P.E.S.

政治、経済、そしてScience Fiction

『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』

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開戦直前の日本において開戦後の予測がいくつか行われていた事はよく知られている。そしてそれらの結論が、短期的にはともかく中長期的には日本がアメリカに対抗できる事はない、長期戦となれば日本に勝ち目はないという事であったのもよく知られている。

「秋丸機関」は開戦直前に経済調査・謀略機関として作られた陸軍系の組織であり、数年間の活動中、謀略についてはともかく、経済学者を中心とした諸国の「経済抗戦力」の調査と予測を実際に行った機関であった。その調査結果も当然ながら、簡潔にまとめれば日本はアメリカに勝てないというものであったが、その報告の文献が戦後長く発見されなかった事、そして「報告が陸軍の気にいらないものだったので、報告書が回収・焼却された」という関係者の証言によって、秋丸機関の報告が日本の敗北を予測するという陸軍にとって都合の悪いものであったため握りつぶされたのだという物語が生まれた。ところがその陸軍によって焼却されたと思われていた報告書がこの本の著者を含む人たちによって発見され、この物語の過ちが判明する事になる。上述したように確かに秋丸機関は開戦となった場合、日本はアメリカに長期戦となれば勝てないと予想していた。しかし実のところこの予想は当時において、すくなくともエリート層においてはある程度常識的なものであったのであり、陸軍においてもその認識は共有されていた。つまり殊更に秋丸機関の報告を問題視する必要はなかったという事をこの本は明かしていく。開戦前の出版物や秋丸機関以外の組織による開戦後の予測でも同様のことが予想されていたからだ。日本とアメリカ、その生産力の格差により長期戦となれば日本がアメリカに勝つことは単純に不可能、とまで断言するわけではないとしても長期戦となれば厳しいというのは常識的な判断であった。そもそも、開戦しなくてもアメリカの禁輸によってこのままではジリ貧になるというのが対米開戦派の早期開戦の主張の根拠でもあったわけで、開戦がその長期的ジリ貧状態への確実な解決になるとは開戦派も思ってはいなかったはず。

では、なぜ、少なくとも当時の日本の開戦派を含めたエリート層の中でアメリカには勝てないという認識が少なからずあったのにも関わらず、開戦となったのか?この本は秋丸機関の伝説が間違いであった事から、ではなぜそれでも開戦へと日本は向かったのかの謎へと向かっていく。当然ながら、「ハル・ノート」によって日本は開戦に追い込まれたのだという虚構はその答えではない。全体として経済学的ではない本書において、この謎の答えの部分は少しばかり経済学によった答えが与えられる。といっても、その答えがこの本の独創的なものというわけではなく、秋丸機関の報告が戦前においてある程度そうであったように、現在時点である程度は知られている答えを経済学的な視点で語ったものと言える。

しかしその答えも開戦前の時点でなぜ開戦の決定をしたのかという疑問についてのものである。だが、そもそもその開戦前の時点にまでなぜ至ったのかという疑問もまたある。戦前日本の軍・政治関係についての本を読むと、とにかく対(英)米戦を、言葉は悪いが求めているかのような人たちがいろいろと出てくる*1アメリカと戦わなければならないのなら、あの開戦にもそれなりに合理性はあったのかもしれない。しかしアメリカと戦うための資源と生産力を得るために外へと向い、それによって当然アメリカと対立して結果アメリカと戦争、ボロボロになるというのは一体どういう悪い冗談なのだろうか。

*1:その最たるものが「世界最終戦論」の石原莞爾だろうか。