P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

Mark Thoma: 税制は累進的であるべきか? 

オレゴン大学のMark Thoma(ソーマ?トーマ?)のブログの翻訳です。ブログやコラムの翻訳って、タイトルと頭の所だけ読んで訳しはじめてみたらはずれだった、ってのがよくあるんですが、これは結構面白かった。重役報酬などで、報酬が生産性を反映しているという素朴*1に完全競争市場を仮定した議論をちょくちょく見かけますからね。そんなの信じられませんよ。
最初に引用されているブルース・バートレットというのはアメリカの保守派の人で、レーガンの内政担当アドバイザーだったり、パパ・ブッシュこと湾岸戦争の方のブッシュの財務省で役職についてた人ですが、現在の共和党・保守派のなんでも減税!という考えに、レーガン時代の減税策は当時の状況の下で正当化されたもので、現状では減税は正しい経済政策ではないと反対したりしてる人です。


税制は累進的であるべきか? Mark Thoma 2009年12月15日
ブルース・バートレットは所得を再分配する税制を好まない:

不平等:問題か? ブルース・バートレット(Bruce Bartlett):通常、<<The American Prospect>>のような左派であることを誇る雑誌を読むときには、不平等の猛々しい弾劾が載っていると思ってしまうものだ。よって、NYUの社会科学の学部長*2でリベラル・クラブの会員証持ちであるダルトン・コンレイ(Dalton Conley)による最近の記事には「人が犬を噛んだ」といった感がある。彼は、左派は不平等それ自体について心配することを止めるべきだと主張している−−平等の利益同様、そのコストは過大視されている、と。かわりに、彼は、リベラルは貧者の救済により集中し、富者をたたく事を控えるべきだと説いている。
コンレイのリベラルクラブの会員資格剥奪のリスクを犯すことになるが、私は彼は正しいと思う。私は、トップ1%の家計の国富や所得におけるシェアが上昇したとしても、残り99%の富や所得の絶対経的なレベルに変化がないならば、一体それでなぜ私が不利益をこうむるのか理解した事がない。それは美学的に不快なものかもしれないが、しかしパイの大きさが変わらないのでない限り、誰にも現実のコストを押し付けはしないのだ。
暗黙のうちに、リベラルはパイの大きさは変わらないと信じてしまうのだ。しかし、一般的には、そうではない。上げ潮はすべてのボートを押し上げるものなのだ。たとえトップをさらに押し上げるとしても。しかしコンレイが、多くの保守派の中で一般的な、富者を豊かにするとどういうわけか自動的に貧者にも利益がもたらされるいう見解をあざ笑うのもまた正しい。それは明らかにナンセンスだ。しかしだからといって、普通の人々に不利益をもたらすことなく金持ちから巻き上げられる額に限りがない、という事にはならない。我々は、富者に四六時中、いったいその資産をどうやって税務署から隠そうかと考えてもらったり、あるいは愚にもつかない派手な浪費に費やしてもらいたいとは思わない。その資産を増やし、そして我々の職と所得も創出するビジネスに彼らの資産を投資してもらいたいのだ。
この理由から、私はずっと、貧者を助けるプログラムに他の保守派よりも共感を寄せてきた。それが、民主主義を、開かれた市場を、私的所有を、成功を罰したりしない安定した通貨と税制を維持するために支払わなければならない必要な対価としてそうするのが正しいから、というのではない。確かに、社会福祉プログラムが行き過ぎれば、その費用は高くつく。しかし同時に、働かざるものは死ぬまでほおっておかれる社会ダーウィニストの、アイン・ランド*3の国家が、経済成長や生産者階級の福祉を最大化するものだとは、私には思われないのだ。
左派が不平等に関してもっとも間違っていると私が考えるのは、平準化のために税金をかけようと考えるところだ。しかし、税が平等を生み出す唯一の方法は、富者が金を稼ぐ事を妨げるというものだ。そうなった時に、国家が豊かになる事はない...
私は課税によって所得を再分配する事をあきらめて、支出によってだけそれについて意味のある事ができるのだという事を受け入れるべきだと思う...税制の目的はその為の税収の確保である事を左派が受け入れ、かなりの規模の福祉国家がずっと残るのだという事を右派が受け入れれば...大体において、それがヨーロッパで行われていることなのだ。保守派は付加価値税を通して保守的に財源が確保される事を条件に福祉国家を受け入れている。リベラルは、保守派が福祉国家の正当性と存続を認めることを条件に、税制の逆進性を受け入れている。
何年にもわたって、私はリベラルの友人達に次の取り引きを受け入れるかと尋ねてきた。彼らはかなりの規模の−−たとえば、GDPの1%−−の新しい政府支出を貧者を助けるために好きなように使うことができる。しかしその代わり、彼らは私に低い税率での消費税制を設定させ、追加の支出はその税金でまかなわれる。それはフリー・ランチのように私には思われるのだが、しかしこの取り引きを考えてみるだけでもしたリベラルに私は会った事がない*4。かれらは平等の問題について、所得における急な累進的税率を維持する事にあまりにこだわりすぎている。

このことについて私は以前にコメントした事がある。

個人的には、結果をより平等にするためだけの再分配にはあまり与しない。しかし、再分配のための理由が(少なくとも)三つある。まず第一に、グローバライゼーションのなかで近年よくあるように、一つのグループを他のグループの犠牲のもとに豊かにするような変化が起こった時は、そして再分配が誰もを豊かにできるならば、再分配は正当化される*5
第二に、私は誰もについても、CEOなりヘッジファンドマネジャーなり、その他なりたいものには何であれなれる機会は平等であるべきだと考える。しかし、機会は平等からは程遠く、このことについて我々ができる事は多くある。当然ながら、誰もがCEOになるわけではないし、何であれ夢をかなえられるというものでもないが、しかしかなえられる可能性は同じであるべきだ。機会平等化のための多くのことがなされるまでの間、累進税制は機会の不平等を補う役割をもつ。[そして、人々にその可能性を実現させる事は、生産性を高める−−これが、機会の不平等を是正する再分配税制がないと国家と個人の両方が貧しくなる理由だ。]
第三に、すくなくとも私には、累進課税同一限界犠牲の原則*6(誰にとっても税金の最後の一ドルは同じだけの不効用を発生させる)によって正当化される。よって、もし機会が平等であったとしても、そしてもし心配しなければならないような勝ち組も負け組みもいないとしても、累進課税への正当性はまだ存在する。私は、現在のそれよりももっと累進的な税制が支払っている税金の不効用を均一化するのに必要だと考える。
再分配への第4の理由として、「政治的バックラッシュを防ぐ」というのをあげることができる。しかし、その政治経済的議論を持ち出す必要があるのかどうか、私にははっきりしない。上に上げた3原則に基づいて累進税制を運用すれば、所得はより平等に分配されるのだから、バックラッシュは...起こりにくいだろう。

もう一つ理由を追加させてもらいたい。バートレットのコメントには、トップが得た所得は、彼らの社会への貢献によって正当化されるものだ(つまり、かれらの高い生産性によって正当化される)、という隠れた仮定がある。しかし金融業界の重役の高い生産性の多くとは、そもそも存在しないものであった*7。それはこの金融危機が非常に明らかにしたことだ。そして、金融業界以外の重役報酬を見てみても、それが彼らの生産性だけに基づいたものだとは、つまり彼らへの支払いが、なんらかの市場の失敗によって大きく増加されていないとは、信じがたい。よって、一般的に言って、トップレベルでの支払いが社会への貢献を上回っていると強く言い得るのだ*8累進課税がこの成果への誤った報酬、生産性以外の何かに対する報酬への是正となる*9程度に応じて、税制は正当化される。
最後に、もしマーケット・パワーが相当程度にまで存在するのなら、そして私は多くの市場でそうだと考えるものだが、それは資源の配分をゆがめ、利益をゆがめるものだ。そういった場合、報酬は、部分的には、マーケット・パワーを反映し、支払いは生産性を上回る。もし累進税制がそういったゆがみを取り除けるなら、税制は正当化される。ある意味、それは単に所得を正当な所有者に帰すだけなのだ。
利益の配分がゆがめられていて、ある人たちが正当な分を受け取れず、別の人たちが稼いだ以上のものを受け取る時、機会が制限されていて人々がそのポテンシャルを発揮できない時、税の負担が不公平である時、そしてグローバライゼーションやその他の経済的変化のコストと利益の分配が不公平な時、不平等から害が発生している−−社会的効用は再分配によって増加させる事ができる−−よって、私は不平等に関係する経済的コストは存在しないという主張や、税は機会を平等化しないという主張には与しない。たとえば機会の創出など、そのうちに何点かについては、バートレットが言うように、支出側によって達成可能だ。しかしその支出はだれかによって支払われなければならず、その負担が累進的であっていけない理由は私にはわからない。

*1:この言葉の選択は池田先生の真似。

*2:原文"dean of social science"。

*3:[http://www.amazon.co.jp/dp/4828411496/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1260932920&sr=8-1:title=「肩をすくめるアトラス」]の著者。その本の山形さんの[http://cruel.org/cut/cut200005.html:title=書評]。

*4:会った事がないだけで、たとえばリベラルのマット・イグレジアスは同様のことを自身のブログで[http://yglesias.thinkprogress.org/archives/2009/02/two_cheers_for_regressive_taxes.php:title=書いたこと]がある。イグレジアスはまだ20代で、バートレットは初老だから、たぶん世代の問題もあるんだろう。

*5:国際貿易から生まれる富は、貿易により所得低下をこうむる人たちの損失をうめて余りあるので、再分配によってだれもが豊かになれる(しかも貿易に対する反対がなくなる)という国際貿易の論文があるので、そこら辺に触れているんだろうと思う。

*6:原文"equal marginal sacrifice principle"。もしかしたらちゃんと定まった訳語があるのかもしれませんが...

*7:原文"much of the high productivity that financial executives were rewarded for wasn't really there"。"rewared for"の訳に困ったので(これは生産性ではなく、報酬についてくる言葉では?)、ちょっと原文とはちがってます。

*8:原文"there's a strong case"。"case"の訳に迷ったので、「言い得る」としました。

*9:原文"progressive taxes represent a claw-back of these false rewards or a claw-back of rewards for something other than productivity"意味はあってると思うが、"claw-back"の訳が...