現在の問題にどういう関係があるのでしょうか?

危機をデレバレッジするデレバレッジによる危機:類似点と相違点
映画史上最大の作戦において、自分がアメリカ側を受け持つウォーゲームの準備をしているドイツの将軍が出てくるシーンがあります。彼はその側近に、カレーではなくノルマンディーに上陸して皆を驚かせるつもりだ、と語ります。しかし、心配する必要はない、アメリカ人がそんな事をするはずはない、と。そして、侵攻が始まった時、「ノルマンディ!私はなんて馬鹿だったんだ!」とつぶやくのです。
現在の危機が発生した時、我々の一部はそう感じたのです。
2006年までに、大規模な合衆国の経常赤字はドルがいつかは下落しなければならない事を示していました。そして合衆国の実質利子が他の主要経済の利子率よりもとくに高くはないという事実が、市場はその事を考慮してはいないということを示していました。ですから、ワイリー・コヨーテの瞬間、つまり唐突にくる、自分の状況を悟った瞬間*10が来て、ドルの突然の下落を予想する理由がありました。
しかし合衆国の対外負債は大きいものの、そのほとんどがドルでのものでした。ですから、アメリカは第三世代の通貨危機の危険はないように思われました。よって、心配ないわけです。ですよね?
実は、そのモデルのロジックは心配する理由がある事を示していました。結局、デレバレッジの負の連鎖は、Krugman (2002)で述べられたように、負債側だけでなく、資産側でも容易に起こりえるのです。巨大な住宅バブルの証拠と第三世代危機の理論を組み合わせて、デレバレッジのサイクルが、外国通貨負債依存の「原罪」なしにも起こりうる事を予見するのは容易であるはずでした。
悲しいかな、ほとんど誰も、そしてこの私自身も、予見をする事がありませんでした。住宅バブルについて正確に判断していた者すら、後に続く金融の収縮の予見に失敗しました。ノルマンディ!なんて私は馬鹿だったのか!
しかしもうすでに、それは起こりました。我々が落ち込んだこの危機は通貨危機と比べて、その見通しと政策対応についてどんなものでしょうか?
重要な違いとなるはずであったものの一つが、金融政策の役割です。普通、不況に対する防衛の最前線は利子率の引き下げです。しかしながら、通貨危機に直面している国にとって、その防衛線の価値はあいまいなものになります。利子率の引き下げは国内需要を助けますが、しかしそれは通貨を弱めるかも知れず、負の連鎖を悪化させてしまうかもしれません。しかしながら、資産サイドのデレバレッジのスパイラルに直面している国には、利子率引き下げは全てよい事です。その通常の効果に加えて、それは資産価格を支えて、バランスシートを助けます。ですから、中央銀行は資産価格によるデレバレッジとの戦いにとても効果的になると期待されるわけです。
しかし実は、防衛の金融線はすぐに尽きてしまいました。政策利子率の引き下げは、すぐにゼロ金利の下限にぶつかってしまい、そしてそれで終わってしましました。すくなくとも通常の金融政策に関する限りは。この事はわかっているべきでした。Krugman(2002)はこのことを述べていたのに、だれも、著者自身も含めて、そのメッセージに心に留めていませんでした。
そしてまた、通貨危機と資産サイドの危機の間には後者を悪くみせる別の違いもあります。すなわち、資産価格のデフレは、通貨の減価と違い、経済に対するどんなポジティブの副作用もないわけです。
Calvo et al (2006)が強調したように、エマージング・マーケットでの金融危機はしばしば「フェニックスのような」景気回復、景気の底のあとに非常に急な成長が続くことがあります。そういった回復への鍵となるのは、大きく減価した通貨は輸出の競争力を非常に高め、貿易収支を大きくポジティブ方向に変化させます。

第三世代危機での産出低下と同様、その復活の荒々しさは合衆国データの穏やかさになれた経済学者を驚かせます。下の図は、この論文の頭でしめした各ケースのそれぞれについての「経常収支回復」、つまり危機の直前での経常収支赤字から危機後の最大の経常収支黒字への変化の程を表したものです。

これらは驚くほど大きな変化です。疑いなくその一部は、不況による輸入削減効果によるものです。しかしそれは主には、通貨の減価による競争力の向上を写したものです。住宅やCDOの価格低下には、残念ながら、同様のマクロ経済的な効果がありません。
この事は、現在の景気低迷からのフェニックスのような回復は期待できないということです。では、回復が起こるまでにはどれほどかかるでしょうか?
役に立つ歴史的なモデルは多くありません。しかし今日の合衆国が直面している状況にもっとも近い例は、80年代後半のバブルが弾け、深刻な負債の問題を残した後の日本のそれです。そして、日本の例に基づいた、回復までにどれほどかかるかの最尤法推定値は...永遠です。いや、もちろん、正確にはそれは18年、つまり、バブルが弾けてからこれまでの期間ですね。日本はまだいまだにちゃんとデフレの罠から抜け出していませんから。
こういうことから、私としては回復の見通しについて、現在の広まっている楽観主義に懐疑的であるわけです。この楽観論を支える主張は、過去には、世界の主要経済での大きな不況のあとには急速な回復がきたから、というものです。しかし過去の不況には、まったく違った原因がありました。ですのでそれらが良い先例だとみなす理由はないのです。

危機まみれの世界に生きる

過去の通貨危機についてのアメリカからの解説を見直してみると、目立つのが道徳の教訓話と自己満足です:他の国は危機に陥った、なぜなら彼らは間違っていたからだ。我々は正しいから、そんな事にはならない。
しかし私が強調したように、危機はしばしば、というかおそらく通常、非常によい評判をもっている国に起こります。事態が悪くなってから、ようやくその国は罪人だと、怠け者だと分類しなおされるわけです。そして、それは我々についても正しかったのです。
そして、最悪の事態を避けるのを助けた人たちに与えられた賞賛にも関わらず、我々はこの危機にうまく対処していません。財政積極策は不十分ですし、金融の支援はダメージを押さえ込みましたが、健全な銀行システムを回復してはいません。指標は、数年に渡り、産出は非常に低いままだろうことを示すものばかりです。それが2001年の論文で私が恐れ/予測したものです。「このタイプの国内金融危機への知的に整合的な解決策は、第三世代通貨危機への解決策と同じように、実際に実行されるにはあまりにラディカルでありすぎるだろう。そして、中途半端な方法は失敗に終わるだろう」
おそらく、将来の政策立案者達はより賢くなっているでしょう。おそらく、金融改革が危機の発生を減らすでしょう。第二次世界大戦から1980年以後の金融市場規制緩和の高まりまでの間の大きな金融危機は、それ以前やそれ以後よりもずっとまれなものでした。それまでの間、しかしながら、経済世界は驚くほどに危険な場所であるのです。

参照文献
Aghion, Philippe, Philippe Bacchetta, and Abhijit Banerjee, 2000, “Currency Crises and Monetary Policy with Credit Constraints” (unpublished; Cambridge, Massachusetts: Harvard University).

Chang, Roberto and Andres Velasco 1999, “Liquidity Crises in Emerging Markets: Theory and Policy,” NBER Working Paper No. 7272.

Eichengreen, Barry, Rose, Andrew, Wyplosz, Charles and Dumas, Bernard, “Exchange Market Mayhem: The Antecedents and Aftermath of Speculative Attacks”, Economic Policy, October.

Flood, Robert, and Peter Garber 1984, “Collapsing Exchange Rate Regimes: Some Linear Examples,” Journal of International Economics, Vol. 17, pp. 1–13.

Krugman, Paul, 1979, “A Model of Balance of Payments Crises,” Journal of Money, Credit and Banking, Vol. 11, pp. 311-325.

Krugman, Paul, 1999, “Balance Sheets, The Transfer Problem, and Financial Crises,” in Flood, Robert, Isard, Peter, Razin, Assaf, and Rose, Andrew, eds., International finance and financial crises: essays in honor of Robert P . Flood, Jr., Kluwer.

Krugman, Paul 2002, “Crises: the next generation” in Assaf Razin, Elhanan Helpman, and Efraim Sadka, eds., Economic policy in the international economy: essays in honor of Assaf Razin, Cambridge.

Obstfeld, Maurice; 1994, “The Logic of Currency Crises,” Cahiers Economiques et Monetaires, Bank of France, Vol. 43, pp. 189-213.

Reinhart, Carmen and Rogoff, Kenneth 2009, This Time is Different: Eight Centuries of Financial Folly, Princeton.

Salant, Stephen and Henderson, Dale 1978, “Market Anticipations of Government Policies and the Price of Gold”, Journal of Political Economy

*1:"A History of Violence"はコミックおよびそれを元にしたクローネンバーグの映画タイトル。

*2:原文"currency board"。ここでの"board"の訳がわからないので、ご存知の方は教えてください。

*3:有名な保守派のシンクタンク

*4:90年代のクルーグマンの本では、アメリカの失業者数は利子率についての連銀の決定によって決められるという説明があった。

*5:アメリカから金が流出し、金への兌換がストップすることになった。ブレトンウッド体制の崩壊。

*6:[http://translate.google.co.jp/translate?js=y&prev=_t&hl=ja&ie=UTF-8&layout=1&eotf=1&u=http://pt.wikipedia.org/wiki/Jos%25C3%25A9_da_Silva_Lopes&sl=pt&tl=en:title=google翻訳によるポルトガル語のwikipediaページ]によると、1975年から1980年までのポルトガル中央銀行総裁。

*7:[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=24682979:title=wikipedia]によると、現在カーボベルデ共和国で、そしてかつてポルトガルやその植民地で使われていた通貨単位。

*8:英国通貨。ポンドと呼ばれたり、スターリングと呼ばれたり。

*9:1992年のスターリングへの投機を主導した。

*10:走り続けたワイリー・コヨーテが、自分が崖を走り抜けて空中に浮かんでいる事を理解した瞬間。