P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

トイ・ストーリー4

今更ながらにようやく「トイ・ストーリー4」を鑑賞。CGの素晴らしさとか、話運びがどうこうとか、いまさら言うのも野暮なので触れません。

「トイ・ストーリー4」日本版予告
トイ・ストーリー」のシリーズは良く出来たシリーズであり、言うまでもなく面白いわけです。ですが、オモチャに知性を与えるだけでなく持ち主への愛情・忠誠心もまた当然であるかのようにオモチャに付与されているのがまるで主人への愛情に満ちた奴隷のような気色の悪い設定のようで、その為に喉に刺さった小骨に対するような苛立ちがずっと感じられていたのですが、4にしてようやくそれすらも抜かれてしまいました。

オモチャ達を主人公とするエンタメという作品である以上、おそらく子供達がメインの観客と想定されていたのでしょうし(実際、俺が観に行った劇場でも子供達が多かった)、そうなればオモチャ達がその持ち主である子供達を愛しているというのは自然でありまたそうすべき設定でしょう。でも、子供もいつかは大人になるわけで、そうなれば「愛」は当然のものではないし、まして意識あるものを愛で縛り付ける、隷属させるのは自然でもない事もいつかは分かるはずの事。ましてオモチャから持ち主への忠誠など。もちろん、この作品は愛の隷属からの脱出だけが唯一の「正解」だと主張しているのではないわけですが、たとえオモチャ達が持ち主を愛するのは自然であるとしてもそれだけがあり得るべき状態ではないという事を示しているのは素晴らしい事だと思います。

そして、キャラクターのそういう成長をエンタメ作品が示せるというのは、そのシリーズが長い期間に渡って人気を保ったから出来た事であるわけで、ほんと奇跡のような事ではないでしょうか。

「町山智浩・春日太一の日本映画講義 戦争・パニック映画編」

タイトルにある映画評論家(兼アメリカ紹介者?)町山智浩さんと時代劇研究者の春日太一さん二人による日本映画、特に戦争映画、パニック映画についての対談を一冊の本にまとめたもの。面白い。

www.kawade.co.jp

なかでメインに取り上げられている作品*1については目次をコピペしまして、

  • 第二章 『兵隊やくざ』シリーズ――ブロークバック日本軍 
  • 第三章 『日本のいちばん長い日』(1967)――戦争を終わらせる戦い 
  • 第五章 『日本沈没』(1973)――黒澤組&円谷組、世紀の競演

私がこの中で観たことがあるのは「日本沈没」と「新幹線大爆破」だけですが、その他の各映画についても二人の解説が楽しくて、「日本のいちばん長い日」や「激動の昭和史 沖縄決戦」は観てみたくなりましたね(シリーズ物の「人間の条件」と「兵隊やくざ」はしんどそうなので、ちょっとまだ勘弁。)

ただ、町山さんの映画解説だとよくある事ですが、細かい事実誤認をしてたりしてます。第四章の「激動の昭和史 沖縄決戦」は、例えばアニメヲタの中でも「トップをねらえ!」においてパロられている為に少し知られていたりする作品だと思いますし、町山さんもその事を取り上げます。ですが、OVAである「トップをねらえ!」をテレビアニメ(P.162)と語っていますし、「激動の昭和史 沖縄決戦」での米艦船があまりに多すぎるシチュエーションでの台詞にオマージュを捧げている同様に敵があまりに多すぎるシチュエーションでの台詞を「敵艦で宇宙が見えません!」と引用しているのですが(P.163)、これが正確でないのは置いておいても*2、「トップ」での敵は宇宙怪獣なので「敵艦」なんてものはありません。もともとの対談中に間違えるのは分かるんですが、この本はその後に構成・校正されて出されているはずなのになぁとは思ってしまいます*3。とか書いてしまってますが、まあこの手の事はブーメランになりやすいので自戒ですね。

*1:触れられている作品は多すぎて書ききれない。

*2:第5話での「そうだ。敵の数が多すぎて、宇宙が黒く見えない。敵が七分で黒が三分。いいか。敵が七分に黒が三分だ。」

*3:あるいは出版社の河出の責任なのかな。

「守護教師」 

マ・ドンソクが主演の韓国映画。女子校教師となったマ・ドンソクが失踪した女子高生の謎を追う。
www.youtube.com

マ・ドンソクというと、
www.youtube.com
新感染での、漢はステゴロ、ゾンビははっ倒す!役が良くて気に入りまして、この映画も見に行くことにした次第。

田舎町の女子校に体育と学費未納の学生からの取り立て役として採用されたマ・ドンソクが悪徳教育者兼政治家と対決するわけです。話は基本的に簡単なものなのに、無駄に小さなどんでん返しを入れてたりしてまして、まあ、まあってところかなという作品です。
マ・ドンソク主演なので当然アクションシーンがあるわけですが、ザ・韓国映画的なアクションシーンというよりちょいハリウッドぽい感じで、それもイマイチ。でも車のサイド・ガラスが割れるシーンは少し上がりました。

「ブレードランナー証言録」

ブレードランナー2049の公開前くらいに行われた関係者へのインタビューに更に追加した4人の関係者へのインタビュー集。
www.shueisha-int.co.jp

集英社のインターナショナル文庫とかいう新書の一冊で、簡単に読める薄い本。インタビューを受けているのは

俺はブレードランナーについてそんなに詳しいわけではないので、インタビューの中で語られている事のうちどれくらいがよく知られているのか、どのくらいが知られていなかった事なのか全くわかりませんが、

とか

とか個人的には面白い情報がちょこちょこありましたね。

「最初の接触 伊藤典夫翻訳SF傑作選」

伊藤典夫翻訳SF傑作選 最初の接触」を読みました。
www.hayakawa-online.co.jp
タイトル通り、伊藤典夫さんがSFマガジンに訳された短編を集めたもの。収録作はもともと50年代発表(表題作だけ40年代)で翻訳は60年代のものばかりですが、翻訳については女性の言葉遣いがすこし昔の翻訳調かなという以外は特に古めかしい感じはしないです(もちろん当社比)。傑作選と銘打たれているだけあって、古い作品ばかりではあっても流石にみんな面白いです。

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#春フェスAKBと運営のCompetency問題

わざわざブログに書くほどの事とも思わずツイッターやツベのコメントに書いたりしていたのですが、どうにもモヤモヤするのが続くので吐き出すためにちょっと書いてみるだけの単なるAKBヲタのグチです。

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レイモンド・チャンドラーのSFによるグーグルの発明、そしてディレンマ

時代が進んでも、変わらないものはあるのだなぁって話。

1964年に出たジェームズ・ブリッシュのSF評論集 The Issue at Hand

The Issue At Hand (English Edition)

The Issue At Hand (English Edition)

を最近読んでいた時に、架空歴史上でのAIの進化による二人の人間と「一人」のアンドロイドの間の関係について小説を書いたイギリスの作家のイアン・マキューアンさんが「これはSFではない」とか語ったというのを知りまして、
factordaily.com
まじで時代は変わらんのかと思いました。その作家さんのインタビューから。

マキューアンはそういった倫理的なディレンマについて探求できる一番の場所が小説だという信念を長く持ってきた。「小説家がこの未来を探求できる心の宇宙が開かれている。反重力ブーツにより光速の10倍で旅するようなものではなくて、人工物だと知っているが我々同様に考える何かとの接触による人間のディレンマについて考察する事ができる宇宙が。」

ちなみに最初にリンクを張った記事は、カート・ヴォネガットJrによる1965年のエッセイからの

「私は『サイエンス・フィクション』とラベルされた書類棚の不機嫌な住人をこれまでやってきたが…出ていきたい。あまりに多くの真面目な批評家達がいつもこの棚を便器と間違えるのだから」

という引用で始まっています。こういうSFの見下し*1の更なるバージョンとして(時間を逆行して)、レイモンド・チャンドラーが彼のエージェントへと送った1953年3月14日付の手紙の中で下のようなSFのパロディを書いてます。

サイエンス・フィクションとか呼ばれてるものを読んだことはあるか?馬鹿げたものだ。こんなのが書かれてる:アダバランIIIをK19と一緒に調べて、俺の22モデル・シリウスハードトップのクラムマリオッテ・ハッチから外に出た。タイムジェクターをセカンドにして鮮明な青のマンダ草のなかを進んでいく。俺の息はピンクのプレッツェルに凍りついた。ヒートバーをつつくと、ブリリスたちが5本の脚で軽快に走り出しつつ、残りの2本でクライロン振動を送りだした。そのプレシャーはほとんど耐えられないほどだったが、しかし透明なシシシティを通して俺の腕コンピュータが射程距離をつかんだ。引き金を引く。薄い紫の輝きは錆色の山々を背景に氷の様に冷たかった。ブリリスたちが半インチの大きさにまで縮み、俺はポルテックスを使って連中の上をすばやく飛び跳ねていく。しかしそれでは充分じゃなかった。いきなりの煌めきが俺をよろめかす。第4の月がすでに浮かんでいた。分解機利用の為に使えるのは正確に4秒しかなく、グーグルが俺にそれでは足りないと教えてきた。ヤツは正しかった。’ 連中はこのゴミにもちょっとは払ってくれるかな?

最後のところで「グーグル」という言葉が出てきます。グーグルの言葉の由来は、97年に10の100乗の数であるGoogolドメイン名を登録しようとしたラリー・ペイジたちが綴りを間違えてGoogleで登録してしまったからと言われていますが、このチャンドラーのグーグルはその44年も前なので、チャンドラーがグーグルを発明したと言われる事もあったりします。

さてこのチャンドラーの文章、SFのパロディとして分からないわけじゃない、特にこれが53年に書かれたものだという事を思い出せば。しかし、その時から66年経っても、「反重力ブーツにより光速の10倍」がSFだと思われているというのは、ちょっと衝撃。ブリッシュのThe Issue at Handは評論集なので、まあ当然ながらこの手の話も書かれています。

この事にはデテンション(Detention, 1959年第17回世界SF大会)のゲスト・オブ・オナーであるポール・アンダースンも触れている。もし彼がそれを中心的な題材にしていたのなら、私がやらなくても良かったのだが。しかしポールの主題は、サイエンス・フィクションへの一元的アプローチ、つまり哲学、愛、テクノロジー、詩、そして日常生活の要素の全てが重要でかつ大体同じ割合の役割をもつアプローチの導入だった。さて、これはサイエンス・フィクションにとっての理想的な配合である…しかしそれがサイエンス・フィクションにとっての良い配合であるのは、それがフィクション全体にとっての良い配合だからだ。どんな分野のものであれ良いフィクションが何か他の方法で作られた事はないし、これからもないだろうと断言しても大丈夫だろう。

ここでブリッシュが言っている事がマキューアンの言っている事と同じ、あるいはそれをさらに詳しく述べているだけなのは自明でしょう。ブリッシュは(そしてアンダースンも)それを満たすSFが良いSFだと考えていたわけですが、マキューアンはそれを満たしたらSFではないと考えているわけです。満たしていない作品についてブリッシュは

反物質、銀河の衝突、そして後ろにゼロが長々続く数字にはそれらなりの魅力があるが、そのどれも自分の娘である5才児の少女ほどの畏敬の念をもたらしはしない。

爆発する星が本質的に、それに驚きを感じる人間の頭や心よりも驚くべきものだといまだに考えているような作家や読者たちもにも遅かれ早かれそういった些末な驚異のタネ切れになるだろうし、そうなればその人物は読者なり、作家なり、編集者なり、暗愚な大衆なりを責めるんだろう。そんな事を、もう長い間、みてきたじゃないか。

と書いてます。更に上のマキューアンぽい、

しかし我々とこの分野(サイエンス・フィクション)の両方がもはや子供ではないし、この物理宇宙自体の枠を壊さずには物理的地平線を大して広げようのない段階にまで我々は達してしまっている。倫理的、道徳的、哲学的な地平はまだ残されており、そしてそれらは無限だ。

と書いた上で、

良いサイエンス・フィクションの領域はそこに眠っている、そう私は信じている。

と続けています。もちろん、こういうのはブリッシュ独自の考えではなく、たとえばアシモフもどこかで同じ様な事を書いていたはずです。SFの中で、その中に閉じこもる事を自明にしている人達以外は多分同じ様な事を考えているはず。でも、そんな事はSFの外の世界には通じていない話なわけですね。まあこれには、いまSFにおいて映像作品の力が強い事があるのでしょう。やっぱSFというと、スターウォーズとかあるいはネッフリのアクション志向のオリジナル作品とかが頭に浮かぶのが普通でしょうし。そして正直、その強さのおかげでSFが世の中に大きく受け入れられているというのもあるのでしょうから、それも仕方のないディレンマなのかもしれませんが。

*1:ヴォネガットのは自身がSFを見下しているというより、見下されているジャンルに所属している事への不満ですけど。