P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

タイラー・コーエン:心のボタン

このサミュエルソンのコメントの中にリバタリアンに触れたところがあるんですが、ひっどい事をさらっと書いてます。俺なんかは、サミュエルソン、ひどい事言うな、と笑って喜んでただけだったんですが、リバタリアンの人達はまあ喜ばなかったようで(まあね)、Marginal Revolutionのタイラー・コーエンがその事についてエントリーを書いてます。といって直接ぶつかるのではなく、当てこすりをした後に*1、「大人な態度」を取ってます。で、自分を上に置くわけだ。コーエン、ヤラシイなぁ。
おな、今回の翻訳の都合上、以上以前((もしくは上のリンクを指すためにただ「上の」ですね。ほんとなんで俺はこういうつまらない間違いがいくつもあるのか。))のサミュエルソンの訳を少し変更してあります。
ボタンを想像する テイラー・コーエン 2008年11月20日

Angusより(それから全要素生産性についての彼のコメントも読んでくれ)、ポール・サミュエルソン(の文章)だ:

リバタリアン達はただ悪しき情緒障害者であるというだけではない。彼らは無能なアドバイザーでもあるのだ。

(「良き」情緒障害者などいるのか?) 4点述べておこう:
1) ポール・サミュエルソンは20世紀の真に偉大な経済学者の一人だ。
2) ハイエクは確かに社会福祉国家における自由の丈夫さを過小評価していた。ただ、ハイエク自由の条件の中で社会的セーフティーネットや当時のドイツ自由民主党のその他の政策を非常に強く支持したことは言っておくべきだろう。
3) 遅くとも1989年までソビエト経済のパフォーマンスが中央統制へのハイエクの批判の論駁になっていると主張していたのも同じポール・サミュエルソンだ。
4) この手の文章を読むと、私は書き手が一時的知能減少ボタンを押しているところを想像してしまう。実際それが、この手の感情的な文章を書いている時の書き手の脳に起っている事なんだ。
これからの人生の中、あなたは多くの書き手の文章を読んでゆくだろうが、このボタンのことを心に留めておいて欲しい。そして(そういう文章に)行き当たった時、こう考えてくれ「ああ、彼[彼女]はボタンを押している!」

*1:1989年までどうこうというのはサミュエルソンの教科書経済学からの文章に触れているようなんですが、その元の文章を確認できないのでなんとも。実は「文脈を無視した!」系の反論が可能なものなんじゃないかと、ちょっと疑ってます。サミュエルソンソビエト経済を持ち出して批判しようとしたハイエク系の中央統制経済批判がどのレベルのものか(非効率だ、不可能だ等、レベルの問題がありますから)分かりませんからね。後、サミュエルソンの多分、1970年代の文章だと思いますが、自分がかつてハイエクについて取っていた態度を反省した文章というのを読んだことがあるのです。どこからの文章だったか思い出せませんが、とにかくそれにはサミュエルソンは、かつてハイエクを[http://translate.google.com/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://en.wikipedia.org/wiki/John_Birch_Society&prev=/translate_s%3Fhl%3Dja%26q%3D%25E3%2582%25B8%25E3%2583%25A7%25E3%2583%25B3%2B%25E3%2583%2590%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2581%2B%25E3%2582%25BD%25E3%2582%25B5%25E3%2582%25A8%25E3%2583%2586%25E3%2582%25A3%26tq%3DJohn%2BBirch%2BSociety%26sl%3Dja%26tl%3Den%26safe%3Doff:title=ジョン・バーチ協会](これ英語版からのwikiからの自動翻訳らしいのだけど、すごいじゃん!日本語での説明が見つからなくて、どうしようかと思っていたらこんなのがあるのか。あとそれから、[http://jp.youtube.com/watch?v=pG6taS9R1KM&eurl:title=ジョン・バーチ協会の歌]。英語の歌だけど、英語字幕がついてて分かりやすいし、歌自体からかってる歌なので楽しいよ。)と同様の極右だと思っていたが、間違っていたようだ、とか書いてました。サミュエルソンの意図がソビエト賞賛にあったとは到底思えませんし、単純に極度のリバタリアニズムの強い人達への反論程度のものだったと思うのですが。