P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

クルーグマンのコラム:フランクリン・ディラノ・オバマ?

前のエントリークルーグマンのブログのエントリーを訳しましたが、ニューヨークタイムズの彼のコラムが同じテーマで書かれてましたから、それも訳してみました。

フランクリン・ディラノ・オバマ? ポール・クルーグマン 2008年11月10日
唐突に、古いものがみな、また新しいもの(New Deal)となった。レーガンは廃れ、FDR(第3332代アメリカ大統領フランクリン・ディラノ・ルーズベルト)がはやりとなった。しかし、ルーズベルトの時代が今の世界の指針としてどれだけ役にたつというのだろうか?
役に立つのだ、それも大いに。しかしバラク・オバマはFDRが成し遂げた事からだけではなくて、失敗したことからも学ばなければならない:実のところ、ニューディールは長期的に収めたほどの成功を短期的には収めることができなかったのだ。短期的にはFDRは危うく失敗して全てを台無しにしかけた。短期的な成功がそのような限定的なものでしかなかった理由は、彼の経済政策が非常に慎重なものだったからなのだ。
ニューディールの長期的成功に関して述べてみよう:FDRが作った制度は堅剛であり、本質的なものとなった。実際、それらの制度は我国の経済的安定のための基盤となっている。もしニューディールによって大半の銀行口座が保障されていなかったら、金融危機がどれほどのものになっていたか想像してみてほしい。もし共和党が社会保障制度の解体に成功していたら*1、高齢のアメリカ人は一体今頃どれほど不安な日々を過ごしていただろうか。
オバマ氏は匹敵するような何かを実現できるだろうか?オバマ氏の新しい主席補佐官であるラーム・エマニュエルは、「危機を無駄にはしたくない」と述べている。プログレッシブ*2はニューディールの時同様、オバマ政権がこの経済的・金融的危機に対応するために、これからの幾世代にも渡ってアメリカ社会のあり方を変えてしまうような制度、とくに国民健康保険制度を創設する事を望んでいる。
しかし、新政権はニューディールの成功しなかった側面は真似ないように注意しなければならない:大恐慌そのものへの不十分な対応だ。
いま、主として右派のシンクタンクからの相当の人数のインテリが、FDRは大恐慌を悪化させたのだという認識を広めるという作業に動員されている。よって、この手の話の大半は事実の意図的に誤った解釈によるものだということを知っておいてもらいたい。ニューディールは大半のアメリカ人に救済をもたらしたのだ。
ではあるが、FDRが彼の最初の2期において完全な景気回復を実現できなかったのは本当だ。この失敗はよくケインズ経済学への反論の証拠として使われる。ケインズ経済学は、公共支出の増加は停滞した経済を活性化するとしているからだ。しかし、MITの経済学者E. カリー・ブラウンによる30年代の財政政策に関する決定的な研究によると、それは間違った結論である:財政刺激は「効果がなかったからではなく、試されなかった」から成功できなかったのだ。
信じがたいかもしれない。ニューディールはよく知られているように公共事業促進局(WPA)と市民環境保全部隊(CCC)を通して何百万人ものアメリカ人を公共事業につかせた。今日にいたるまで、我々はWPAによって作られた道路を走り、WPAが作った学校に子供を送り出している。そんな大規模な公共事業が大規模な財政刺激ではなかったのだろうか?
まあ、あなたが思うほどに大規模なものではなかったのだ。連邦政府の公共事業支出の効果はその大部分が他の要素によって、特にハーバート・フーバー*3

*1:2004年にブッシュが再選された後、共和党は社会保障を政府が管理するものから、民営化というか、個人口座による証券市場への投資というシステムに変えようとして失敗した。金融危機のいま、この個人口座の話は共和党からは全く出てこなくなってしまった。

*2:リベラルの事。クルーグマンは思想的左派であるだけでなく、行動を起こすという意味をこめてこの言葉をよく使う。直訳すると「進歩派」となるが、しかしこの言葉の日本でのイメージは良くないのでカタカナで書いときます。

*3:ルーズベルトの前の大統領))によって行われたが次の大統領が就任するまではその効果を発揮しなかった大規模な増税によって相殺されたのだ。また、連邦レベルでの景気刺激政策は州と地方レベルでの支出減と増税によっても効果を損なわれた。 そして、FDRは全面的な財政刺激策の追求には乗り気ではなかった−−それどころか彼は保守的な財政規律の基本に戻りたかったのだ。その思いが危うく彼の成果を破壊してしまうところだった。1936年の選挙を圧勝した後、ルーズベルト政権は支出を削減し増税を行った。そのため経済はまた後退し、失業率が2桁に戻って1938年の中間選挙での大敗につながった。 経済を、そしてニューディールを救ったのは、第2次世界大戦として知られる非常に大規模な公共事業政策である。それによって最終的に財政刺激が経済の求めるレベルにまで到達したのだ。 この歴史は次期政権に重要なレッスンを教えている。 政治的レッスンは、経済的失政はすぐに選挙民からの支持を損なってしまうということだ。先週、民主党は大勝した−−しかし彼らは1936年にはさらに大きな勝利を収めたのに、1937−38年の景気後退によって支持は失われてしまった。アメリカ人は次期政権から即座の経済的成果を期待してはいないだろうが、彼らが景気回復を実現できないならば民主党の多幸感などすぐに吹き飛ぶ事になるだろう。 経済的レッスンは、十分なだけの事を行うということだ。FDRは支出を抑えることで彼は慎重に事を運んでいると考えていた。しかし実際には、彼は経済と彼の成果に関して非常な危険を冒していたのだ。オバマ陣営への私からのアドバイスは、経済がどれほどの支出を必要としているかを計算して、さらにそれを50%増しにしろ、というものだ。落ち込んだ経済においては、経済刺激策に関して過大な方に間違えた方が、過小な方に間違えるよりずっといい。 つまり、オバマ氏のニュー・ニューディールは彼の短期の経済政策が十分に大胆である事にかなりの程度かかっている。プログレッシブはただ彼がその大胆さを持っている事を祈るのみである(("Progressives can only hope that he has the necessary audacity." オバマの自著のうちの一冊のタイトルは、"The Audacity of Hope"という。訳すると「希望の大胆さ」、もしくは「大胆なる希望」というところ。