P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

「文芸の本棚 久生十蘭」 

久生十蘭という作家さんをご存知ですか?

読書家の方ならご存じなんでしょうが昭和30年くらいまで活躍されていた作家さんで、検索すると「博覧強記と卓越した文章技巧を以て数々の傑作を世に残し、「小説の魔術師」の異称をもつ作家」といった称賛の言葉が色々ヒットしますが、無知な私はろくに知りませんでした。「全く知らない」ではなくて「ろくに知らない」なのは、横田順彌さんの無茶苦茶面白い日本SFこてん古典

日本SFこてん古典 (1) (集英社文庫)

日本SFこてん古典 (1) (集英社文庫)

の中で久生十蘭の「地底獣国」のタイトルが紹介されていた事をかすかに覚えていたからです。という事で俺にはSF系のイメージがありましたので、本屋で見かけた時にこの本をつい買ってしまいました。

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久生十蘭の短編や対談、彼についてのエッセイなどを収録しており、久生十蘭について興味を持つにはまさに丁度いい本です。戦中に書かれたショートショートの3篇「雪」「花」「月」とか良いです。大正期の「電車移住者」、素晴らしいです。戦中の44年発表の「第○特務隊」、面白い。収録されている11作のうち6作が戦中発表の作品で、もちろん反戦志向の作品などは無いのですが、戦争賛美、大日本帝国バンザイ!というのでもなく、その戦争の片隅について語るような作品ばかりが掲載されています。まあこれは作者の傾向なのか、この本の傾向なのかはわかりませんが。ですが収録作中もっとも長く、タイトルからするとなんだか特殊部隊の戦闘を扱っているかのように思える「第○特務隊」が、特殊部隊ではあっても特殊な建設部隊の話だったりして、戦う相手は建設場所の自然環境であるという事、しかもその結末がどこかすこし物悲しいという作品であったりするのでやはり変わっている印象です。

ただ、作品を読んでいると十蘭の文章についての様々な称賛の言葉にもかかわらず、(??)となるところがしばしばありました。なぜそうなったのかよく分からないまま話が進んでいたりします。捕物帳である「忠助」とか、なぜそうなったよく分からないところがあります。勿論、それは私の読解力の問題という事もありうるわけです。ですが、たとえば日本人の通訳と一緒にインドネシア人がオーストラリアまでカヌーで旅をした顛末をカタカナで記した「弔辞」では、そのインドネシア人が日本人を守る為にサメ(鱶、ふか)に追い払おうとした結果左腕の肘(肱)から食べられるのですが、

私ノ突キダシタ腕ハウマク鱶ノ口ノ中ニ入リ、鱶ハ私ノ左腕ノ肱カラ先ヲ喰イトッテ急ニ水ノ中ヘ沈ンデ行キマシタ。

改行されてからのその次の文章が

私ドモハソレカラ五日目ニ「ヨーク」岬ノ西側、「カルン」岬ノ北ノ「ダック」湾ノ、人ノイナイ淋シイ砂浜ニ舟ヲツケマシタ。

となっていて、ここを読んだ時、私は目を疑いました。左肘から先を食べられた事には何も触れないの?肘から先を食べられるというのはどんな人にとっても大事件のはずだし、食べられた後どうしたのかも非常に大事。二人っきりのカヌーの旅ですから、そのまま出血多量で死ぬかもしれない、食べたサメは肘から先を食べた事で満足したとしても血が他のサメを呼び寄せるかもしれない。当然ながら敢えて触れないという書き方もあるわけですが、この食べられた肘に改めて触れられるのが2ページ先、上の引用中の5日目からさらに時間が経って、オーストラリアから戻るカヌーの旅に出てから。ここで食われた左腕を蔦で縛っていた事が知らされるのですが、その左腕が腐って臭くなってから。「肱」という古い漢字なのでもしかしたら私が食べられた部位を誤解していて、実は指の先を食われたとかなのかもと自分の理解を疑ったりもしましたが、このやはりこのあたりの文章を読むと肘から先で正しいよう。となると、作者はこの主人公の左肘から先をサメに食われたという件に大した重みを感じていないという理解にしかならず、別にインドネシア人差別だとかどうとかという事ではなくて、やはり変な感じがします。まあ作品の物語の中で理解しようとすると、これは亡くなった日本人への追悼の文章である為、その日本人の「忠実ナ『ジョンゴス』(下僕)」を自称する主人公が使えていた日本人の死と比べて己の左肘から先を食われたその事件を些細な事と捉えていたという理解も出来なくはないですが、いくらなんでもって感じです。
 
こういった(?)となる唐突な部分もあったりはするわけですが、全体としては面白い本でした。ほんとに「第○特務隊」とかお勧めです。

ミシェル・ウェルベック「服従」、あるいはぶっちゃけ、男なんて持ち上げられてセックスできたらなんでも良いんじゃないの?

数年前に話題になったウエルベックの「服従」を今頃読みました。

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「仏大統領選で激震!!」と帯にあり、「世界の激動を予言したベストセラー」とも書かれている本であります。内容が2022年の大統領選で極右政党への対抗策として左派政党とイスラム政党が共闘、その結果イスラム政党からの仏大統領が誕生し、フランスのイスラム化が進むという設定のこの本、反マクロンのイエローベスト抗議運動が大きな話題になっている今、なんか時代とずれている感もありますね。ですが、中道を標榜していたマクロンが今の不人気のまま2022年の大統領選挙へ突入すれば、逆にそういう展開の可能性も高まるのかもとか思ったりもしますが...まあ別段、真面目に予想として捉える作品でもないでしょう。さて、そういう設定の作品となると自然に予想されるのは反イスラム色のポリティカル・フィクションというあたりになりますが、しかしウェルベックについてはろくに知らないながらもこれまでに読んだ唯一のウェルベックの本

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について

という感想を持った私としては、そんな単純な本なわけもないだろうと思いながら読んでみましたら、やっぱり違いました。もちろん、日本やアメリカならばともかく、フランスそして欧州・イスラム圏についての政治的言明については基本判断がつかないので話の中で起こっている事のリアリティの度合いは全く分からないわけではあるのですが。ちなみにこの本の事を全く知らない私の知人がタイトルだけを見てエロい本かと誤解した事があったのですが、そっちの方のは当たってはいないながらも、この本の重要なところを押さえてはいました。この本は、陰謀論を現実であるとするようなポリティカル・フィクションタイプの面白さではなく、文明論と、中の上流レベルのインテリの中年の危機が一夫多妻という名のハニートラップによって救われる様を描いた作品でした。そしてその精神的劣化・弱体化という中年の危機のセックスによる解決がフランスの征服・服従につながるという。

中年の危機に見舞われた大学教授である主人公はイスラム政権誕生後、ゆっくりとイスラム化していくフランスの中で、その過程に参加しないという消極的なあり方でイスラム化に(意識的にではないとしても)微妙に逆らっていたわけですが、それが最終的には体制に取り込まれていきます。男が女性に求める事は「セックスのできるお母さん」であるという批判をどこかで読んだ気がしますが、一夫多妻という制度により「セックスのできる(≈見た目の良い・若い)お母さん(≈世話をしてくれる)」妻をキメラ的に作り出すことでその制度を生み出すイスラム化をエリート層に容認させていくというこの「征服」方法は男についての身も蓋もない批評かもしれません。現実的であるのかどうかは難しいところですが。個人レベルでなら有効的でしょうが、流石に社会レベルだと既に存在している女性エリート層からのバックラッシュがあって実効的とは思われない。そういうバックラッシュへの暴力による抑圧を想定しているということだろうか?とか考えたりもしますが、まあ既に書いたようにそもそもまず真面目な予想ではなくて、これもある種の「世界系」、主人公自身の悩みがフランスの悩みを表しており、「世界」がそれに反応してくれる物語と捉えるべきなのかもしれません*1。そしてその点で、終盤、主人公のイスラムへの転向が起こるあたりで、この作品が「1984」の反転であるかのように感じました。「1984」では無気力な党員であった主人公がプライベートを得て活力を取り戻していく末に国家と衝突、国家によって粉々に破壊されて社会に適応しますが、こちらでは活力を失っていく主人公が変わりゆく国家の中で、国家によって女性と社会的地位*2をあてがわれて活力を取り戻し新しい社会へ適応していきます。個人の欲望の肯定による国家の勝利というのは、まあ現代的かな*3

*1:ま、いい加減に「世界系」という言葉を今さら使ってますけど。

*2:この両者はそもそも結びついているわけですが。

*3:あくまで男性についてだけですが。

キングの幻、ハーツの市街戦ー「まぼろしの市街戦」

1966年の映画が4Kデジタル修復されてK's cinemaでリバイバル上映*1。大昔に放送されたのを観て感動した記憶に動かされて行ってきましまた。といっても先月の話なのですが。


映画『まぼろしの市街戦』≪4Kデジタル修復版≫ 予告編

第一次世界大戦中のフランスの田舎町を舞台に、占領していた町から撤退するドイツ軍が仕掛けた爆弾を解除するために英軍から送り込まれた一兵士を主人公にした映画、という紹介だとなんかシリアスなミリタリーもののような感じですが、上の予告編からも分かるように全然違います。幻想の優しさと現実の悲しさが交差する、そしてそんなタイプの映画にしては珍しく退屈せずにちゃんと観れる映画です。公開当時、一般的な人気を得たわけではないそうなのですが、アメリカでの上映でカルト的人気を得たとか。70年頃のアメリカは、ナイト・オブ・ザ・リビングデッドとかエル・トポとか、マイナー映画が若者に支持されてロングランのカルト映画になるケースがよくありますね。

前にテレビで観た時は途中からだったので実はそもそもどういう設定の話なのかよく分かってなかったのですが、それでも戦争批判の主張がはっきり伝わったのがラストシーンが非常に印象的なものだからでした。今回のリバイバル上映ではそこからまだ話が続くので、正直、鮮烈さが失われているようには感じましたが、ただ幸せさはより伝わるようになったのかも知れません。

ところで今回観て、一番印象的だったのが、サーカスが放置していったライオンの入っている檻の出入り口を主人公が開けるシーン。66年の映画なので当然ながらCGではないし、ライオンは鎖に繋がれているわけでもないし、主人公は役者さんであってサーカスでライオンに芸をさせる人でもないわけで、すっと開けた時にはライオンが出来てたらどうするんだとマジびっくりしました。でも、ライオンは出てこない。勿論、それが分かっていたからこそ開けたわけでしょうが、それはそれでなんとなく檻から出ないライオンが可哀想にも思えてきます。

あと一つ、この映画を観終わって買ったパンフレットからこの映画の原題が"Le Roi de Cœur"、英題が"The King of Hearts"と知って驚きました。キング・オブ・ハーツって、機動武闘伝Gガンダムではないか!と思ったら、なんとGガンのあのキング・オブ・ハートの元ネタがこの映画だったとは!…いや、昔WIKIPEDIAでその情報を読んで、へー、と思いながらもすぐに忘れていた事をこの映画のパンフレットを読んで映画の原題を知り思い出しました。

*1:より正確には4Kを2Kに変換したもの。

「筒井康隆 日本文学の大スタア」

日本SF第一世代の一人にして、現在では「日本文学」のスタアとなった筒井康隆を特集した本。
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ぶっちゃけ、「日本文学」に寄るほど個人的な興味は薄れるわけだが、それでも完全に興味が無くなるところまでの「日本文学」にはならないのが筒井康隆の素晴らしいところ。そういう認識の人間なので、幅広く色々な人たちが様々な面からみた筒井康隆について寄稿しているこの本の中で特に引っかかったのが、日本SF作家協会内での人間関係(i.e., 対立)について触れた大森望さん相手の筒井先生のインタビューだったり、1979年か80年の星新一さん相手の日本SF界についての筒井先生の対談。SF界については知的で友好的な世界であったという幻想を持ちたいし(勿論、そんな綺麗事だけなわけがない事はとっくに知っているのだけど)、そして80年頃の筒井先生がSFプロパーな事についてそんなに興味を持っていたのかなと、40年も遅い心配をしてしまう。
なんであれ、筒井先生の全集とかを読みたくなってくる本であった。

Unhinged: トランプの補佐官だった黒人女性によるトランプ政権暴露本

ドナルド・トランプのリアリティショー The Apprentice の出演者としてトランプと関わりはじめ、トランプ陣営の一員として選挙にも関わり、トランプ政権で数少ない非白人男性の一人として大統領補佐官の一員ともなったアマロサ・マニゴールト・ニューマンによるトランプ政権暴露本。

Unhinged: An Insider's Account of the Trump White House (English Edition)

Unhinged: An Insider's Account of the Trump White House (English Edition)

その途中、トランプファミリー内部の権力関係を理解しようと立ち止まって見ていた事を思い出す。眼の前で、ドナルドはバニー達といちゃついていた。その近くでは、ドンJrが父親に心配げな視線を送っている。父親を畏れかつ恐れている様子で。部屋の向こう側では、メラニアが彼女の夫を見つめている。ミステリアスに、張り詰めた様子で。そしてイヴァンカは微笑んで、近くの誰もを魅了していた。ドナルドは自分の息子も妻のことも見ることは無かったが、イヴァンカの事はしばしば眺めていた。

これは2007年、トランプのリアリティショーを祝うために、プレイボーイ誌の創刊者ヒュー・ヘフナーの大邸宅であるプレイボーイ・マンションでショーの出演者達、番組関係者、トランプファミリー、そして裸の女性たち一杯(!)と共に行われたパーティーについてアマロサが書いている1シーンです。トランプが妻のメラニアと冷めていて、息子たちは軽視していて、娘のイヴァンカにだけやけに興味を持っている事はよく知られていますが、それにしてもこの描写はあたかもアガサ・クリスティによるおぞましい家族関係の描写のようです。これから殺人事件が起こる前の。

殺人事件はともかく、この10年後にはトランプはアメリカ合衆国大統領となってしまい、そのおぞましさを全米そして全世界規模に広げてしまいます。アマロサはその悪夢の実現を手助けした一員です。そうなった理由について本人は、もともと協力していたクリントン陣営からひどい扱いを受けたから、トランプは長年に渡っての友人でありメンターだったから、そして(これは当選後に特に重要になったものですが)人種的多様性が非常に低いトランプ陣営に黒人を中心とした少数派の声を届けるためだったと書いています。そして実際、トランプ政権発足後、補佐官となったアマロサは少数派の為に色々と活動をしていたようです。トランプ政権は圧倒的に白人、さらに言って白人男性の集団であったわけですが、アマロサ本人は人種差別主義者(racist)と批判されるトランプは人種差別主義なのではなく"racial"なのだと信じていたと。この"racial"という言葉、いまひとつ意味が分からないのですが、それに"ism"がくっついた"racialism"は伝統的には人種差別主義(racism)と同義だったものの、現在ではその意味でつかわれる言葉としては完全に"racism"に圧倒され、どうやらなにやら"racial"は人種差別を意味しなくなっている模様。しかし結局、トランプ政権のほぼ全部白人、主に男性という環境で働く中で結局、それはいうなれば希望的観測、自分をごまかしていただけなのが分かったという結果に。
 
トランプ本人が実際に人種差別主義者なのかは正直分からない、というか実は単にクソな人間なだけで人種差別主義者ではないのではと思うのですが、トランプ政権が白人至上主義者からの支持を集めていた事は早いうちから分かっていた事実なわけで、正直アマロサの書いている事にはなんだかなぁという感想を持たなくは無いのですが、トランプの番組に出てトランプとの関わりを持った事が貧困からのアマロサの成り上がりを助けたのも事実なわけで、個人的に人種差別的な扱いをトランプから受けたわけではないアマロサとしてはトランプを信じたのも当然なのかも。そして裏切られてしまったのも。

「トリフィド時代」、ゾンビ物として 

ふつう彼らはほかのグループと合流したがらず、かならずやって来るアメリカ人の到来を待つあいだ、手に入れられるものを手に入れ、避難所をできるだけ快適にしようとする傾向があった。

カーゴ・カルトか!人類社会の終わりを迎えた英国田園地帯にまだ生き延びている英国人達がこのように描写される時代(1951年)に出版された、まさに古典。
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非常に有名な作品なのである程度ネタバレしますが、全人類のほとんどが失明した朝から物語が始まり、タイトルにある歩く食肉植物トリフィドが環境を支配していく中での人類の物語です。これまで全訳を読んだ事はないはずですが、ジュブナイル版を読んだのか、映画の方を観たのか*1、こういう筋であることは知ってました。ですが今回読んでみたら、面白かったです。今のエンタメとは違って文章がエンディングへ向かって一直線に進んでいく感じではなくて、あっちに行っては少し散策、こっちに行ってはまたちょっと考察、という感じでなにかジグザグに進んでいく感じですが、それもまた面白い。という事でおすすめです。以下、読んでて思った事を適当に書いていきます。

1951年の物語なわけですが、現在(2018年)において読んでいると、後の作品、特にゾンビものを思い出します。解説で触れられている「28日後」は英国が舞台なので名前が出てくるのも当然なのですが*2、私としてはそちらよりもロメロのゾンビシリーズの2作目である「ゾンビ」を思い出しました。オールディス言うところの「心地よい破滅」、物を残して者がいなくなった世界の物語。ロメロの「ゾンビ」のショッピングモールはそのカリカチュアとして印象が強いですから。

第二次世界大戦後の「世界の終わり」のより現実的なパターンである核戦争物では人と共に物がなくなってしまい、生き残った者たちは欠乏に追い込まれることで人間性の極限を見せる事になるわけですが、物を残して人間が消えるタイプの世界の終わりの物語では生き残った者達には(少なくとも)当面の生存に問題がなく、というか以前よりも物についてはより恵まれたりするわけで、物語の中で生物としての人間のサバイバルの面が薄くなり、それよりも人間的な感情の問題であったり、人間社会のサバイバルの問題の方が濃くなります。その中でエンタメ作品としての緊張感を担保するのがゾンビであったりトリフィドであったり、そして人間同士の争いであったり。実際的にはそういった怪物のアウトブレイク後、それらが当然の存在になってしまうと主人公たちにとってゾンビもトリフィドも環境になってしまい、闘いのメインは対人間にどうしてもなっていってしまうわけですが。

そういう事も含めて、「トリフィド時代」は後のゾンビアポカリプスの雛形がそこにはっきりと現れていて面白いです。ゾンビアポカリプスの原型としてはマシスンの「地球最後の男」(最新の版でのタイトルは原題にそった「アイ・アム・レジェンド」)

アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫NV)

アイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫NV)

が有名ですが、じつのところ「地球最後の男」には現代ゾンビアポカリプス物の重要な要素である人間同士の対立がありません。しかし「地球最後の男」以前の作品である「トリフィド時代」にはしっかりそれが入っているわけです。ただ、一般のゾンビアポカリプス物では人間、ゾンビという2層構造なのに、「トリフィド時代」では3層構造になっており、「アイ・アム・レジェンド」でもそうなっているのは面白いところ*3

最後にこの作品、人類全体の失明にトリフィドと、SF的嘘が2つも使われるのはSFリアリティ的にキツイなと読む前に思っていたのですが、実はあまり注目は浴びないものの更に謎の疫病というものまであって、それが人類滅亡の後押しをしていたのですね。しかしマイナーなものまで含めて3つの大きな嘘を(当時の)現代社会に導入するというのは更に厳しいなとなるところですが、その3つの根本に冷戦が置かれているのは、ある種の集約を図り、リアリティを担保しようという計算だったのでしょうか。あんまりうまく行っているとは思えませんが。

*1:観たことがあるはずなのですが、はっきりとした記憶がありません。

*2:ロンドンの病院から始まり田舎へ逃げていくという主人公の動きも一致していますし。

*3:もちろんゾンビ物でも「ウォーム・ボディーズ」のように3層構造のものはありますが。

「スター・ウォーズはいかにして宇宙を征服したのか」

スター・ウォーズはいかにして宇宙を征服したのか

スター・ウォーズはいかにして宇宙を征服したのか

ナバホ族のファンの熱意で初めてナバホ語に吹き替えられたスターウォーズEP.4を、これまでスターウォーズを観たことがなかったナバホの老人が観るエピソードから始まる1000ページ弱の、スター・ウォーズ誕生前からEP7公開前までのスターウォーズを巡る物語。スターウォーズは既に現代社会の一般教養だが、この本はどうやってこの古いスペオペのお話がそこまで来たのかについての物語です。それがジョージ・ルーカスの個人史や、スターウォーズ制作のエピソード、ファンのリアクションなどを交互に交える事で語られていく。個人的にスターウォーズには全くハマっていないので、SWヲタにとってこの本の中のエピソードが周知のものなのか、目新しいものなのか全く分かりませんが、ルーカスについてのエピソードは私にはとても新鮮で驚きでした。いや、私が無知すぎたというだけなんだろうけど…ルーカスって実はできる奴だったんだ!知らんかった!

まあ、流石にルーカスの「アメリカン・グラフィティ」や「THX 1138」*1南カリフォルニア大学云々の事は知っていたのだから、ルーカスの凄さを予想する事は出来たはずではないかと今となると思うのだが、この本を読むまでそんな事には全く思い至りませんでした。なぜなら子供の頃から、スターウォーズはカッコ悪いなと思っていたから。例えばEP.4~6などは何度か観ていて美術は素晴らしいと思うのだけれど、アクションについては、何このテンポの悪さ、カッコ悪さ?、といつも疑問だった。この旧三部作制作・公開期間中にはガンダムの劇場版三部作も公開されているわけで、クラシカルなSF美術の面以外では断然ガンダムの方が良いし、面白い。そしてEP.1~3が更にそれに輪をかけました。金はかかってて美術は素晴らしいのに、なにこの鈍重なアクションは?、と。

という事で私の中ではルーカスは、子供の頃の思い出に(当時の)最新のSFXを組み込むことで一山当てた人、くらいの認識だったわけです。既に書いたが冷静に考えれば流石にそれは違うだろうとなりそうなものではあったのだけど、ルーカスの監督したスターウォーズ作がつまらなかったのだもの。じゃあなぜそんなツマラナイ作品を一応全作観ているのかというと、それは私がSFファンで、映画好きで、そして何よりもうすでにスターウォーズが一般教養であったから、特にEP.1~3についてはお勉強として観ておかなければという事があったわけです*2。これまでそういう思い込みにより過小評価をしておりましたこと、ジョージ・ルーカスさんに謝罪し、お詫びに今度、ハン・ロソを観てきましょうか。

*1:どっちも未鑑賞。

*2:ここまですっとスターウォーズを貶してきてますが、実はEP.7、8、そしてスピンオフのローグ・ワンは面白かったです。