読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?

二日続けて観てしまいました。アイドルなんて「夢で騙した少女を餌にしたオタの搾取」と考えていたのに!そして今では、考えは変わらないものの思い入れが大きく変わってしまいました... [追記あり]

監督: 高橋栄樹
 
AKBのドキュメンタリー映画第3作目です。このAKBのシリーズ、2作目である前作の「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る」の評価が非常に高く、その評価につられて俺も2作目から観るようになりました*1。1作目(未見)は結構普通のアイドル持ち上げ映画らしいのですが、2作目はアイドルの辛さ・キツさに焦点をあてたもので、「戦争映画」と評されるほどでした。対してこの3作目は2作目で見せつけられたアイドル業界の闇の存在を前提としつつ、それでもアイドルの光を見せ、その上でアイドルは人生の全てじゃないという事まで見せたアイドル映画でした。
おれ自身はアイドルオタでは全くなく*2、当然AKBファンでもないのですが、一日の半分ははてなブックマークをチェックしてるような生活なので(もっと真面目に働け、俺!)少しはアイドル情報にも触れてきました。ただその際、もしコメント付きのブクマをするならばよく「なぜアイドルなんかになりたいのか?」という疑問を書いていたりしました。たとえば吉田豪氏による、アイドルが置かれた現状について(仮)というツギャ記事につけた下のブクマのように。

だからアイドルなんか辞めろという話ですよ。アイドルでなきゃ可愛いとちやほやされてたはずの女の子が、なんでキモオタにブスと言われながら媚びを売り、大人に搾取され、自由もなく...何が嬉しいのだ?

少女が持つアイドルへの憧れって、芸能人、つまり女優やいわゆるのアーティストとの混同・錯覚じゃないのかと思ってきました。アイドル、それも処女幻想というかピュア幻想を売るアイドルは、人生の犠牲が大きすぎるのじゃないかと。しかもそれはオタの経済的搾取の為のものでしかない。そんなものになりたがる少女たちはオツムがよろしくないのだと思ってました。でもねぇ、なんだかこの映画を観て、己の無知を実感してしまいましたよ。

映画の流れを作る縦糸は「アイドルからの様々な離脱」であり、映画の型を縛る横糸が丸坊主事件で有名になった「恋愛禁止」です。この二つが絡み合ったところで離脱の大半が起こります。ですが離脱のメインは前田敦子の卒業です。「卒業」は扁平なものになりがちな人生の中のアクセントになるものですが、東京ドームの中で何万のファンの前にたった一人立つ前田敦子の姿は圧巻でした。そしてそのシーンでのステージから観客席を移した映像が、なぜアイドルになりたいのかという俺の疑問に圧倒的に答えてくれました、ような気がしました。真っ暗なドームの中の万の数の揺れるサイリウムはたった一人の為に。勿論そんな事は「知って」はいましたし、音楽には興味も経験もない俺でも、ああいったコンサートでの万の観客の声援の映像は何度も見たことはありましたが、劇場環境で観た東京ドームの観客は確かに迫力でした。あれを目の前にできるのなら、その為の犠牲はしょうがないかなと感じてしまったほど。だからといってそれでアイドルを肯定するのは、特攻隊への批判を隊員たちの想いでもって封じるようなものだとは思うのですが、それでも無知ゆえの素朴な嫌悪感だけというわけにはいかなくなってしまいました。
そして、この前田敦子の卒業が恋愛とは関係のない愛ある離脱だとすれば、愛ゆえの涙の離脱もまた劇中、何度も起こります。恋愛禁止となっているグループなのに、もうすでにそれを破るメンバーがいるというのが前提の映画になっています。しかしこの映画はそれはアイドルからの離脱でしかなくて、人生が終わるわけでも何でもないという事も元メンバーへの取材によって示します。そのあたりはいい。
しかしこの映画、そういう明示的ではない離脱も取り扱っています。といいますか、この映画、AKBの知識のあるなしで全然違うものを見せる映画になっています。鑑賞後に読んだ映画評の一つ、http://d.hatena.ne.jp/katokitiz/20130203/1359854447:くりごはんが嫌いさんの映画評によると、

「あれだけ運営から推された期待のエースが、その推されっぷりからアンチが大量に発生し、総選挙で惨敗し、選抜入り出来ず、精神が崩壊する」とか
「素材としては豊作だった新人のみで組まれたチーム4が、前田敦子卒業に伴い、パフォーマンス力のある先輩の側でもっと勉強させたいという運営の思惑によって解体される」とか
「同じ中学で一緒に登校もした女の子がアイドルになり、センターとして輝いてるのを見て、私も入りたいとオーディションを受けたが、選抜に入ることは一回もなく、苦労を重ね、背中を見続けながらも非選抜として踏ん張っていた、そんな矢先に憧れだった彼女が卒業を発表した!?」

というのが説明されずに映し出されていたということなんですが、そんなもん、AKBファンでなきゃ全く読めないですよ。はてなブクマを彷徨っている俺は、最初の一つについては観賞中にあれ、これ、もしかして?とはなんとか思いましたが、あとの二つは全く知りませんでした。たぶん他にもこういうファンだけ読み解けるシーンはあるのでしょう。観客によって読み解ける映画の階層が違うというのはまあ常識的なことではありますが、まさかここまでハッキリとした例を目にするとは思ってませんでした。そしてこの最初の例の「アイドル」はその後、AKBを離脱するのですがその点についてこの映画は一切触れません。恋愛禁止違反による離脱を対象とする事がOKだからと言って、なんでもOKというわけではないということでしょうか*3
また、恋愛禁止はこの映画の横糸であるわけですが、ラストにおいてAKBのメンバーたちがその事について語るシーンがあります。このシーンでの対比にちょっとはっとさせられました。古参のメンバーたちは明らかに恋愛禁止を苦しく思っていることを吐露します。また篠田麻里子さん*4は、アイドルである今は恋愛禁止を守らなければならないんだという決意の言葉を紡ぎますが、それは正直、自分自身をなんとか納得させようとしているようにも見えました。実際、もう10代ですらない女性たちの恋愛を金の為にしばるこのアイドルのエコシステムは醜悪だと思います。ですが、そのあとに出てきた若手のメンバーははっきりと愛よりも夢なんだと断言しました。若いなと思いましたが...その若さは力ですよねぇ。断言できるのはカッコよかったです。
映画スパイダーマンのシリーズでは「大いなる力には、大いなる責任が伴う (With great power comes great responsibility)」というフレーズがでてきます。特別なものがない普通の女の子が特別な存在である「アイドル」になるのならば、その逆があるのかもしれない、大いなるアイドルになるには大いなる犠牲を支払うことが必要なのかもしれない、とか思わさせられてしまった映画でした。

*1:というか「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」内の映画評コーナー「シネマハスラー」での[http://www.nicovideo.jp/watch/sm17014975:title=くそ熱い映画評]と[http://www.nicovideo.jp/watch/sm17025996:title=ポッド] [http://www.nicovideo.jp/watch/sm17114822:title=キャスト]に引っ張られて観に行きました。

*2:下手すると嵌ってしまいそうだと恐れてきたので、エロゲー同様、基本手を出さないことにしてきただけなんですけどね。

*3:もっとも、これを扱うと明らかに映画のその他の流れからはずれるというのはあります。でも、それならならなぜ総選挙でのこの「アイドル」のシーンを出すのか?とは思いますが。

*4:この映画を見る前から俺が顔の区別のついた数少ないAKBメンバーの一人。