P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

ニューディール:Marginal Revolutionからクルーグマンへ

ここのところクルーグマンによるニューディールに関する文章を訳してますが、そのなかで触れられている反ニューディールの反応の中には、保守派の政治経済学者テイラー(いや、タイラーかな?)・コーエンのブログMarginal revolutionが含まれます。そのブログで、寄稿者の一人*1Alex Tabarrokがクルーグマンの文章に触れてエントリーを書いてました。ただこれは反論しているというわけではないのですね。一応、事実部分に関しては双方共に、共通認識があります。ただそのニューディールに関する事実のうち、どの部分をどのように出すかに関して色々とやり合ってます。中で触れられているとおり、クルーグマンは景気刺激的な財政政策はニューディールの時期に取られなかったといっており、これはデータを見るかぎり事実ですが、Tabarrokが言っているとおりそれを政府支出は大して増加していなかったと間違って取る人もいるでしょう。ようするに、Tabarrokはクルーグマンそしてその他が、ニューディールと財政政策に関する印象操作をしているという印象操作をしようとしているわけです。忙しい事ですが、しかしアメリカのブログはこういうやり取りが楽しいので訳しておきます。

大恐慌の期間中の財政政策を理解する。  Alex Tabarrok 2008年11月10日
私とRauchwayとの間の大恐慌中の失業者数に関するいざこざがポール・クルーグマン(翻訳)によって取り上げられた。クルーグマンは私の主張には直接答えていないが、彼は大恐慌中には実施されていなかったのだから財政政策は失敗したわけではなかったという昔からの反論を繰り返している。

さて、この不完全な回復から「呼び水政策」、つまりケインジアンの財政政策は効果的でないと結論したくなるかもしれない。その結論の問題は、ニューディールはケインズ政策ではなかったということだ。きちんと計測すると、つまり、景気循環による影響を調整した財政赤字で計ると、財政政策はわずかに景気拡張的であったに過ぎなかった。すくなくとも不況の深刻さと比べると。Brad DeLong(PDF)が紹介しているCary Brownの推計によると、...財政拡張はGDPの3%近くに過ぎない−−42%もの生産ギャップがある時にはたいした規模ではない。

まあたしかにこれは正しくはあるのだが、クルーグマン、Rauchway、DeLongそしてその他はこの事をかなり判りにくく提示していて、多くの経済学者すら誤解してしまうようだ。クルーグマンは、政府が30年代に十分な支出を行わなかったという主張をしていると捉えてしまいそうになる(同様にCary Brownを引用しているRauvhwayは「望ましい効果を実現するには十分な支出がなされなかった」とはっきり述べている)。しかし、連邦政府の支出はこの時期とてつもなく増加しているのだ。では何が起こっていたのか。答えは実のところとても簡単なものである。
大恐慌の期間中、連邦政府の支出はとんでもなく増加したが、税もまたとんでもなく増加していたのだ。よって、支出が景気刺激的でなかった理由は、支出が行われなかったからではなく、税もまた禁止的なレベルまで上げられたからだ。私の言葉をそのまま信用しなくていい。クルーグマン、Rauchway、DeLongその他が触れてはいるが、誰も長くは引用はしないCary Brown(JSTOR、PDF)を読んでもらいたい。

この時期に財政政策が景気刺激に失敗した主要な理由は、政府の全てのレベルで実施された税構造の急激な上昇に求めることができる。財やサービス購入への政府の全支出は実質的に毎年伸びていた。1933年と1934年には特に大きく連邦政府の支出が伸びている。[しかし]1932年の連邦収入法(the federal Revenue Act of 1932)が実質的に雇用税(full employment tax)を2倍にしてしまい...
...この法律の大きなデフレ・インパクトは完全にはその効果を発揮しなかった...1932年の収入法は事実上全ての税率を引き上げたのだが、とくに低・中所得層への税を上げた...個人所得税の控除は削減され、通常のものだけでなく付加税も(the normal-tax as well as surtax rates)急激に引き上げられた。低所得への税の25%までの労働所得の控除(the earned-income credit equal to 25 percent of taxes)は廃止された。企業所得税に関しての改革はもう少しおとなしめだったが、その税率もいくらか引き上げられ、3000ドルまでの控除は取りやめられた。不動産への税金も上がり、控除は減額され、譲渡税が創設された。議会では製造業者の売上税が議論されたが実施はされなかった。かわりに、広範囲の新しい消費税と以前からの税の税率を引き上げることになった...

1932年の収入法のあとには、更なる増税が続いていった(たとえばBrownは「...社会保障の税金は1937年に始まり、著しい効果をおよぼした...」と書いている)。これらの多くは、ヒューイ・ロングの一派からの圧力のもと、「我らの富を分かち合う」ために行われたのだ。下は最高限界税率のグラフで、1929年から1940年まで25%から79%へと上昇している。

次は最低限界税率のグラフで、(低いところからだが)10倍にもなっている。(Carpe Diem、ありがとう)

よって、大恐慌の期間中の財政政策に関する正確な記述は(これはクルーグマンと完全に一致している)、我々は非常に大きな支出を行ったが、非常に大きな増税も行ったので、大した景気刺激効果はなかったというものだ。そして、もしニューディールのサポーター達が財政政策は「ほんのわずかにしか景気刺激的」ではなかったと主張するなら、税の供給側への効果や政権変化に伴う不確実性(PDF)の上昇などを考慮した場合、差し引きした純での効果は景気後退的ですらあったかもしれない。

*1:アメリカのブログは複数人数による運営が良くあります